timeleszのメンバーとしてステージに立ち、俳優としても活動する佐藤勝利。デビュー当時から端正なルックスが注目されてきましたが、子どものころから芸能界を目指していたわけではありません。
好きだったのは、秘密基地を作ることや車で遊ぶこと。自然の中で起きることに疑問を持ち、両親に質問することも多い少年でした。将来について考えたとき、頭に浮かんでいたのもアイドルではなく自動車の世界です。
中学生になると陸上部で長距離に取り組み、自分のお年玉でラジコンを買いに父親と表参道へ出かけます。その外出が、まったく予想していなかった芸能界への入口につながりました。
14歳の誕生日に向かったオーディション会場で、佐藤勝利の気持ちは「行きたくない」から「この場所で負けたくない」へ変わります。
秘密基地で遊んでいた少年が、約1年後にはSexy Zoneのメンバーとして大勢のファンの前に立っていました。その間に何があったのか、昔の本人の言葉と具体的な出来事から見ていきます。
佐藤勝利の若い頃は?内弁慶で秘密基地が好きだった少年時代
佐藤勝利が後年振り返った子ども時代には、現在のステージ上の姿とは少し違う一面があります。知らない人の前へどんどん出ていくというより、場所や相手によって表情が変わる子でした。
仲間内ではふざけるのに外では静かな子だった
気心の知れた仲間と一緒なら、ふざけたり周囲を笑わせたりするのが好き。一方で、普段とは違う場所へ行くと急に静かになってしまうこともあったそうです。
「内弁慶だったと思います。」
出典:bis「Sexy Zoneの佐藤勝利さんが明かす♡ 子どものころ好きだったものと、夢に繋がった道」(2022年5月12日)
学校では人を笑わせることも好きでした。人前に出ること自体が苦手だったというより、自分の知っている場所では賑やかに過ごし、知らない環境ではおとなしくなる少年だったようです。
幼いころの学校行事では劇の主役に自分から手を挙げることもありました。後にオーディション会場で急に負けず嫌いな気持ちが表に出る場面にも、こうした一面が重なります。
テレビと段ボールで「自分専用の映画館」を作った
家の中で好きだった遊びのひとつが秘密基地作りでした。テレビに布をかけ、その周りに段ボールを立てかけて、自分だけの「専用映画館」のような空間を作っていたと振り返っています。
そこで兄たちと一緒にテレビを見ることもあれば、押し入れに入って一人の時間を楽しむこともありました。大きなおもちゃがなくても、身近にある物から自分の場所を作って遊んでいたのです。
車も小さいころから好きで、ミニカーやラジコンでよく遊んでいました。きょうだいが多かったため、玩具は年上の兄からのお下がりをもらうことも多かったそうです。
自然や科学に夢中!小さいころの夢は自動車会社
興味は車だけではありませんでした。海にはなぜ波があるのか、なぜ雨が降るのか。自然や科学に関する疑問が浮かぶと、両親に「どうして?」と尋ねていたといいます。
両親もその質問を適当に終わらせず、一緒に考えたり答えたりしてくれました。当時は音楽や芸能よりも、身近な世界の仕組みや自動車への関心のほうが強かったようです。
小学生のころには自動車のショールームにも足を運び、水素で走る車にも興味を持ちました。自動車会社に勤め、その後は自分の会社を作りたいと考え、車につけるエンブレムまで思い描いていました。
「小さいころは自動車会社を作りたいと思っていました。」
出典:bis「【Sexy Zone 佐藤勝利】さらにアグレッシブに!」(2023年3月22日)
小学校低学年のころには、自動車工場のホームページを自分で見つけ、個人で参加できる工場見学へ申し込みました。まだ一人では行けない年齢だったため親が付き添いましたが、申し込みそのものを自分から動いて行ったという話です。
工場では担当者に案内されながら、自分のためだけに時間が用意されたような感覚を味わったといいます。アイドルになる前の佐藤勝利が最初に強く思い描いていた未来は、ステージではなく車を作る側にありました。
佐藤勝利の家族構成は?父・母・姉・兄2人との昔のエピソード
