timeleszのメンバーとして活動する橋本将生。オーディション「timelesz project」で初めて知った人も多いかもしれませんが、彼の芸能活動はタイプロから始まったわけではありません。
timelesz加入前にも、橋本将生はVOYZ BOYのメンバーとしてステージに立っていました。
さらにさかのぼると、高校時代には『恋する♥週末ホームステイ Season3』に出演。小学生のころから長く続けたサッカー、18歳ごろのスカウト、VOYZ BOY、JUNONへの挑戦、焼肉店で働いていた時期を経て、もう一度大きな舞台を目指しています。
VOYZ BOYでの活動を終えた後も、本人の中には東京ドームへ立ちたいという夢が残っていました。その夢とtimeleszが掲げていた5大ドーム制覇が重なったことが、タイプロへの応募につながります。
ここからは、橋本将生がどんな少年時代を送り、どのように芸能界と出会い、現在のtimeleszへたどり着いたのかを時系列で追っていきます。
橋本将生は昔どんな子だった?サッカーを続けた少年時代
橋本将生の少年時代を語るうえで外せないのがサッカーです。本人は、小学1年生から高校3年生まで続けていたと話しており、学校生活のかなり長い期間をサッカーとともに過ごしていました。
小1から高3まで続けたサッカー
現在は白い肌の印象もありますが、サッカーをしていた当時は屋外で過ごす時間が長く、本人いわく昔はかなり日焼けしていたそうです。小学校から高校卒業まで続けたという長さを考えると、一時的な習い事ではなく生活の一部だったことがうかがえます。
小1から高3までサッカーをやっていたので、昔は真っ黒だったんですよ。
出典:MAQUIA「timelesz 橋本将生さん『女性は愛嬌のある人を美しいなと思います。自分を理解している人も素敵』」(2025年6月24日)
サッカーを始めたのはまだ幼い小学校1年生のころ。そのまま中学、高校へ進んでも競技を続けており、芸能界と接点を持つようになる高校時代までサッカー少年としての時間が続きました。
後年のタイプロでは歌やダンスを審査されることになりますが、橋本が長く向き合ってきた活動の出発点はスポーツでした。高校生活の終盤には、サッカーとは別の場所から人前に出る機会も訪れます。
昔から引っ込み思案で前に出るタイプではなかった
長くサッカーを続けていた一方、性格は自分からぐいぐい前へ出るタイプではなかったそうです。タイプロ期間中のインタビューで、橋本自身が昔から引っ込み思案だったと振り返っています。
それでも、人を喜ばせることは好きだったと話しています。自分の歌や踊りで誰かが笑顔になることにはうれしさを感じており、人前に出ることへの戸惑いと、表現する仕事への興味が同時にあったようです。
高校時代にはテレビ番組へ出演し、その後はスカウトをきっかけに歌とダンスへ進みます。もともとの性格とは少し離れた場所へ踏み出しながら、人前に立つ経験を増やしていった時期でした。
橋本将生の家族構成は?母親・姉とのエピソード
橋本将生が本人の言葉で存在を明かしている家族には、母親と姉がいます。一般人である家族の氏名や職業などは公表されていませんが、インタビューでは家族との距離の近さが伝わる話がいくつか出ています。
MAQUIAでは、自身の肌について話すなかで、母親と姉も肌がきれいだと語っています。外見について自分一人の特徴として語るのではなく、「橋本家のDNA」という表現を使っていたのも家族を身近に感じさせる一場面です。
姉の悩み相談に深夜まで付き合うことも
姉との関係では、現在も相談を受けることがあるそうです。本人は友人関係について話したインタビューで、自分は人の話をよく聞き、悩み相談にも乗るタイプだと説明したうえで、姉との最近の出来事を挙げています。
深夜の3時半くらいまでずっと、姉の悩み相談に乗りました。
出典:MAQUIA「【timelesz橋本将生さん】彼はなぜこんなにも美しいのか?」(2025年10月10日)
同じインタビューでは、以前は地元に2人、東京に2人ほどの友人がいたとも話しています。大人数で常に行動するというより、近い相手との関係を大切にしてきた時期があったようです。
タイプロを終えた後のananでも、家族や地元の仲間に見守られたことが大きな支えになったと紹介されています。審査が長期間に及ぶなか、芸能活動の外にいる身近な人たちも橋本を支えていました。
橋本将生の学歴は?中学校・高校と学生時代
橋本将生の中学校・高校について、具体的な学校名は公式プロフィールでは公表されていません。一方で本人の発言や高校時代の番組出演から、学生時代について分かっていることはあります。
桑田佳祐と同じ中学校だったと本人が明かす
