M!LKでサファイアブルーを担当し、アクロバットや器械体操を生かしたパフォーマンスを見せている塩﨑太智。ステージで軽々と体を操る姿の奥には、和歌山で体操とダンスを続けていた少年時代があります。
芸能界に入る前から人前に立つことを強く望んでいたわけではありません。小学生だった塩﨑太智に芸能オーディションを勧めたのは親で、本人は最初、その話に乗り気ではありませんでした。
オーディションへ向かう決め手になったのは、「受かったらゲーム機を買ってあげる」という親からの言葉でした。
そこから始まったのは、和歌山から東京へ通い、年上の子たちに囲まれてレッスンを受ける日々でした。すぐに順調な道が開けたわけでもありません。EBiDANの研究生として活動する途中には、選抜入りを逃し、悔しさを抱えながら和歌山へ帰った時期もありました。
11歳で初めてEBiDANのステージに立った少年が、どんな家庭で育ち、学校と芸能活動をどう行き来し、M!LKの結成メンバーになったのか。幼いころの本人の言葉も残っています。
塩﨑太智は和歌山でどんな少年時代を過ごした?
塩﨑太智の公式プロフィールに記されている出身地は和歌山県です。本人も後年、公式ブログで「僕の実家の和歌山」と書き、帰省した際には子どものころに通った場所や昔からの友人を訪ねています。
2019年に帰省したときには、自宅のベッドで目覚ましをかけても起きられなかったほどくつろいだそうです。東京で一人暮らしを始めたあとも、和歌山の実家は帰る場所として本人のブログにたびたび登場しました。
小学生のころから続けた体操とダンス
現在の特技にも挙げられているアクロバット、ダンス、器械体操は、芸能活動を始めてから身につけたものではありません。小学生のころにはすでに体操とダンスを続けていました。
EBiDANで活動していた2012年の本人ブログには、通っていたダンススタジオのアワードで「ベストパフォーマンス賞」と「ベストチーム賞」の2つを受けたことが記されています。その年にはダンスコンテストでも優勝し、自分の「2012年BEST3」の2位に選んでいました。
体を動かすこと以外にも、当時の自己紹介ではバスケットボール、スノーボード、スキーなどを趣味として挙げています。好きな食べ物は餃子とお好み焼き。12歳だったころには、アイスを毎日食べたいという、ごく普通の中学生らしい話も書いていました。
東京で買ってもらった「フィニアスとファーブ」のペリーがお気に入りで、グッズを集めていた時期もあります。塾やギターのレッスンへ行った日の話もあり、学校、習い事、ダンス、芸能活動が同じ日常の中にありました。
泣き虫だった少年と体操クラブの先生
体操が得意だったからといって、練習そのものがいつも好きだったわけではありません。大人になってから小学生時代に通っていた体操クラブを訪れた塩﨑太智は、当時の自分を率直に振り返っています。
僕は昔から、しんどい事とかするのが嫌いで、泣き虫だった
出典:M!LKオフィシャルブログ「和歌山☆塩﨑太智」(2019年8月20日)
その体操クラブでは、いくま先生から厳しく指導されたことも覚えていました。2019年の帰省では実際にクラブへ足を運んでいます。長く続けてきた器械体操は、後にM!LKのステージで見せるアクロバットへつながっていきました。
幼稚園から中学校まで一緒だった友人
和歌山へ帰った同じ日には、幼稚園から中学校まで一緒だった友人とも再会しています。久しぶりに会うと声が低くなっていて驚いたと書いており、芸能活動とは別に、地元で長く続いていた友人関係がありました。
EBiDANに入ったころは、和歌山と東京を行き来する生活でした。2012年末には「一人で東京に行けるようになった」ことをその年のBEST3に挙げています。まだ小学生だった塩﨑太智にとって、一人で飛行機に乗って東京へ向かうことも新しい経験でした。
東京でのレッスン後、仲間の家に4日間泊まった夏
2012年夏のEBiDAN公式ブログには、東京でのレッスンを終えたあと、当時一緒に活動していた井上東万の家に4日間泊まったことも書かれています。本人は、自宅が遠いため仲間の家に泊めてもらえることがうれしかったと記していました。
そこで初めて海や川で泳ぎ、石投げも経験したそうです。和歌山県出身だからといって、自然の中で遊ぶことが日常だったわけではなく、自宅周辺には自然が少なく、ホタルも見たことがないと当時の本人は書いています。
