M!LKのメンバーとしてステージに立ち、俳優やモデルとしても活動する山中柔太朗。ファッションへの関心が強く、衣装制作も手がける現在の姿からは、芸能界へ入る直前まで生活の中心がサッカーだったことを意外に感じる人もいるかもしれません。
栃木県で育ち、5歳ごろから長くサッカーを続けた少年は、中学時代には栃木県選抜に入るまでになりました。高校もサッカーで進む選択肢があった一方、芸能の仕事との間で進路を決める時期がやってきます。
その少し前、中学3年生で友人と原宿へサッカー用品を買いに出かけた日に、スターダストプロモーションから声をかけられました。
最初からアイドルを目指していたわけではありません。サッカーを続ける未来も現実的だった少年が、スカウト、レッスン、EBiDAN研究生、BATTLE BOYSを経て、2018年にM!LKへ加わるまでを追っていきます。
山中柔太朗は昔どんな少年だった?足利で育ったサッカー少年
山中柔太朗は栃木県出身。地元について話す機会には、足利市にある「あしかがフラワーパーク」をおすすめスポットとして挙げています。
少年時代に長く続けたのがサッカーでした。スターダストプロモーションの公式プロフィールでは、5歳から10年間サッカーを続け、栃木県選抜に選ばれた経験が特技欄に記載されています。
5歳から始めたサッカーは中学まで約10年以上
本人は後年、サッカーを続けた期間について「11年くらい」と振り返っています。遊びの延長ではなく、中学生になるころには県選抜まで進む競技生活になっていました。
「11年くらいですかね。」
出典:J-WAVE NEWS「山中柔太朗、普段の生活で取り組むSDGsは? SHELLYと語り合う」(2023年3月)
Rayのインタビューでは、中体連で県選抜に入り、高校進学時にはサッカーの特待クラスの話が出るほどだったことも明かしています。高校でも競技を続ける道は、本人にとって十分に現実的な選択肢でした。
県選抜の練習には母親の車で通っていた
サッカーに打ち込んでいた時期は、本人ひとりの生活だけで完結していたわけではありません。栃木県選抜の活動では、足利方面から離れた練習場所へ通うこともあり、母親が車で送り迎えをしていました。
学校が終われば練習へ向かい、週末にもサッカーがある。長い競技生活を続けられた背景には、そうした家族のサポートもありました。
サッカーそのものへの興味は芸能界へ入ったあとも消えていません。海外サッカーを観戦し、スペインのFCバルセロナを応援していることや、友人とフットサルをすることも本人が話しています。
山中柔太朗の家族構成は?両親や妹、実家での少年時代
山中柔太朗は家族について、祖父、祖母、父、母、そして3歳下の妹がいると本人の口から明かしています。一般人である家族について氏名や生活場所などの細かな個人情報は公表されていませんが、インタビューには家庭での様子がいくつか残っています。
「僕はおじいちゃんおばあちゃん、お父さん、お母さん、妹がいますね。」
出典:JJ「M!LKメンバーが語るここでしか読めない『家族との激レア思い出話』」(2020年9月29日)
父親は柔道経験者!妹とは3歳違い
父親については、山中自身が「柔道家」と表現したことがあります。M!LKメンバーと家族について話した際には、父親や妹と一緒にゲームをしていたエピソードも登場しており、家の中での距離の近さが伝わります。
妹は3歳下。思春期のころについて山中は、仲が悪いわけではないものの年齢的に少し距離がある時期だったと話しています。一方、曽野舜太の妹と山中の妹は親しく、妹同士を通じて「柔くんはやさしいお兄ちゃん」と伝わっていたこともありました。
non-noの質問企画では、母親からは「じゅう」か「お前」、父親と妹からは「お兄ちゃん」と呼ばれているとも答えています。ステージ上の呼び名とは違う、家に帰ったときの山中柔太朗の立ち位置が見える話です。
芸能界へ踏み出すとき背中を押した母親
母親はサッカー時代の送迎だけでなく、その後の進路にも関わっています。
中学3年生でスカウトされた日、山中にはもともと芸能界へ入りたいという希望があったわけではありませんでした。しかも友人が一緒にいたため、声をかけられたときには少し格好をつけて、興味がないような態度を取っていたそうです。
それでも受け取った名刺は家まで持ち帰りました。その名刺を見た母親が、まずやってみるよう勧めています。
