M!LKのハッピーレッドとしてステージに立つ曽野舜太。明るいキャラクターで知られる一方、英検準1級を持ち、学習院大学を卒業したことも本人が公表しています。
けれど、アイドルになる前の生活で大きな存在だったのはサッカーでした。三重県で育ち、小学生のころからボールを追い、学校では学級委員長や生徒会長も経験しています。
小学5年生のころに受けたスカウトを入口に、サッカー、学校生活、EBiDAN NAGOYA、BATTLE BOYSを経て、16歳でM!LKへ加わりました。
現在の姿から少し時間を戻して、三重で過ごした子ども時代からM!LKの新メンバーとして名前を呼ばれる日までをたどります。
曽野舜太はどんな少年だった?三重で過ごした幼少期
曽野舜太の公式プロフィールでは出身地は三重県とされています。小学生のころの本人について残っている話を拾っていくと、サッカー、学校での役割、そして小学5年生でのスカウトという三つの出来事が大きく重なっています。
幼稚園で出会ったサッカーを小学3年生から続けた
サッカーとの最初の接点は幼稚園時代でした。後年のインタビューで、知らない男の子から突然声をかけられ、一緒にボールを蹴ったのが最初のサッカー体験だったと振り返っています。
「サッカーしようぜ!」って言われてやったのが1番最初のサッカー体験だったと思います。
出典:NYLON JAPAN「365 ANNIVERSARY」(2023年5月15日)
その男の子とは小学校で偶然同じクラスになり、チームへ誘われました。EBiDAN時代の本人ブログでは「小学校3年生からサッカーしとるんさ」と自己紹介しており、中学に入ってからも地元のクラブチームで続けています。
子どものころは日曜朝の戦隊ヒーロー番組を見るために早起きしていたことも、本人のInstagramに残っています。当時使っていた戦隊ヒーローの枕カバーまで紹介しており、学校やサッカーとは少し違う、家での少年らしい一面も見えます。
小学1年から6年まで学級委員長、6年生では生徒会長
小学生時代について本人は「結構やんちゃ坊主」だったとも話しています。一方、学校では小学1年生から6年生まで毎年学級委員長を務め、6年生では生徒会長も経験しました。
俺も小一から小六までずっと学級委員長で、六年生は生徒会長をやった。
出典:Oggi.jp「M!LK『STARS』リリース記念Specialインタビュー」(2022年12月16日)
立候補を続けていたわけではなく、本人によれば推薦だったとのこと。2026年にテレビで学生時代の成績を聞かれた際には、小学校と中学校のころは「オール5」だったとも明かしています。
小学5年生、11歳でスターダストからスカウト
芸能界との接点が生まれたのは小学5年生のころです。大阪・あべのキューズモールへ行った際、DISH//のリリースイベントを遠くから見ていたところ、スターダストプロモーションの関係者から声をかけられました。
2026年6月には、本人が公式Xで「スターダストにスカウトされて面接に行った小学5年生の曽野舜太(11才)」として当時の写真を公開しています。M!LK加入より何年も前の、芸能活動への最初の入口でした。
スカウトを受けたからといって、すぐにアイドルになったわけではありません。本人は後に、最初は「習い事感覚」でレッスンへ通っていたと振り返っています。ダンス経験がほとんどなく、今なら短時間で覚えられる振り付けが当時はなかなか頭に入らず、家で泣いたこともあったそうです。
曽野舜太の家族構成は?父親・母親・妹との関係
家族の中での曽野は、M!LKで見せる「最年少」の立ち位置とは少し違っていたようです。山中柔太朗は一度、曽野が家族と一緒にいるところを見て「ちゃんと長男やってるんだ」と驚いたと話しています。
実家の詳しい住所や父親の職業などは公表されていません。本人は三重県出身で、中学校は伊勢市立御薗中学校。伊勢での思い出をたびたび話しており、地元とのつながりは長く続いています。
働く母親を見て育ち、祖母の家へご飯を食べに行くことも
子どものころの家庭で特に具体的に語っているのが母親との関係です。母親は仕事をしており、曽野はその姿を見ながら、子どもながらにありがたいと感じていたと話しています。
僕はお母さんが大好きな子でしたね(笑顔)
出典:Oggi.jp「M!LK『STARS』リリース記念Specialインタビュー」(2022年12月16日)
同じインタビューでは「おばあちゃん子」だったとも回想しています。母親が家でご飯を作ってくれていても、祖母の家へ食べに行ってしまうことがあったという、かなり具体的な昔話も残っています。
