timeleszのメンバーとしてステージに立ち、俳優やバラエティーでも活動する菊池風磨。現在の姿から時間を巻き戻すと、最初に見えてくるのは、父と公園へ通った幼いころの記憶です。
小学生では野球、中学生ではバスケットボールに打ち込み、中学2年の春には自分で履歴書を書いて芸能界への扉をたたきました。学校では友人たちと過ごす一方、入所した年からステージやドラマの仕事も始まっています。
2008年4月27日、菊池風磨は芸能活動をスタート。Jr.として経験を重ね、2011年にSexy ZoneとしてCDデビューしました。
父・菊池常利との思い出、母との反抗期、年の離れた弟と妹、中高6年間の男子校生活、慶應義塾大学への進学。そして、アイドルになるまでに何があったのかを、本人の言葉と当時の出来事からたどります。
菊池風磨は昔どんな子だった?幼少期と父との「Cocoa」の記憶
幼いころの風磨について、母は「言うことを聞こうとしない、やんちゃな子ども」だったと伝えています。2025年には、幼稚園時代の先生もテレビ番組で当時を振り返り、クラスの中でも特に元気だったころの姿が紹介されました。
家庭の中では母から聞かされた出来事を長く覚えていた一方、外では友人やスポーツに夢中になる少年でした。後年の本人の話には、芸能活動を始める前の生活として、公園、テレビ、野球、バスケットボールといった具体的な場面が残っています。
2026年の『はじめてのおつかい』でも、誕生日に周囲を驚かせる行動を取った幼少期の話が紹介されました。大人しく整った「アイドルの子ども時代」というより、家族や先生の記憶には、よく動き回る子どもの姿が残っています。
菊池風磨が自分の一番古い記憶として語っているのは、幼稚園に入る前の2~3歳ごろ。父が毎日のように公園へ連れて行ってくれ、遊び終えると温かいココアを買ってもらっていたそうです。
その記憶は、大人になってから一曲の音楽になりました。2019年のSexy Zoneのアルバム『PAGES』に収録されたソロ曲「Cocoa」は、菊池風磨が作詞し、父の菊池常利がTWUNE名義で作曲しています。
「あったかいココアをいつも買ってくれたんですよね」
出典:grape「菊池風磨の父はどんな人? ソロ曲『Cocoa』に込められた想いとは」(2019年3月25日)
公園で遊び、帰りに父からココアを買ってもらう。菊池風磨にとって、その小さな日常が幼いころの原風景として残っています。
母と見ていたテレビが怖くて部屋を逃げ回った
家の中での幼い姿が分かる話もあります。母が好きだった『奇跡体験!アンビリバボー』を一緒に見ていたものの、番組内の怖い場面や言葉が苦手で、耳をふさいで部屋を走り回っていたと後年振り返っています。
「耳をふさいで部屋を逃げ回っていた記憶が強烈に残っています(笑)」
出典:ORICON NEWS「Sexy Zone・菊池風磨、“アンビリバボー”な経験は大学受験『大きな財産』」(2020年7月23日)
10歳ごろには、母からもう一つ忘れられない話を聞きました。自分が生まれる前、母がある芸能人に助けてもらったことがあり、「この人がいなかったら生まれていなかったかもしれない」と教えられたのです。
その人物はキャイ~ンの天野ひろゆきでした。風磨は子どものころからテレビに映る天野を特別な存在として見ており、芸能界へ入ったあとも、きちんと感謝を伝えられる機会が来るまでこの話を胸にしまっていたと語っています。
小学生では野球、中学生ではバスケットボール
テレビの前でじっとしているだけではなく、スポーツにも親しんでいました。小学生のころは野球を経験し、中学生になるとバスケットボール部へ。体を動かす時間は学校生活の一部でした。
中学のバスケットボールは、のちに学校を訪れた番組収録でも思い出していました。高校へ進むころには芸能活動が忙しくなり、部活動は中学まで。本人はバスケ部時代について、楽しい記憶が多いと話しています。
菊池風磨の家族構成は?父・母・弟・妹との関係
長男の風磨は、2024年に『徹子の部屋』へ出演した際、弟が21歳になったこと、妹は自身より12歳下で当時高校生だったことを話しています。きょうだいの年齢が離れているぶん、両親に代わって注意する場面もあったそうです。
父・菊池常利は音楽活動を続けるシンガーソングライター
父の菊池常利は、TWUNE名義でも活動するシンガーソングライターです。自身の公式プロフィールには、嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞にJ&T(TWUNE)名義で携わったことや、TOKIOなどへの楽曲提供歴が掲載されています。
風磨が幼いころに公園へ連れて行った父と、大人になった息子が音楽で組んだのが「Cocoa」でした。常利の公式プロフィールにも、timeleszへの提供曲として「Cocoa/作曲:TWUNE」が記載されています。
