Travis Japanのメンバーとして、歌やダンスだけでなく、ギターや作詞作曲でも自分の色を見せている松倉海斗。
ステージでは全身を使ったパフォーマンスを見せますが、アイドルになる前には、小学6年生まで水泳を続けていた少年時代がありました。KinKi Kidsを好きになり、テレビやコンサートの向こう側にいたアイドルへ少しずつ憧れを強めていきます。
2009年には嵐の10周年ライブを見て、「同じステージに立ちたい」という気持ちがさらに強くなりました。
2010年10月30日に事務所へ入り、その約1か月後には公式記録に残るコンサートへ出演。その後、松田元太との「松松」、Sexy松、そしてTravis Japanへと活動の場がつながっていきます。
本人が27歳の誕生日に開設した公式Instagramの最初の投稿では、幼少期の写真も公開されました。現在の姿だけではなく、まだアイドルになる前の松倉海斗を見ることができる一枚です。
松倉海斗は昔どんな子だった?幼少期と少年時代
松倉海斗は1997年11月14日生まれ。STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでは神奈川県出身とされています。
子どものころに続けていたものの一つが水泳でした。小学6年生まで水泳を習い、一般的な習い事のクラスよりさらに競技を意識した選手育成コースにも所属していたことが後年紹介されています。
2025年には、その経験を生かして水泳企画へ参加。子どものころに身につけた泳ぎが、大人になってからテレビ番組で再び披露されることになりました。
小学生のころからKinKi Kidsが好きだった
スポーツだけでなく、松倉の中では早い時期からアイドルへの興味も芽生えていました。小学生のころに好きだったのがKinKi Kidsです。
小4のときには「ジャニーズに入りたい」って言ってました。
出典:non-no web「Travis Japanの素顔に接近!vol.3」(2020年3月23日)
同じインタビューでは、小学4年生のころに一度履歴書を送り、そのときはオーディションに呼ばれなかったとも振り返っています。その後、母親が再び履歴書を送ってくれたという話もしています。
一方で、後のBAILAのインタビューでは、2009年に見た嵐の10周年ライブをアイドルへの直接的なきっかけとして語りました。昔の応募については、本人の回想の中でも語り方が少し異なっています。
堂本剛への憧れからギターと作詞作曲へ
松倉がKinKi Kidsの中でも特に影響を受けた人物として挙げているのが堂本剛です。
Travis Japanではギターを弾き、作詞作曲にも取り組んでいますが、そのきっかけについて本人は堂本剛のアーティスティックな姿への憧れだったと話しています。
2026年のSUMMER SONICでは、堂本剛と再会した際の写真を自身のInstagramに投稿しました。子どものころから見ていた先輩と、同じ音楽イベントの場で顔を合わせるまでになっています。
幼少期から何度も見ていた「ハイスクール・ミュージカル」
音楽やステージに触れていた記憶は、日本のアイドルだけではありません。
2026年には「ハイスクール・ミュージカル」について、幼少期から何度も見て、歌って育った作品だと自身のInstagramで振り返っています。
水泳を続ける一方で、家ではアイドルやミュージカルの音楽にも親しんでいた少年時代。その両方が、のちのダンスや歌、舞台での表現へつながっていきます。
松倉海斗の家族構成は?母親や祖父とのエピソード
松倉海斗は、家族についてインタビューでたびたび話しています。特にアイドルへの入口で登場するのが母親です。
父親や兄弟姉妹については、本人の公式プロフィールで詳しい家族構成は公表されていません。家族の氏名や職業など、一般人家族の詳細も明らかにされていないものがあります。
母親がもう一度履歴書を送ったと語った松倉海斗
松倉はnon-noのインタビューで、小学4年生のころに「ジャニーズに入りたい」と思って履歴書を送ったものの、その時点ではオーディションへ呼ばれなかったと振り返っています。
そこで後に動いたのが母親でした。本人によれば、母親が再び履歴書を送ってくれたことが、その後につながったといいます。
2026年に出演したテレビ番組でも、現在も悩みがあると母親へ電話することを明かしています。以前は週に3~4回ほど電話していた時期もあり、現在は頻度を減らして週1回ほどにしていると話していました。
松田元太も訪れていた松倉家
母親は、松田元太との「松松」の関係にも登場します。
松田が松倉の家へ遊びに行った際には、松倉が席を外している間、母親が食事を作っていたことがありました。そのとき母親から、2人は本当にいつも一緒にいるという趣旨の言葉をかけられたと松田が振り返っています。