帰宅したあとは、学校が始まったその日にもスタジオへ練習に向かいました。ダンスの曲をパソコンで編集することは以前からしており、このころにはDJにも挑戦し始めています。
M!LK公式YouTubeでは、本人の年表をたどりながら幼少期やメンバーとの出会いを振り返る企画も公開されています。
塩﨑太智の家族構成は?両親と4人兄弟の6人家族
家の中での塩﨑太智は、相手によって立ち位置が変わっていました。年上の姉には甘え、年下の弟とは友達のように接し、妹からは甘えられる側になる。本人が家族について語ったインタビューには、そんな日常が残っています。
姉に宿題を手伝ってもらった少年時代
きょうだいの一番上は姉です。塩﨑太智は、姉がとても優しく、昔は宿題を手伝ってもらうこともあったと明かしています。姉が宿題をしている間、自分はその後ろのベッドで寝ていたこともあったそうです。
お姉ちゃんにはなんでも譲ってもらって、甘えちゃう
出典:JJ「M!LKメンバーが語るここでしか読めない『家族との激レア思い出話』」(2020年9月29日)
一般人である家族について、氏名や職業など詳しいプロフィールは公表されていません。一方で、本人の昔話からは、きょうだいと一緒に過ごしていた日常を具体的に知ることができます。
弟は友達感覚、妹からは甘えられる兄
弟については「本当に友達感覚」と話し、妹からは「一緒に寝よう」と声をかけられることがあると明かしています。姉の前では弟、年下のきょうだいの前では兄という、4人きょうだいの中で育ちました。
2018年のクリスマスイブには、家族でお菓子の家を作った様子をInstagramに投稿しました。兄弟にも手伝ってもらいながら完成させたことが記されています。
芸能活動を始めると家族が東京通いを支えた
家族との関係は、芸能界入りの場面でも大きく関わっています。オーディションを勧めたのも親で、合格後に東京へ通い始めたころも、最初は親と一緒でした。
活動が続くと、毎週のように和歌山から東京へ向かう時期もありました。後にオーディションで悔しい結果を経験した際、本人は「毎週毎週、東京に行かせてくれている家族」のことを考え、自宅へ戻ってから家族の目を見ることができなかったと書いています。
塩﨑太智の学歴は?高校・大学と芸能活動を両立
塩﨑太智は学生時代から芸能活動を続け、高校卒業後は大学へ進学しています。本人は中学校・高校の卒業や大学進学について自ら発信していますが、具体的な学校名は公式プロフィールなどでは明らかにされていません。
中学校では勉強とM!LKの活動を並行
中学生になる前からEBiDANで活動していたため、学生生活には早い段階から仕事やレッスンが入っていました。それでも、本人のブログには学校での出来事やテスト、友人との日常が頻繁に登場します。
高校受験の時期には芸能活動と勉強の両立を「かなり大変だった」と振り返りながら、志望校への合格も自分で報告しています。ラジオ収録の合間に母親からLINEが届き、恐る恐る開くと合格通知の写真が送られていたそうです。
2016年3月に中学校を卒業。卒業式では泣きそうになったものの、普段からよくふざけるクラスだったため、最後まで笑っていたと書いています。
東京で仕事をして和歌山へ戻り高校へ
高校時代は、東京で仕事をしたあと和歌山へ戻り、そのまま学校へ通う生活を送っていました。本人は卒業時、学校について「ある意味、休みの日みたいな感覚」だったと振り返っています。
友人と弁当を食べ、休み時間には特別なことでもない話をする。仕事先とは違う高校での時間がありました。テストでは100点を3教科取り、全教科平均93.9点でクラス1番だったことをブログで報告したこともあります。
一方、仕事との両立で参加できない学校行事もありました。高校3年間で文化祭には一度も出られなかったことを、卒業時の心残りとして挙げています。
2019年2月に高校卒業を報告。中学時代の友人とは卒業後も食事へ行っており、高校で出会った友人とも長く付き合っていきたいと書いています。
大学へ進学しM!LKの活動も続けた
高校を卒業した2019年春、塩﨑太智は大学へ進学しました。入学を報告した公式ブログにはスーツ姿の写真も掲載しています。
大学と芸能の両立を頑張りたいと思います!!