「A・RA・SHI」は菊池常利の公式プロフィールで「作詞:J&T(TWUNE)」と掲載されています。「Cocoa」は菊池風磨が作詞、菊池常利が作曲した親子共作です。
高校時代の反抗期、家を飛び出して向かったのは塾
母との関係には、高校時代らしい反抗期の話が残っています。両親の言うことを聞かずに遊びへ出ることもあり、特に母とは言い合いになることが多かったそうです。
ある日も母に「ほっといてくれ」という趣旨の言葉をぶつけ、勢いよく家を飛び出しました。ただし、そのまま遊びに行ったわけではありません。
「そのまま塾行って塾で勉強してました」
出典:日刊スポーツ「菊池風磨 ちぐはぐな反抗期を回想」(2024年10月11日)
反抗して家を出た高校生が向かった先は塾。本人も後年、反抗し切れていないと笑いながら振り返っています。大学進学を目指す時期の生活が見えるエピソードでもあります。
年の離れた弟と妹の兄として過ごす
弟と妹は風磨より年下で、長男として両親に代わって注意することもあると明かしています。妹から連絡が来ると、敬語で欲しいものをお願いされることがあるという話も『徹子の部屋』で披露されました。
祖父母との距離も近く、祖父母には反抗したことがなかったそうです。大人になってからもライブへ足を運んでもらい、公演後に一緒に食事をすることがあると話しています。
菊池風磨の学歴は?中学・高校時代から慶應義塾大学まで
学校生活について本人がはっきり語っているのは、中学から高校までの6年間を男子校で過ごしたことです。具体的な学校名は公式プロフィールでは公表されていませんが、男子校で過ごした時間そのものは、今の自分を形づくった経験として語っています。
「中高6年間男子校だったので、完全に人格形成されましたね」
出典:JINS PARK「『最近は自分で企画書、書いてるんです』。菊池風磨が軽やかに乗りこなす人生のターニングポイント」(2024年3月19日)
同じ対談では、学校では「おもしろいやつが勝ち」という空気があったと振り返り、昔からの友人の目を今も意識すると話しています。中学時代に芸能活動が始まっても、学校で築いた友人関係は別の時間として続いていました。
芸能界で評価されても、昔からの友人に「面白くなくなった」と思われたくないという感覚があるとも話しています。中高6年間の男子校生活は、仕事とは別の場所で自分を測る物差しを持つ時間でもありました。
仕事を始めてからも、学校では芸能活動だけを中心にした生活ではありませんでした。昔からの友人と同じ目線で笑い合える環境があり、現在も企画やバラエティーに向き合うとき、その友人たちの感覚を意識することがあると語っています。
中学ではバスケ部、高校では芸能活動が忙しくなる
中学ではバスケットボール部に所属していました。一方、高校へ進むころには仕事が増え、本人によれば高校時代は部活動を続けていません。2008年に芸能活動を始め、2011年にはCDデビューを迎えるため、高校生活と芸能の時間が重なっていきます。
高校時代には勉強も続けました。母との言い合いで家を飛び出したあとにも塾へ向かったという話があるように、進学は日々の生活の中にありました。
祖父の言葉をきっかけに慶應義塾大学総合政策学部へ
デビュー後の2013年、菊池風磨は慶應義塾大学総合政策学部へ進学しました。慶應塾生新聞の本人インタビューでは、幼いころから祖父に大学進学を勧められていたことを明かしています。
祖父は早稲田大学の出身で、風磨は別の世界を経験してみたいという思いから慶應を意識するようになったと説明しています。心理学や音楽など複数の分野に興味があり、幅広く学べる総合政策学部を志望しました。
受験期には舞台で一日に2~3公演こなす日が続き、勉強時間を確保するため睡眠時間を削ったこともあったそうです。仕事を理由に見られたくないという気持ちもあり、空いた時間を勉強に充てていました。
大学へ入ってからは、それまで接点のなかった分野を学ぶ学生とも知り合いました。慶應塾生新聞の取材では、さまざまな友人ができたことを大学生活の良さとして挙げ、芸能界とは異なる考え方に触れる時間を持っていました。
「『慶應に行きたい』という強い気持ちがあったからだと思います」
出典:慶應塾生新聞「総合政策学部1年 Sexy Zone 菊池風磨さん」(2013年11月18日)
慶應義塾大学への進学はCDデビュー後の2013年です。芸能活動の入口は、その5年前、中学2年の春にありました。
中学2年の2008年、菊池風磨がアイドルを目指したきっかけ
物心がついたころから菊池風磨が夢中になっていた存在の一つが嵐でした。2026年のフジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』でも、中学2年生のときに自分で履歴書を書き、事務所へ応募したことが紹介されています。
家族に応募してもらったのではなく、自分から動いたのが芸能界との直接的な接点でした。履歴書を送ったあと、オーディションの案内が自宅へ届くはずでしたが、ここで思わぬすれ違いが起きます。