佐藤勝利は、年齢の離れたきょうだいに囲まれた末っ子として育ちました。幼いころに兄のお下がりのミニカーやラジコンで遊んでいたことも、年上のきょうだいがいる家庭ならではの思い出として残っています。
4きょうだいの末っ子!9歳上の姉と2人の兄
家族は父親、母親、9歳上の姉、7歳上の兄、5歳上の兄、そして本人。佐藤勝利は4きょうだいの一番下です。上の3人とは年齢が離れていました。
「かわいがられたとは思いますね」
出典:スポニチ「セクゾ佐藤 6年前に他界した父への思い」(2022年8月24日)
年齢差があるぶん、本人にとって兄や姉は同年代の遊び相手とは少し違う存在でした。それでも、兄のお下がりで遊んだり、一緒にテレビを見たりした記憶が子ども時代の話に自然に登場します。
「勝利」と名付けた父親との思い出
父親について佐藤勝利は、家の中では明るい人だったと語っています。仕事で嫌なことやつらいことがあっても、家のドアを開けたら忘れるという考えを持ち、家庭へ暗い顔を持ち込まなかったそうです。
「勝利」という名前を付けたのも父親でした。上の3人の出産には立ち会えなかった父親が、末っ子の誕生で初めて出産に立ち会えたことが、名前につながっています。
父親は、生まれてくる赤ちゃんの姿を見て「赤ちゃんが生まれただけで勝利」と感じ、「勝利」と名付けました。
父親は2016年9月、57歳で病気のため亡くなっています。具体的な病名は公表されていません。体調を崩してからも車椅子でライブ会場へ足を運び、佐藤勝利はステージ上から父親の姿を見つけることがあったと話しています。
厳しかった母親が芸能界への入口を作った
母親は、家庭の中ではしつけに厳しい面があったそうです。佐藤勝利は14歳で仕事を始めたとき、挨拶や礼儀を一から覚える前に、すでに家庭で教えられていたことが役立ったと振り返っています。
そして、芸能界と佐藤勝利を結びつけたのも母親でした。本人は自分から芸能事務所へ入りたいと考えていたわけではありません。街中で別の芸能事務所から声をかけられたことを知った母親が、ある行動に出ます。
その出来事がなければ、車が好きだった少年の進路はまったく別のものになっていた可能性もあります。履歴書が送られ、佐藤勝利は初めてオーディションという場所へ向かうことになりました。
佐藤勝利の学歴は?中学の陸上部から高校、大学受験まで
学生時代の佐藤勝利には、運動と表現の両方にまつわる記録があります。中学校で取り組んだ陸上、学校での俳句、そして芸能活動開始後には仕事と学業を並行する生活へ変わっていきました。
中学時代は陸上部!長距離で東京都8位
中学校では陸上部に所属し、専門は長距離でした。本人がラジオで振り返ったところでは、長距離の成績で東京都8位となり、そのときの賞状も持っていると話しています。
ところが、後の芸能界入りにつながる一枚の写真は、長距離で結果を残したときではなく、思いどおりに走れなかった日のものでした。
ある大会で短距離選手の代わりに出場することになり、初めて母親も呼んで準備していました。ところが会場スタッフによる呼び出しに気づかず、待っている間に自分のレースが終了。結果は棄権になってしまいます。
そのとき撮られたのが、悔しそうな表情をした写真でした。後に母親が芸能事務所へ履歴書を送る際、この「悔し顔」の写真が応募写真として使われています。
佐藤勝利が通った具体的な小学校・中学校・高校名については、本人の公式プロフィールでは公表されていません。ネット上の学校名を推測で学歴として断定しない形にしています。
俳句でも賞を取った学生時代
運動部で走っていた一方、中学時代には俳句でも賞を取った経験があります。スポーツだけに時間を使っていた生徒ではなく、言葉を使う学校活動にも結果を残していました。
このころにはまだ、音楽やダンスを長く習ってきたわけではありません。陸上部で長距離を走り、学校生活を送りながら、芸能界とは距離のある毎日を過ごしていました。
高校生活と大学受験!合格後に進学しなかった
中学在学中に芸能活動が始まったため、高校年代にはすでにSexy Zoneとしての仕事と学校生活が重なっていました。テレビ、コンサート、舞台などの仕事が増える中で学業も続けています。