サッカーを長く続けるために送り迎えをしていた母親が、今度は芸能界へ進む最初の一歩を後押ししました。
山中柔太朗の学歴は?中学校・高校・大学と学生時代
山中柔太朗は学生時代の学校名を積極的には公表していません。小学校・中学校・高校について、本人や所属事務所が正式な校名として公表した情報だけで特定することはできません。
一方、学校生活と進路について本人が語った内容はあります。特に中学校から高校へ進むタイミングは、その後の進路を決める大きな選択になりました。
中学時代はサッカーで栃木県選抜へ
中学校でもサッカーを続け、県選抜に選ばれるまで競技に打ち込んでいました。本人は、サッカーの道で高校へ進む話もあったと複数のインタビューで振り返っています。
ところが中学3年生で芸能事務所からスカウトされたことで、高校選びにもう一つの選択肢が加わります。サッカーを続けやすい進学先か、芸能活動を続けやすい高校か。まだ芸能界で具体的なデビューが決まっていない時期の選択でした。
「僕は芸能を選択したので今は趣味で友だちとフットサルをやっています。」
出典:Ray「グループのTikTok担当!M!LK・山中柔太朗を深掘りインタビュー」(2024年11月19日)
高校進学でサッカーと芸能のどちらを選ぶか迷った
山中は芸能活動をしやすい高校へ進むことを選びました。当時は、芸能界で成功できるという確信があったわけでもありません。
「自信は本当になかったです(笑)。」
出典:マイナビ学生の窓口「山中柔太朗『仲間と一緒に目標に向かって頑張る経験はしておいたほうがいい』」(2024年)
本人によれば、デビューも決まっていない状態で芸能活動を優先する高校を選びました。両親がその選択を認めてくれたことも、本人にとって前へ進む材料になったようです。
高校在学中の2018年8月にはM!LKへ加入。学校生活と並行しながら、グループの新メンバーとして活動する日々が始まりました。
2020年3月に高校卒業!大学へ進学した?
2020年3月、本人はM!LK公式ブログで高校を卒業したことを報告しています。普段は学校についてあまり話してこなかったものの、大きな一区切りだったためブログに載せることにしたと記していました。
「1人の社会人として歩き始めます」
出典:M!LKオフィシャルブログ「君ココ 柔太朗」(2020年3月)
高校卒業後の大学について、本人や所属先が大学名や在学状況を正式に公表した情報は見当たりません。高校卒業時の「社会人として歩き始めます」という言葉だけで、大学へ進学していないと断定することもできません。
出身小学校・中学校・高校の具体的な校名や、大学への進学有無については、公表された確かな情報の範囲を超えて学校名を断定しないよう注意が必要です。
中学3年で原宿へ!サッカー用品を買いに行った日にスカウト
芸能界との最初の接点は、中学3年生のころでした。
東京へ出かけた目的は芸能事務所のオーディションでも、芸能人になるための準備でもありません。友人と一緒に原宿へ行き、サッカー用品を見ることが目的でした。
原宿・竹下通りを歩いていたところ、スターダストプロモーションからスカウトされます。長く続けてきたサッカーに関係する買い物へ出かけた日が、それまで考えていなかった芸能界との入口になりました。
友人の前では「興味がない」ように振る舞った
突然声をかけられた山中は、その場ですぐ芸能界へ気持ちが傾いたわけではありませんでした。
当時一緒にいたのは友人です。本人は後年、友人の前で格好をつけたくなり、渡された名刺を「いらない」というような態度で受け取っていたと笑いながら話しています。
ところが、名刺そのものは捨てずに持ち帰りました。家で母親に見せると「やってみなよ」と勧められ、スターダストプロモーションで活動する道へ進みます。
サッカーでは県選抜まで経験していましたが、芸能の仕事はまだ何も始まっていない状態。高校進学を前に、その二つを同時に考える時期に入りました。
芸能界に入りEBiDAN研究生へ!ダンスを一から学んだ時代
スターダストプロモーションに入ったあと、すぐにM!LKのメンバーになったわけではありません。
山中はレッスンを受けながらEBiDAN研究生として活動し、アイドルとしてステージに立つための歌やダンスを身につけていきます。
デビュー前には木村柾哉からダンスを教わっていた
