timeleszの新メンバーとして知られる猪俣周杜。2025年2月、約10か月に及んだ「timelesz project -AUDITION-」を経て、寺西拓人、原嘉孝、橋本将生、篠塚大輝とともに新メンバーへ選ばれました。
ただ、猪俣周杜の歩みはタイプロから始まったわけではありません。小学生のころから長くサッカーを続け、家族の仕事にも触れながら過ごし、2022年には別の男性アイドルグループでステージに立っています。
timeleszは、猪俣周杜にとって最初のアイドル活動ではありません。
8iper時代には「猪戸周杜」の名で活動し、そのグループを離れたあと、実家の家業を手伝う時期を経てタイプロへ。現在の姿だけを見ると見えにくい、少年時代からtimeleszの一員になるまでを順番にたどっていきます。
猪俣周杜は茨城県出身!小学3年から高校まで続けたサッカー
猪俣周杜は2001年8月17日生まれ。STARTO ENTERTAINMENTとOver The Topの公式プロフィールでは、出身地は茨城県とされています。
ここで注意したいのは、「茨城県出身」と「茨城県で生まれた」は同じ意味ではないことです。出生した場所や、茨城県内のどの地域で育ったのかまでは公式プロフィールで公表されていません。
4歳当時の写真もテレビで紹介されている
幼いころの詳しい暮らしぶりは多く語られていませんが、後年のテレビ番組では4歳当時の写真が紹介されています。さらに本人は雑誌のインタビューで、自分の顔で好きなパーツとして「子供のころからある涙袋」を挙げていました。
現在の顔立ちにつながる小さな特徴まで本人の記憶に残っている一方、幼稚園名や小学校名など、具体的な生活圏は公表されていません。少年時代について本人の言葉からはっきり見えてくるのは、長く続けたサッカーです。
小学3年から高校までサッカーを続けた
木村拓哉のラジオ番組『木村拓哉 Flow』に出演した際、部活動の話題になると、猪俣はサッカーを始めた時期を具体的に振り返っています。
サッカー部です。小学3年生の時から、小・中・高校までやってました。
出典:TOKYO FM「Flow 第三百五十回目『拓哉キャプテン × timelesz』Part1」(2025年4月13日)
小学3年生から高校までとなると、短期間の習い事ではありません。小学校、中学校、高校と環境が変わってもサッカーを続けていました。
同じ会話では、好きな海外選手としてリオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドの名前も挙げています。ただし、ポジションや所属チーム、大会成績までは本人から公表されていません。
ステージに立つよりずっと前、日常の中心にあったことが確認できるのはサッカーです。芸能活動の華やかな経歴より先に、長い学生生活の中で一つの競技を続けていた時期がありました。
猪俣周杜の家族構成は?祖父・父の塗装業や母親・弟とのエピソード
家族については、本人の発言から祖父、父親、母親、弟の存在が確認できます。ただし、同居していた時期や世帯の形まで公表されているわけではなく、「何人家族」と固定して断定できる情報ではありません。
実家は祖父・父の代から塗装業
猪俣の家族を語るうえで、たびたび登場するのが塗装業です。後にテレビ番組で実際の塗装作業に挑戦した際、ヒロミとの会話の中で自分から家業について話しています。
実家が塗装業なんです。祖父も父も
出典:ORICON NEWS「timelesz佐藤勝利・橋本将生・猪俣周杜、ヒロミリホームに助っ人参戦」(2025年12月25日)
祖父と父親が家業に関わってきたことを、本人自身が明らかにしています。一方で、会社名や所在地など一般人家族の生活圏につながる情報は公表されていません。
本人が担当していたのは経理やレシート整理
タイプロでは職業が「塗装業」と紹介されたため、現場で壁などを塗っていた印象を持つ人もいるかもしれません。しかし本人によると、家業で担当していたのは現場の塗装ではなく経理側の仕事でした。
2025年末に実際の塗装作業へ挑戦した際にも、それが初めてだと説明しています。さらに別の番組では、家業でしていたことを「レシートの仕分け」と表現しており、パソコンや事務作業に向かう側だったことが伝わります。
母親へ東京ドームで伝えた言葉
母親については、新体制timeleszの一周年を迎えた東京ドーム公演で、本人が客席に来ていた母へ向けて話した言葉が残っています。
お母さんは大きくなるまで一人で育ててくれて。
出典:ViVi「timelesz 新体制一周年をファンとお祝い!ツアーファイナルの東京ドーム公演を超詳細レポート」(公開日記載なし)
その場では、アリーナツアー中に祖父を亡くしたことや、母親へ普段は照れくさくて言えない思いも口にしています。父親については家業の話が本人から出ている一方、両親の関係や家庭の事情について、それ以上の詳細は公表されていません。
弟とは同じ位置にほくろがある
兄弟については、弟がいることを本人が雑誌で明かしています。大げさな家族エピソードではなく、自分の体で好きな部分を尋ねられたときに出てきたのが、弟との小さな共通点でした。
おなかのほくろ。弟と同じ位置にあるんですよ、すごくないですかっ!