高校卒業後については、大学へ進学していません。ただ、最初から大学を選択肢から外していたわけではなく、大学受験そのものには挑戦していました。
2017年の映画『ハルチカ』舞台挨拶では、自身も大学を受験し、合格したものの進学しなかったことを語ったと報じられています。受験期には仕事が終わったあと、深夜まで塾へ通っていた時期もありました。
合格した大学名は公表されていません。具体的な大学名を挙げた情報もありますが、本人が明かしていない学校名は学歴として扱わないのが適切でしょう。
14歳の誕生日にオーディション!佐藤勝利の入所のきっかけ
佐藤勝利が芸能界へ近づいたきっかけは、歌番組でもアイドルへの憧れでもありません。中学2年生のころ、自分のお年玉でラジコンを買うため、父親と表参道へ出かけたことから始まりました。
街中で2度スカウトされ母親が履歴書を送った
表参道を歩いていた佐藤勝利は、芸能関係者から声をかけられました。後年『徹子の部屋』では、ジャニーズとは別の芸能事務所から街中で2度スカウトされたと振り返っています。
本人に芸能界へ入りたいという強い気持ちはありませんでした。しかし母親は、一度ではなく二度声をかけられたことを受け、「それならジャニーズにも挑戦してみては」と考え、応募しました。
佐藤勝利自身は乗り気ではなく、目立つことが嫌いというほどではないものの、一番前へ出ていくタイプでもなかったと話しています。オーディションへ行くことにも最初は抵抗がありました。
誕生日会とオーディションのどちらへ行くか迷った
オーディションの日は、佐藤勝利自身の14歳の誕生日でした。友人たちとの誕生日パーティーを予定していたため、本人にとっては楽しみにしていた予定と、気乗りしないオーディションが同じ日に重なったことになります。
誕生日会へ行くのか、それともオーディションへ行くのか。本人は直前まで迷っていましたが、母親からせっかくなのだからと背中を押され、会場へ向かいました。
2010年10月30日。後に本人が「10月で入所から丸10年」と振り返っていることとも重なり、この日のオーディションがジャニーズJr.として活動する起点になりました。
扉を開けた瞬間「この場所で負けたくない」に変わった
気持ちが変わったのは、オーディションを受けると決めたときではありません。会場へ到着し、スタジオの扉を開けた瞬間でした。
そこには同世代の参加者が大勢集まり、歌やダンスで自分を見せようとしていました。それまで芸能界に興味が薄かった佐藤勝利の中で、突然、負けず嫌いな気持ちが表に出ます。
「この場所で負けたくないな」
出典:スポニチ「セクゾ佐藤 デビューのきっかけを告白」(2022年8月24日)
さらに「ここでトップになろう」という気持ちまで湧いてきたと振り返っています。家を出るまでは行きたくないと思っていたのに、ライバルを目の前にしたところで気持ちが切り替わりました。
後年、佐藤勝利はtimeleszの新メンバーオーディションでは選ぶ側に立つことになります。自分自身もオーディションから始まった人物だからこそ、候補生を前にしたときの姿は当時との大きな対比になりました。
ただし、2010年の本人は候補生を見る立場ではありません。ダンス経験もないまま、自分が残るために振り付けを覚えなければならない参加者の一人でした。
佐藤勝利のジュニア時代は?入所から約11か月でSexy Zoneへ
オーディションでは、その後も長く交流が続く人物との出会いがありました。Travis Japanの宮近海斗です。当時はお互いの名前さえ知らない状態でした。
宮近海斗にダンスを教えてもらったオーディション
宮近海斗はすでにダンス経験があり、佐藤勝利は未経験。オーディションは参加者同士が競う場所ですが、宮近は分からない振り付けを佐藤勝利へ自然に教えてくれたそうです。
「あいつはダンス経験者で、俺はダンスしたことがなくて。」
出典:マイナビニュース「佐藤勝利、宮近海斗とのオーディション秘話」(2020年9月6日)