入所後はダンスや歌のレッスンに参加し、先輩のバックダンサーも経験していきました。好きだった嵐のようなアイドルを目指して自分で応募したところから、観客の前へ立つための練習が日常に加わりました。
FAX故障で最初のオーディションに行けなかった
本来は2008年4月20日のオーディションに参加する予定でした。ところが、自宅のFAXが故障していたため連絡に気づけず、その日は会場へ行くことができませんでした。
「ファクスが壊れてて気付かなくて行けなかった」
出典:日刊スポーツ「菊池風磨、田中樹はSnow Manが『怖かった』」(2020年5月25日)
それでも縁は切れませんでした。1週間後にもう一度「来てください」と連絡が届き、4月27日にオーディションへ参加。その日が菊池風磨の入所日となり、現在の公式バイオグラフィーでも「2008年4月27日芸能活動をスタート」と記されています。
この入所時の話は、田中樹、渡辺翔太と出演した公式YouTubeのリモート企画でも本人が語っています。田中は4月20日に入所しているため、FAXの一件によって田中が1週間先輩になるという関係も、3人の会話の題材になりました。
2026年4月27日には、本人公式Instagramでも芸能活動18周年の節目を迎えたことを投稿しています。4月27日は、今も本人が活動の起点として記す日です。
ジャニーズJr.時代はどう過ごした?最初のステージからB.I.Shadowへ
入所から長い時間を置かず、ステージと映像の仕事が始まります。STARTO ENTERTAINMENTの2008年バイオグラフィーでは、8月2日から9月5日まで「SUMMARY 2008」への出演が記録されています。
4月末に入所し、その年の夏にはお台場・青海J地区の特設会場で公演に参加。10月からは日本テレビ系ドラマ『スクラップ・ティーチャー~教師再生~』に楠本風磨役で出演しました。
学校へ通う一方で、放課後や休日にはレッスンと現場が入る生活へ変わっていきます。芸能活動を始めた年のうちに、コンサートと連続ドラマの両方を経験していました。
田中樹と電車で会場へ通ったJr.時代
入所時期が近い田中樹とは、Jr.時代から長い付き合いがあります。2026年に田中がラジオで当時を振り返った際には、同じオーディションで菊池風磨や中島健人と出会い、一緒に電車でライブ会場へ行き来していたと話しています。
田中は当時の菊池について、自分と「テンション感も近い」と感じていたとも回想しています。華やかなステージの裏側では、同世代の仲間と電車に乗り、振り付けの話をしながら現場へ向かう日々がありました。
2009年「悪魔な恋/NYC」でCD作品に参加
Jr.内ユニットB.I.Shadowでの活動を経て、2009年には中山優馬 w/B.I.Shadowのメンバーとして動きます。7月15日には「悪魔な恋/NYC」が発売され、菊池風磨もCD作品へ参加しました。
この時点では、のちのSexy Zoneとしてのデビューとは別の活動です。中学生のうちからコンサート、ドラマ、ユニット活動、CD作品と現場が続き、2008年春に応募した少年の生活は短期間で大きく変わっていきました。
Sexy Zone結成!16歳でCDデビューするまで
2011年9月29日、東京・帝国劇場で行われた公演でSexy Zoneが披露されました。メンバーは中島健人、菊池風磨、佐藤勝利、松島聡、マリウス葉の5人。菊池風磨は16歳でした。
当時の発表では、5人は白いタキシード姿で登場し、グループ結成とCDデビューが明らかになりました。中学2年で入所してから3年以上、Jr.として活動してきた風磨にとって、ここから5人組としての新しい時間が始まります。
発表から約1か月半後の11月15日には、ラゾーナ川崎で5人による初のお披露目イベントが開かれ、約1万2000人が集まりました。翌16日、シングル「Sexy Zone」が発売され、正式なCDデビューの日を迎えます。
入所した2008年には13歳。デビュー時は16歳でした。その間に「SUMMARY 2008」、ドラマ出演、B.I.Shadowでの活動、CD作品への参加を経験し、10代の学校生活と芸能活動を並行していました。
Sexy Zoneは2024年にtimeleszへ改名し、その後の活動へつながっています。個人の公式バイオグラフィーにも、2008年4月27日の芸能活動開始、2011年9月29日の結成、同年11月のCDデビューが記録されています。
2008年4月27日に活動を始めてから約3年半。Jr.としてステージに立ち、CD作品への参加を経て、2011年11月16日にSexy ZoneとしてCDデビューしました。その日までの時間が、菊池風磨のアイドルとしての原点です。





























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