出典:mini WEB「まさきとしゅーととしの。10問10答~猪俣周杜編~」(2025年8月26日)
弟の氏名や年齢、職業などは公表されていません。本人の口から確認できるのは、こうした日常に近い断片です。
猪俣周杜の学歴は?高校・大学と学生時代
猪俣周杜の小学校、中学校、高校について、本人や所属先は具体的な学校名を公表していません。大学についても、進学したのかどうかを含めて公式に明らかにされた情報はありません。
小学校・中学校の学校名は公表されている?
公式プロフィールで公表されているのは「茨城県出身」までです。茨城県内のどの市町村に住んでいたのか、小学校や中学校がどこだったのかは明かされていません。
そのため、出身地だけを根拠に通っていた学校を絞り込むことはできません。学校名より具体的に確認できる学生時代の情報は、本人が小学校から高校までサッカーを続けていたことです。
高校までサッカーを継続
高校名そのものは公表されていませんが、高校時代にもサッカーを続けていたことは本人発言で確認できます。小学校で始めた競技を中学校、高校まで続けているため、学生時代の長い期間をサッカーとともに過ごしていました。
ただし、サッカー部でのポジション、レギュラーだったかどうか、出場大会や成績といった細かな情報は明らかになっていません。公表されていない学校名と部活動実績を結びつけてしまうと、別人の情報が混ざる可能性があります。
大学進学や大学名は確認できる?
大学については、進学の有無も大学名も公表されていません。インターネット上では具体的な大学名が挙げられることがありますが、本人や所属事務所、学校などが在籍を認めた一次情報はありません。
2001年生まれの猪俣は、その後2022年に8iperのメンバーとして活動を始めています。それ以前の進学や仕事については空白が多く、大学へ通っていたと決めつけないほうが事実関係に合っています。
高校名や大学名は、本人・所属先などから公表された情報が出るまでは未確定です。
猪俣周杜は8iperでアイドル活動を始めた
猪俣周杜が本格的にアイドルとして活動を始めたのは、timelesz加入より前です。2022年に始動した男性アイドルグループ「8iper」の初期メンバーとして活動していました。
8iper時代の活動があるため、猪俣周杜の最初のアイドル活動開始年は2022年になります。
2022年から8iperで活動
8iper公式Xでは2022年10月29日に5人組グループとしての始動が告知され、同年11月27日のデビューが予告されていました。当時のメンバー紹介には、赤のメンバーカラーとともに猪俣の名前も並んでいます。
11月27日にグループとしてデビューし、ライブやYouTubeなどで活動。タイプロで初めて猪俣を知った人には一般職から突然オーディションへ現れたように見えるかもしれませんが、その前に約1年半のアイドル活動歴がありました。
8iper時代は「猪戸周杜」名義
現在は「猪俣周杜」として活動していますが、8iper時代に使っていた表記は「猪戸周杜」です。名字の漢字が違うため、当時の写真や動画を見て別人だと思う人もいますが、8iperの旧メンバーとして活動していた同一人物です。
この時期にステージへ立ち、ファンの前で活動した経験を持っていたことは、その後のタイプロを見るうえでも欠かせません。ただし、8iperへ入ることになった直接的な応募経緯やスカウトの有無については、確かな一次情報が残っていません。
2024年5月に卒業した理由
8iperは2024年5月末で猪戸周杜の卒業と所属事務所からの退所を発表しました。当時の告知で示された理由は「健康上の理由」です。病名や症状など、さらに踏み込んだ内容は公表されませんでした。
時期が近いため、8iper卒業とtimelesz projectへの応募を一つの理由で結びつけた情報もあります。しかし、Sexy Zone最後の配信ライブを見たのは8iper在籍中で、timelesz projectの発表も卒業前です。卒業理由について公式に示された説明と、後にオーディションへ参加した事実は分けて見る必要があります。
8iperを離れたあと、猪俣は家業を手伝う時期を過ごします。タイプロで「塗装業」と紹介されたのは、この時期の仕事が背景にありました。
8iper卒業後は実家の家業を手伝いながら次の道へ
8iperを卒業した後の猪俣は、芸能活動だけを続けていたわけではありません。実家の塗装業を手伝いながら過ごし、timelesz projectでは職業欄に「塗装業」と記されていました。
現場で塗装職人として働いていたという意味ではなく、本人が後に語った仕事は経理やレシート整理などの事務作業です。家業の事務作業に向かっていた時期があり、そこから再びオーディションの場へ進みます。
一度アイドル活動を経験し、そのグループを離れ、家の仕事を手伝う。2024年春の猪俣は、その途中でSexy Zoneの一つの節目となるライブを画面越しに見ていました。