合格するためには周囲もライバルになる状況で、何の得にもならないのに教えてくれた。そのとき感じた宮近の優しさは、年月がたっても本人の記憶に残っていました。
ダンス未経験から始まったジャニーズJr.時代
オーディション後、佐藤勝利はジャニーズJr.として活動を始めます。長くダンススクールへ通っていたわけではないため、振り付けを覚えることもステージに立つことも、新しく身につけていく側でした。
ところが、ジュニアとして経験を積む期間は長くありませんでした。本人も後年、ジャニーズに入ってから1年もたたずにデビューし、目の前にあることをこなすのに必死だったと振り返っています。
入所から何年も下積みを続けてからグループへ入ったのではなく、芸能界へ興味がなかった中学生がダンスを一から覚え始めた直後に、状況が大きく動いていきます。
2011年9月29日、14歳でSexy Zoneのメンバーに
2011年9月29日、帝国劇場で新グループ「Sexy Zone」の結成とCDデビューが発表されました。メンバーは佐藤勝利、中島健人、菊池風磨、松島聡、マリウス葉の5人です。
この時点で佐藤勝利は14歳。オーディションを受けてから、まだ約11か月しかたっていませんでした。5人は白い衣装で赤いバラを手にし、帝国劇場のステージで初披露されています。
グループ名に込められた「マイケル・ジャクソンのようなセクシーさ」というコンセプトとともに、デビュー曲「Sexy Zone」も披露されました。芸能界に入るつもりのなかった少年が、本格的にアイドルとして活動を始めた瞬間です。
結成発表からCD発売までにも、テレビやバレーボールのスペシャルサポーターなど新しい仕事が続きました。まだ15歳になる前から、佐藤勝利はグループの一員として表舞台へ立つ生活に入っています。
佐藤勝利のデビュー当時は15歳!初イベントからCDデビューへ
Sexy Zone結成後、佐藤勝利は10月30日に15歳の誕生日を迎えます。そしてCD発売前日の2011年11月15日、5人にとって初めての単独お披露目イベントが開かれました。
1万2000人が集まったラゾーナ川崎の初イベント
会場は神奈川県のラゾーナ川崎。デビュー前のグループにもかかわらず、約1万2000人のファンが集まりました。先輩グループのコンサートへ出演した経験はあっても、5人だけでファンの前に立つイベントはこれが初めてでした。
ステージではデビュー曲「Sexy Zone」と「With you~Sexy Zone」のメドレーを披露。翌日に迫ったCDデビューを前に、佐藤勝利は集まったファンへ喜びを言葉にしています。
「待ちに待ったCDデビューなので、とっても嬉しいです!」
出典:ORICON NEWS「Sexy Zone、初お披露目イベントに1万2000人」(2011年11月16日)
イベントでは当初予定されていた歌唱だけでなく、メンバーの呼びかけから急きょ握手会も行われました。オーディション会場でダンスを教わっていたところから、およそ1年後の光景です。
2011年11月16日「Sexy Zone」でCDデビュー
翌11月16日、Sexy Zoneはシングル「Sexy Zone」でCDデビューしました。デビュー当日には東京・国立代々木競技場第一体育館で会見も行われています。
15歳になったばかりの佐藤勝利は、デビューを「僕たちにとって、歴史の1ページ」と表現しました。前夜の初イベントを終えても、本人にとってはそこで完成ではなく、グループとしての活動が始まる日でした。
自動車会社を作ることを思い描き、陸上部で長距離を走っていた少年が、誕生日に開けたオーディション会場の扉。その日から約1年で、佐藤勝利はCDデビューまで進みました。
現在はtimeleszのメンバーとして活動していますが、その出発点にあったのは、最初から準備されたアイドル生活ではありませんでした。気乗りしないまま向かったオーディションで「負けたくない」と感じた14歳の一日から、佐藤勝利のアイドルとしての時間が始まりました。




























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