この時期の意外な接点が、のちにINIとして活動する木村柾哉です。2024年に映画『あたしの!』で共演した二人は、それ以前から先生と生徒という関係で知り合っていました。
山中がまだ少年だったころ、木村はダンスを教える側。木村は後年、当時の山中について「幼くて、少年というか子供だった」と振り返っています。
山中の側には「ちょっと怖めの先生」という記憶が残っていました。芸能活動を始め、ステージに必要なダンスを学んでいた時期を知る人物と、何年もあとに俳優同士として共演することになります。
BATTLE BOYS 1st全国選抜へ
EBiDAN研究生としての活動の中で、山中はBATTLE BOYSの1st全国選抜メンバーに選ばれました。
BATTLE BOYSはEBiDAN研究生によるプロジェクトで、全国から選ばれたメンバーが楽曲やライブで経験を積む場でもありました。山中にとって、ここでの活動がM!LKへ続く直接的な土台になります。
M!LK公式YouTubeでは、後年「山中柔太朗の歴史」として栃木のサッカー少年だった時代からアイドルになるまでを本人とメンバーが振り返っています。
BATTLE BOYS全国選抜からM!LK新メンバーオーディションへ
BATTLE BOYSで活動していた2018年、山中に新しい話が届きます。M!LKへ新メンバーを加えるためのオーディションでした。
同じBATTLE BOYS 1st全国選抜として活動していた曽野舜太、琉弥とともに、この機会へ挑むことになります。
M!LKの話を聞いて挑戦をすぐに決めた
BATTLE BOYSの活動には楽しさもやりがいも感じていました。それでもM!LK新メンバーの話を聞いた山中は、迷い続けるより先に動きました。
「絶対にチャンスだ」
出典:音楽ナタリー「M!LK『Over The Storm』インタビュー」(2018年11月14日)
オーディションを受けること自体はすぐに決めたものの、合格後には別の感情も生まれました。すでに活動しているM!LKへ途中から入り、既存メンバーと一緒に新しいグループを作っていくことへの心配です。
初めて既存メンバーと顔を合わせた際、佐野勇斗、板垣瑞生、吉田仁人、塩﨑太智が温かく迎えてくれたことで、その不安は薄れていったと話しています。
加入決定から初披露までは約1カ月
M!LKへの加入が決まってから「EBiDAN THE LIVE」で披露するまでの準備期間は約1カ月でした。
山中にとっては、それまで聴いていたM!LKの曲を自分が踊る時間です。最初はそのこと自体が楽しかったものの、練習を重ねるにつれて、新しい体制を形にする大変さも感じるようになりました。
それでも、練習した分だけ完成へ近づいていく感覚にはやりがいがあったと話しています。
2018年8月にM!LK加入!EBiDAN THE LIVEで新しいスタート
2018年8月、山中柔太朗、曽野舜太、琉弥の3人がM!LKへ加わることが発表されました。
山中は発表当日、自身の言葉でファンへ報告しています。それまで応援してくれたBATTLE BOYSのファンへの思いと、新しい場所へ進む覚悟の両方が書かれていました。
「自分自身覚悟決めてこの場に居させて頂いております。」
出典:M!LKオフィシャルブログ「M!LK 山中柔太朗」(2018年8月)
「EBiDAN THE LIVE 2018」では、新しいM!LKとして楽曲を初披露しました。サッカーを続けていた中学時代には想像していなかった場所で、今度はグループの一員としてステージに立つことになりました。
同年11月には、新体制初のシングル「Over The Storm」をリリース。サッカー用品を買いに出かけた原宿で声をかけられてから、レッスン、EBiDAN研究生、BATTLE BOYSを通り、M!LKとしての活動が本格的に始まります。
高校を卒業した2020年には、自分を「1人の社会人」と表現しました。そのころには、芸能活動を始めるか迷っていた中学生の姿から、M!LKの一員として次のステージを目指す立場へと変わっていました。
長く続けたサッカーを手放して選んだもう一つの道。その入口は、オーディション会場ではなく、友人と歩いていた原宿の竹下通りでした。





























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