出典:M!LKオフィシャルブログ「大学生☆塩﨑太智」(2019年4月2日)
大学では友人と空きコマにバスケットボールをしたり、仕事の前まで授業へ出たりする様子もブログに残しています。19歳の誕生日直前には、大学の友人たちから目隠しをされ、サプライズで誕生日を祝ってもらったこともありました。
大学名や学部名は公表されていませんが、大学を卒業したことは後のインタビューで本人が明らかにしています。
僕は最近大学を卒業したんですけど
出典:Seventeen-Web「『M!LK』沼にハマるコ続出♡ 人気急上昇中の5人組がST-Web登場!」(2023年6月19日)
卒業すると、仕事の合間に大学の課題へ充てていた時間が空きました。そこで母親から何か始めたらどうかと勧められ、M!LKの活動にも生かせると考えて英語を勉強し始めたことも話しています。
ゲーム機がきっかけで受けた芸能オーディション
塩﨑太智が芸能界と接点を持ったのは小学生のころです。ダンスをしていたこともあり、親から芸能オーディションへ行くよう勧められました。しかし、かしこまった場が苦手だった本人は、最初は嫌だと感じていました。
そこで親が出した条件が、「オーディションに受かったらゲーム機を買ってあげる」というもの。誕生日でもないのにゲーム機を買ってもらえるならと参加し、そのオーディションに合格しました。
親から勧められ、ゲーム機を目当てに参加
芸能界へ入りたいと本人から頼んだのではなく、最初の入口は親からの勧めでした。小学生から続けていたダンスが、芸能オーディションという別の場所へつながった形です。
合格しても、すぐに芸能活動へ夢中になったわけではありません。学校の友達と遊んでいる方が楽しく、東京で受けるレッスンは緊張する場所でした。
合格後は親と和歌山から東京へ通った
活動を始めたころは親と一緒に和歌山から東京へ向かっていました。東京へ来るたびにテーマパークや動物園などへ連れて行ってもらい、「遊びに行くついでにレッスンする」という感覚で通っていた時期もあったそうです。
やがて一人で東京へ行けるようになります。2012年末には、そのこと自体を一年間の大きな出来事として挙げていました。
年上ばかりのレッスンに戸惑った11歳
レッスン場には自分より年上の男の子が多くいました。本人はその空気に緊張し、最初のころは学校の友達と遊んでいる方が楽しいと感じていたと振り返っています。
あまり行きたくなかったんです
出典:ウォーカープラス「塩崎太智『メンバーと富士山に登りたい!』メジャーデビューしたM!LKを徹底解剖!」(2021年12月8日)
活動を1〜2年続けるうちに同世代の仲間が増え、学校の外にも友達ができました。標準語への憧れもあり、東京に友達ができたこともうれしかったそうです。
11歳でEBiDANへ!初ステージから研究生時代へ
2012年2月、EBiDAN公式ブログには3月20日のライブへ出演する「NEW FACE」として、当時11歳の塩崎太智の名前が掲載されました。同じ一覧には、後にM!LKのリーダーとなる吉田仁人の名前もありました。
3月20日の「EBiDAN THE LIVE 春の陣」はSHIBUYA O-WESTで開催され、最終的な出演情報ではE-CHARY♪のメンバーとして吉田仁人、塩崎太智、板垣瑞生らの名前が記されています。
2012年の一番の出来事は「EBiDANに入った」
その年の終わり、本人は自分にとっての「2012年BEST3」を公式ブログに残しました。ダンスコンテスト優勝、一人で東京へ行けるようになったことより上に選んだのがEBiDANへの加入でした。
EBiDANに入った
出典:EBiDAN 39&KiDS オフィシャルブログ「だいちです(^_^)/」(公開日記載なし)
同じ投稿には、オーディションに受からず泣きたくなった日、眠いまま学校へ行った日、納得できるダンスができず悔しかった日も書かれています。ステージに立つことだけが続いた一年ではありませんでした。
2013年、最終オーディションで選抜から外れた
翌2013年には、M!LK結成前の塩﨑太智に大きな悔しさが残る出来事がありました。研究生の中から行われたオーディションで、最初は選抜メンバー5人に入ったものの、最終オーディションでは選ばれませんでした。
結果を聞いたあと、一人で夜行バスを待ちながらいろいろなことを考えたと本人は書いています。和歌山へ帰ってからは、毎週東京へ行かせてくれていた家族の目を見ることもできなかったそうです。
特に悔しかったのは、自分が好きで続けてきたダンスで選ばれなかったことでした。それでも、その直後に立ったステージでは、見に来た人に楽しんでもらうことを考えて笑顔で踊ったと記しています。
絶対にはいあがってみせる!