さらに松倉と松田、それぞれの母親を含む4人には「松松松松」という名前のトークルームまであったそうです。本人たちだけでなく、母親同士にも交流がありました。
デビューを待っていた祖父のダルマ
家族が長くデビューを待っていたことを物語るのが、祖父が用意していたダルマです。
Travis Japanのデビューが決まった際、松倉は家族や親戚へ電話で報告しました。祖父は以前からダルマを用意し、片方の目だけを入れていたそうです。
「海斗がデビューをしたらもうひとつの目玉を描く」と決めていた祖父から、デビュー後に両目が入ったダルマの写真が届きました。
目玉が入ったダルマの写真がおじいちゃんから送られてきたときは感動でした
出典:BAILA「Travis Japan 松倉海斗さんスペシャルインタビュー!」(2023年1月5日)
松倉海斗の学歴は?小学校・中学校・高校・大学について
松倉海斗の学校名については、公式プロフィールでは小学校・中学校・高校・大学の具体的な名称は公表されていません。
ただし、学校へ通っていた年代と芸能活動の記録を重ねると、中学生のころからJr.として仕事を始め、高校年代にはステージやドラマ、舞台へ活動が広がっていたことが分かります。
小学校時代は水泳を小学6年生まで継続
小学校時代の学校名は公表されていませんが、この時期に続けていた習い事として具体的に分かっているのが水泳です。
小学6年生まで続け、選手育成コースに入っていました。後に松田元太から紹介されたプロフィールでも、松倉の特技として水泳が挙げられています。
また、小学生時代には、男子から嫌がらせを受けていた女子の間に入り、「やめろ!」と止めたという学校での昔話も本人が明かしています。
中学生の年代で事務所へ入所
松倉の入所日は2010年10月30日。生年月日から見ると12歳で、中学1年生にあたる時期でした。
学校生活が始まったばかりの年代で、放課後や休日にはレッスンやステージへ向かう生活も始まったことになります。
入所から1か月もたたない2010年11月26日と27日には、NHKホールで行われた「年末ヤング東西歌合戦!東西Jr.選抜大集合2010!」に松倉海斗の出演記録が残っています。
高校年代にはSexy松や舞台で活動
高校名も公式には公表されていません。
一方、高校年代にあたる時期にはJr.としての活動が大きくなっていました。2014年には松島聡、松田元太とともにSexy松(Show)として活動。2015年にはドラマ出演や舞台など、仕事の幅も広がっています。
2015年のインタビューでは、二宮和也のように歌、ダンス、演技、トークまでできる存在への憧れを語り、自分が目指している先をはっきり言葉にしていました。
スーパーアイドルになりたいです
出典:女性自身「気になるジャニーズJr.インタビュー 松倉海斗編」(2015年7月2日)
大学や卒アルは公表されている?
大学については、本人の公式プロフィールに大学名や学部などの記載はありません。具体的な進学先を本人が公式に公表した情報もありません。
卒業アルバムについても、本人が「卒アル」として公式公開した画像ではありません。2024年に個人Instagramを開設した際には幼少期の写真を公開していますが、卒業アルバム写真とは別のものです。
嵐の10周年ライブから2010年10月30日の入所へ
松倉がアイドルを目指した理由として、本人が具体的な年まで挙げている出来事があります。
2009年に行われた嵐の10周年ライブです。ステージ上で輝く5人を見て、自分もいつか同じ場所へ立ちたいと思ったと話しています。
アイドルを目指したきっかけは’09年の嵐10周年ライブ。
出典:BAILA「推すべきNextブレイクジャニーズJr. Travis Japan 松倉海斗インタビュー」(2021年1月21日)
このインタビューでは、ライブを見た後、自分で履歴書を送ったと説明しています。
一方、non-noでは、小学4年生で一度履歴書を送った後、母親が再び送ったとも語っています。応募の細かな順序について本人の回想には違いがありますが、2010年10月30日に事務所へ入所した日付は複数のプロフィールや後年の本人発言で一致しています。
12歳だった松倉海斗にとって、憧れて見ていたステージへ自分が立つ生活がここから始まりました。
2024年の誕生日に行ったInstagramライブでも、松倉自身が「10月30日入所」と振り返っています。
ジュニア時代の松倉海斗と松田元太
松倉海斗のJr.時代を語るうえで欠かせない存在が松田元太です。
現在は「松松」として知られる2人ですが、事務所から「今日から松松」と名前を与えられて始まったコンビではありません。ステージでシンメとして並ぶようになり、ファンの間で呼び名が定着していきました。
“松松”はいつから始まった?