中学校について本人が触れたのは、木村拓哉のラジオ番組『木村拓哉 Flow』に出演したときでした。サザンオールスターズの桑田佳祐の話題になり、橋本は同じ出身地で、さらに中学校も同じだと語っています。
僕、桑田佳祐さんと中学校が一緒で…。
出典:TOKYO FM「木村拓哉 Flow」(2025年4月13日)
橋本の家では、車の中でサザンオールスターズの曲がよく流れていたそうです。後になって芸能界へ進んだ橋本にとって、地元の先輩にあたる桑田佳祐の音楽は、家庭の中ですでに身近な存在でした。
高校時代までサッカーを続け、テレビ番組にも出演
高校でもサッカーを続け、高校3年生までプレーしていました。その一方、高校生の時期にはABEMAの恋愛リアリティーショー『恋する♥週末ホームステイ Season3』にも出演しています。
大学や専門学校への進学については、本人の公式プロフィールなどで学校名や進学先が公表されていません。学生時代の後半から芸能活動との接点が増えていくため、ここから橋本の進路はステージの方向へ動いていきます。
高校時代の橋本将生は「恋ステ」に出演していた
橋本将生の昔を調べるとよく出てくる「恋ステ」は、ABEMAの『恋する♥週末ホームステイ Season3』のことです。公式の出演者一覧には「ピュア恋高校生」の東京男子として橋本将生の名前が掲載されています。
「はっしー」と呼ばれていた高校生時代
番組では橋本が「はっしー」と呼ばれています。当時のABEMAの番組紹介には、18年間彼女がいなかった「はっしー」という紹介もあり、現在のtimeleszで知った人にとってはかなり前の姿を確認できる記録です。
Season3では、東京の男子高校生が福岡の女子高校生のもとへ週末ホームステイする企画に参加しました。学校生活だけでは出会わない相手と限られた週末を過ごす番組で、芸能活動を本格化する前の橋本がカメラの前に立っています。
恋ステへの出演歴は、現在の恋愛事情を示すものではありません。ここで重要なのは、高校生の時点ですでにテレビ番組への出演経験があり、その後ほどなくして別の形で芸能界へ入っていったことです。
18歳ごろのスカウトからアイドルへの道が始まった
橋本の芸能活動が本格的に動き出したきっかけはスカウトでした。本人によると、もともと芸能界そのものに強い憧れを抱いていたわけではなく、スカウト後に歌とダンスのレッスンを始めています。
歌とダンスを始めて見つけた東京ドームという夢
始めてみると、歌うことや踊ることを楽しいと感じるようになります。そして18歳くらいのころ、橋本の中に「東京ドームに立つ」という具体的な目標が生まれました。
18歳くらいの頃に見た夢が東京ドームに立つことでした。
出典:anan「橋本将生『5大ドーム制覇の夢を一緒に叶えたい』」(2024年12月18日発売号)
約2,000人規模の会場でステージから客席のペンライトを見たとき、橋本は5万5,000人が集まる東京ドームの景色を想像したと振り返っています。
最初から巨大な会場だけを見ていたのではなく、目の前に広がった客席の光景が次の夢を具体的にしたという流れでした。この時期の経験が、後に一度立ち止まったあとも消えなかった目標につながっていきます。
VOYZ BOYで2018年から2021年まで活動
ORICON NEWSによると、橋本将生は2018年から2021年までダンス&ボーカルグループ「VOYZ BOY」に所属していました。現在のtimelesz加入より前に、すでにグループの一員として歌やダンスに取り組んでいたことになります。
VOYZ BOYは大人数のダンス&ボーカルグループで、2020年4月にはアルバム『ARRIVAL OF VOYZ BOY』をリリースしています。橋本が在籍していた時期には、グループとして音源を発表しながらステージ活動が続いていました。
橋本にとって、客席を前に歌い踊る経験はこの時代に積み重なっていきました。タイプロで初めて歌とダンスに触れた未経験者ではなく、以前の活動で得た経験を持ちながら再挑戦した候補生だったという点は、彼の経歴を理解するうえで欠かせません。
VOYZ BOYを離れた後はJUNON、焼肉店勤務へ
2021年まで続いたVOYZ BOYでの活動を終えた後も、橋本の挑戦が完全に途切れたわけではありません。翌2022年には、第35回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに参加しています。
2022年にジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ挑戦