Sexy Zone最後のライブがタイプロ応募のきっかけ
Sexy Zoneは2024年3月31日に「Sexy Zone ONLINE LIVE」を配信し、翌4月1日からグループ名をtimeleszへ変更しました。猪俣は後のインタビューで、その最後のライブを動画で見ていたことを話しています。
当時の猪俣はまだ8iper在籍中でした。そのライブを見た直後にtimelesz projectが発表され、本人の中で「同じステージに立ちたい」という気持ちが具体的な応募へつながっていきます。
僕もこんな素晴らしいステージに一緒に立ちたいと思ったんです。
出典:anan「timelesz project #15人の想い② 猪俣周杜『他の候補生はライバルでありチームメイト』」(2024年12月18日)
timelesz projectには約1万9000人が応募しました。すでにアイドル経験のあった猪俣も、その大人数の中の一人として審査へ入り、最初から新メンバーの座が約束されていたわけではありません。
また、8iper卒業の公式理由は健康上の理由でした。ライブに心を動かされたことと応募のきっかけは本人が語っていますが、それを過去のグループを辞めた理由にまで広げる材料はありません。
タイプロで13位から5位へ順位を上げた
timelesz projectでは、候補生たちが歌やダンスだけでなく、チームでの課題やステージでの表現を重ねていきました。猪俣は3次審査を13位で通過し、4次審査では8位、5次審査では5位へと順位を上げています。
8iperで人前に立った経験はあっても、timeleszとして求められる表現は別のものです。審査中には、原嘉孝へ「どうしたらカッコよく見えますか?」と尋ねていたことも後に語られています。分からない部分を周囲へ聞きながら、候補生として課題に向き合っていました。
オーディションでは自分のままで向き合った
猪俣はタイプロ中、他の候補生を単純な競争相手としてだけ捉えていたわけではありません。ananのインタビューでは「ライバルでありチームメイト」という考えを話し、同じ課題へ向かう仲間としての感覚も言葉にしています。
3次から4次、5次へ進むにつれて順位は上がりましたが、その数字だけで合否が決まるオーディションではありませんでした。最終審査まで残った8人は、2025年2月5日に東京ガーデンシアターで最後のステージへ立ちます。
6次のファイナル審査へ
ファイナルでは、それまでの審査で身につけたものをステージで見せることになります。公式YouTubeには猪俣周杜の6次審査映像が残っており、候補生として最後のステージへ向かう姿を映像でも確認できます。
最終審査の直前、猪俣はtimeleszの存在を自分にとっての「タイム」と表現しました。これからの時間をグループに捧げる覚悟という意味を込めた言葉でした。
猪俣周杜がtimeleszメンバーになるまで
2025年2月5日の最終審査を経て、猪俣周杜は寺西拓人、原嘉孝、橋本将生、篠塚大輝とともに新メンバーへ選ばれました。2025年2月15日、新体制timeleszの8人が正式に発表されます。
小学3年生から高校まで続けたサッカー、8iperでのステージ、グループ卒業後に家業を手伝った時間、そして約10か月のタイプロ。その出来事が一本につながった先に、新しい所属先が決まりました。
最終審査で名前を呼ばれた瞬間
合格後のインタビューで、猪俣は結果発表を待っていた時間について、体感では長かったと振り返っています。周囲の候補生が緊張する様子を見ながら、自分も怖さを抱えていました。
のびしろがまだまだあるのは自分でも感じています。
出典:anan「timelesz project #ここから始まる物語 猪俣周杜」(2025年3月12日)
合格で完成したという話ではなく、新メンバーとしてここから覚えることが残っているという言葉でした。タイプロで順位を上げた過程の先でも、本人はまだ伸びる余地を自分で意識していました。
新体制発表後、猪俣は3月21日に個人の公式Instagramも開設しました。タイプロ候補生だったころとは違い、timeleszの一員として本人の発信を直接見られる場所もできています。
8人体制最初の「Rock this Party」へ
8人体制となったtimeleszは、2025年2月28日にデジタルシングル「Rock this Party」をリリースしました。猪俣にとっては、新しいグループの一員として世に出た最初期の楽曲です。
猪俣のアイドル活動そのものは、2022年の8iperから始まっています。一度の卒業を挟み、2025年2月、新体制timeleszで次のステージが始まりました。
























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