本人たちが昔を振り返った際にも、最初にシンメになった正確な日付までは覚えていませんでした。
松倉はスマートフォンで当時の日程を探しながら、2012年の「SUMMARY」、A.B.C-Z公演の初日だった8月6日あたりではないかと話しています。
最初はお互いに違う人とシンメを組んでて、なんかの流れでこの二人になったんだよね。
出典:non-no web「Myojo Jr.大賞コラボ企画 いちばんいいコンビ部門大発表!」(2022年3月19日)
最初から固定されたコンビだったわけではなく、それぞれ別の相手と組んでいたところから、松倉と松田の組み合わせへ変わっていきました。
2025年には、2人で「小さな恋のうた」を歌った後、松倉が松田と出会ったころを思い出したとInstagramに記しています。長く活動してきた2人が、デビュー後に改めて一緒に歌う機会になりました。
Travis Japanの公式YouTubeでは、松倉自身の交友関係をたどる「松倉海斗の相関図」企画も公開されています。Jr.時代から続くメンバーとの関係を本人の言葉と表情で見ることができます。
2014年にSexy松として活動
2014年5月には、松島聡を中心に松倉海斗、松田元太の3人による「Sexy松(Show)」が発表されました。
当時の松倉は16歳。3人の名字に「松」が入っていることを生かしたユニット名について、こんな目標を口にしています。
世界中の松がつく人を超えて有名になりたい
出典:スポニチ「セクゾに弟が!『Boyz』『松(Show)』誕生」(2014年5月6日)
翌2015年のインタビューでは、Sexy松について3人が「平和」「癒し系」と言われる関係だと話し、シアタークリエで行った公演では、松倉自身も構成を考えたと明かしています。
2026年には松島聡、松田元太と再びSexy松としてステージに立ち、松倉自身もその日の写真を公式Instagramへ残しました。Jr.時代に作られた組み合わせが、年月を経て再び3人で並ぶことになりました。
松田元太とTravis Japanへ加入
松倉と松田に大きな変化が訪れたのは2017年11月です。
当時5人で活動していたTravis Japanへ、松倉海斗と松田元太が加わりました。ここで現在につながる7人体制になります。
加入する側だけでなく、迎える側にも変化がありました。宮近海斗は後のインタビューで、2人がすぐグループになじみ、「この7人で上を目指したい」と思えたことを振り返っています。
七五三掛龍也も、5人から7人になったことでパフォーマンスや歌の幅が広がり、松松が入ってからデビューへの道が見えてきたと話しています。
松倉自身にとっても、Jr.として一人で活動を始めた2010年から、松田とのシンメやSexy松を経てたどり着いたグループでした。
Travis Japanはその後もJr.として活動を続け、単独公演やオリジナル曲を増やしていきます。すぐにデビューが決まったわけではありません。
ロサンゼルス留学を経て2022年に世界デビュー
2022年、Travis Japanは日本での活動をいったん離れ、アメリカ・ロサンゼルスへ渡りました。
現地では共同生活をしながら、語学、ダンス、ボーカルのレッスンを受け、ダンス大会「WORLD OF DANCE」やアメリカのオーディション番組「America’s Got Talent」にも挑戦しました。
そして2022年9月、Capitol Recordsとの契約と、10月28日の全世界メジャーデビューが発表されます。
唯一無二の挑戦者となりTravis Japanの時代を全世界で切り拓いていけたらと思います。
出典:ORICON NEWS「Travis Japan、10・28全世界メジャーデビュー決定」(2022年9月29日)
デビュー直前には、Travis Japan公式Xで松倉海斗のソロアーティスト写真も公開されました。長く続いたJr.としての活動から、デビューアーティストへ肩書きが変わる直前の公式記録です。
2022年10月28日、「JUST DANCE!」が全世界へ配信され、Travis Japanはメジャーデビューしました。
その知らせを待っていた家族の中で、祖父が準備していたダルマにも、ようやく二つ目の目が入りました。
入所から年月がたった2024年、松倉は自身の誕生日にこれまでを振り返り、支えてくれた人たちへの感謝とともに短い言葉を残しています。
末永くアイドルで居続けたい
出典:ORICON NEWS「Travis Japanの松倉海斗、27歳の誕生日にインスタ開設」(2024年11月14日)
2010年10月30日に始まったアイドルとしての日々は、2022年のデビューで終わったのではなく、そこからまた新しいステージへ移りました。
小学生のころに憧れて見ていたステージ。その場所へ自分で立つようになり、松倉海斗は今もアイドルとして活動を続けています。




























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