JUNON TVの公式記録では、橋本将生は第35回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのBEST75に名前が掲載されています。BEST75に選ばれた75人の一覧で、橋本は52番として確認できます。
一方、その後に発表された最終ファイナリスト15人には入っていません。そのため「ジュノンボーイのファイナリストだった」とするのは正確ではなく、記事では公式に確認できるBEST75までを経歴として扱います。
VOYZ BOYを離れてからも別の入口を探し、コンテストへ参加していたことになります。ただ、そこからすぐ新しいグループ活動へ進んだわけではありませんでした。
タイプロ応募時の肩書は「焼肉店店員」
timelesz projectに参加したとき、橋本の肩書として公式関連媒体に記載されていたのは「焼肉店店員」です。過去にアイドル活動を経験し、JUNONにも挑戦した人物が、焼肉店で働きながら新メンバーオーディションへ進んだことになります。
どの焼肉店で働いていたのかについて、本人や所属先から店舗名は公表されていません。勤務先を推測する情報ではなく、「芸能活動経験者が別の仕事をしながら再びオーディションを受けた」という事実が、この時期の橋本の状況をよく表しています。
東京ドームに立つという目標は、VOYZ BOYを離れた時点で終わっていませんでした。新しいメンバーを探していたtimeleszが5大ドーム制覇を目標にしていると知り、橋本はその夢を一緒に叶えたいと考えます。
橋本将生がタイプロを受けた理由は?timelesz加入まで
timelesz projectは2024年に始まり、約1万9000人の応募者から新メンバーを選ぶ長期オーディションになりました。橋本は審査を進み、3次審査を6位、4次審査を3位、5次審査を4位で通過しています。
経験者ではあっても、審査中ずっと余裕があったわけではありません。歌、ダンス、写真、チームでの振る舞いなど、段階が進むたびに別の課題と向き合うことになります。
5大ドーム制覇という目標が応募につながった
応募理由の中心にあったのは、timeleszが掲げる5大ドーム制覇でした。18歳ごろから東京ドームを夢見ていた橋本にとって、グループが向かおうとしている場所と自分が長く持っていた目標が重なりました。
審査が進むにつれて、橋本は自分の見せ方にも向き合います。5次審査ではプロによるメイクや撮影を経験し、写真・動画・ステージでは見せ方がそれぞれ違うことを学んだと話しています。
これからは、自分から「化けられる」ようになりたい。
出典:anan「橋本将生『これからは、自分から「化けられる」ようになりたい』」(2025年1月22日発売号)
それまで持っていた経験をそのまま出すだけでなく、審査を通じて新しい表現を覚えていく時間になりました。橋本自身が変化を求める言葉を口にしているのは、5次審査の段階です。
6次ファイナルへ進み、最後のステージに立つ
最終の6次審査まで残った橋本は、候補生として最後のステージへ進みました。timelesz公式YouTubeには、橋本将生のファイナル審査を追った公式動画が残っています。
約10か月に及んだオーディションでは、候補生同士で食事をしたり、練習後に一緒に歩きながら悩みを話したりする時間もありました。橋本は後のインタビューで、この期間そのものを「青春」と表現しています。
最終発表で最初に名前を呼ばれる
最終発表で、新メンバーとして最初に呼ばれた名前が橋本将生でした。本人は呼ばれることを確信していたわけではなく、その瞬間は驚きが先に来たと振り返っています。
僕が1番目に呼ばれたので、まさか…! と、とにかくびっくりでした。
出典:anan「橋本将生『このオーディションは僕にとっての“青春”でした』」(2025年3月12日発売号)
名前を呼ばれた直後は半信半疑で、泣き崩れたとも語っています。そこで頭に浮かんだのは、自分一人の力でここまで来たわけではないということでした。
2025年2月15日、寺西拓人、原嘉孝、橋本将生、猪俣周杜、篠塚大輝の5人が新メンバーとして加わり、timeleszは8人体制になりました。高校時代のテレビ出演から、VOYZ BOY、JUNON、焼肉店勤務、タイプロまで続いた道が、ここで新しいグループ活動へつながります。
最初にステージの客席から東京ドームを思い描いたころから年月を重ね、橋本は再びグループのメンバーとして歌い踊る場所へ戻りました。18歳ごろに描いた「もっと大きなステージに立ちたい」という願いは、timeleszのメンバーとして歩き始めるところまでつながりました。




























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