出典:EBiDAN 39&KiDS オフィシャルブログ「だいちから みなさんに.。.:*☆」(2013年11月5日)
この時点では、まだM!LKというグループは存在していません。選ばれなかった経験のあとも研究生として活動を続け、翌年、新しく結成されるグループのメンバーになります。
吉田仁人とはダンス審査の待合室から一緒だった
吉田仁人とはオーディションが一緒でした。後年のインタビューによると、ダンス審査の日、待合室で塩﨑太智がゲームをしている横で、吉田仁人は真剣にストレッチをしていました。
当時の塩﨑太智はその姿を見て、かなり尖った人だと感じたそうです。二人はその後、現在は活動していないEBiDAN内のグループでも一緒になり、さらにM!LKの初期メンバーとして活動することになります。
M!LK加入当初は「習い事の延長」だった
2014年11月、M!LKが結成され、塩﨑太智は初期メンバーとして活動を始めました。EBiDANに入ってからすでに数年が経っていましたが、この時点でも本人の中で芸能活動の意味は現在とはかなり違っていました。
正直、習い事の延長みたいな感覚だったんです
出典:TV Bros. WEB「M!LKメジャーデビュー記念短期集中連載01 塩﨑太智インタビュー」(2021年10月26日)
結成当時は中学生、休憩のお菓子も楽しみだった
初期メンバーには佐野勇斗、吉田仁人らがおり、吉田仁人は早い段階から「売れたい」という気持ちを強く持っていたといいます。一方の塩﨑太智はまだ中学生でした。
本人によれば、当時のレッスンは休憩時間に出るお菓子を楽しみにしていたほど。11歳で東京へ通い始めたころから続いていた「習い事」のような感覚が、M!LK結成直後にも残っていました。
2015年「コーヒーが飲めません」でCDデビュー
M!LKは2015年3月、「コーヒーが飲めません」でCDデビューしました。塩﨑太智が11歳のNEW FACEとしてEBiDANのライブ出演者に名前を連ねてから、およそ3年後です。
学校へ通いながらグループ活動を続け、メンバーの変化や進学も経験しました。中学生のころは習い事の延長だったM!LKへの向き合い方も、活動を続ける中で変わっていきます。
高校生のころにはM!LKとして全国を回るように
高校時代には東京での仕事を終えて和歌山へ戻り学校へ通う一方、M!LKとして各地のイベントにも出演していました。高校生活だけ、芸能活動だけに分けられない日々が続いています。
2018年11月14日には、シングル「Over The Storm」の発売を本人公式Instagramで報告しました。山中柔太朗、曽野舜太ら新しいメンバーも加わった時期で、M!LKは7人体制で活動していました。
2019年にはメンバーカラーを決める企画で1位となり、自ら選んだ「サファイアブルー」を担当することになりました。現在の公式プロフィールにも、このカラーとアクロバット、器械体操を生かしたパフォーマンスが紹介されています。
小学生から続けた器械体操は、芸能界へ入るために始めたものではありませんでした。それでも後に、M!LKのステージで本人らしさを見せる特技の一つになっています。
2026年に開設された個人公式Xの初投稿でも、選んだ一枚は三点倒立をしている写真でした。
ゲーム機をきっかけに参加した最初のオーディション。親と通った東京、11歳で立ったEBiDANのステージ、選抜から外れた夜、そして研究生として続けた活動。その時間の先に、2014年のM!LK結成がありました。
和歌山で体操とダンスをしていた少年が、そのまま一直線にアイドルになったわけではありません。学校へ通い、友達と遊び、悔しい結果も経験しながらステージに立ち続けた時期が、塩﨑太智がM!LKのメンバーになるまでの原点です。





























コメントを残す