成長してからは、子どものころには母親への感謝を言葉にするのが恥ずかしかったとも話しました。そして「死ぬ前に何を食べたいか」と聞かれたら母親の手料理だと答えています。
妹には「絶対に喧嘩で勝てない」兄だった
2020年のM!LKの家族インタビューでは、妹について「気が強い」と笑いながら話していました。山中柔太朗の妹と曽野の妹が仲良しで、お互いの兄について家族同士で話が伝わっていたというエピソードもあります。
妹には絶対に喧嘩で勝てないくらい、気が強い(笑)。
出典:JJ「M!LKメンバーが語るここでしか読めない『家族との激レア思い出話』」(2020年9月29日)
その妹とは、2026年になって現在一緒に暮らしていることも公表されました。家族4人で出かける話もたびたびしており、幼少期だけでなく現在まで交流が続いています。
曽野舜太の学歴は?中学校・高校から学習院大学まで
学生時代は、学校だけを切り離して見るより、三重から名古屋や東京へ通う芸能活動と重ねると日々の忙しさが見えてきます。中学ではサッカーも続けており、高校では仕事で学校を長く離れた時期もありました。
中学校は伊勢市立御薗中学校、学校とサッカーとEBiDANの日々
出身中学校は伊勢市立御薗中学校です。同校が2023年に発行した学校だよりには、将来の夢を考える生徒への文章の中で、サッカー元日本代表の水本裕貴や漫画家のモリタイシと並び「御薗中の先輩」として曽野舜太の名前が掲載されています。
中学1年生のころ、本人はEBiDANの公式ブログで「三重県在住の13歳」と自己紹介し、地元のクラブチームでサッカーを続けていることを書いています。2016年1月30日にはEBiDAN NAGOYAの初単独ライブに出演。初めての単独ライブを「ドッキドキ」と振り返っていました。
学校では自転車通学をし、期末テストを受け、職場体験では街のケーキ店へ。パティシエに憧れて研修中の名札を付け、接客や生地をこねる仕事を経験したことまでブログに残しています。
サッカーとEBiDANを続けていた生活が変わったのは2016年6月です。翌月のブログで、長く続けてきたサッカーのチームを退部したことを自分の言葉で報告しました。
幼少の頃から続けてきたサッカーを6月に退部しました。
出典:EBiDAN 39&KiDSオフィシャルブログ「涙の訳 えびなご 曽野舜太」(2016年7月25日)
大好きなサッカーを続けたい気持ちはありながら、EBiDAN NAGOYAの夢へ進む方を選んだと記しています。当時はチームの最年長でもあり、単独イベントの集客が思うようにいかなかった悔しさから、ライブ中に涙を見せたこともありました。
高校名は非公表、名古屋と東京へ通いながら卒業
高校は2021年3月に卒業していますが、学校名は本人や所属事務所から公表されていません。「伊勢高校」とする情報も見られますが、本人発信で確定しているのは高校卒業と当時の生活です。
卒業時の公式ブログには、名古屋へ毎週通った時期、M!LKの活動で東京へ通った時期、映画撮影や舞台稽古で約3カ月学校を休んだ時期があったことが書かれています。進級を心配するほど学校を離れながらも、高校生活を続けました。
仕事だけではありません。運動会、文化祭、お昼休みに弁当を食べた時間、授業中のおしゃべり、友人とのテストの点数勝負、家庭科の調理実習などを卒業時に振り返っています。
高校3年生では新型コロナウイルスの影響が続く中、大学受験の勉強にも力を入れました。所属事務所の公式プロフィールには現在も英検準1級と漢検2級が資格として掲載されています。
大学受験では第一志望に届かず、学習院大学へ
2020年12月、曽野はM!LK公式ブログで大学受験に挑戦することを改めて報告しました。仕事を続けながら受験期を迎え、2021年3月には第一志望校の結果を自らファンへ伝えています。
第一希望の大学 残念ながら 不合格!!!でした。
出典:M!LKオフィシャルブログ「大学合否発表 曽野舜太」(2021年3月15日)
その後進学したのが学習院大学です。2025年3月22日、本人公式Instagramで卒業を報告。さらに2026年4月のテレビ出演でも、自分の口から「学習院大学」と大学名を明かしました。文系だったことも話していますが、学部・学科は公表していません。
2026年にM!LK公式YouTubeで公開された本人の年表企画では、第一志望が早稲田大学だったこと、合格まで1点届かなかったことも本人が振り返っています。高校時代から大学受験、M!LKでの活動までを本人とメンバーが一緒にたどる内容です。
サッカー少年が芸能活動へ本腰を入れるまで
小学5年生でのスカウトから、M!LK加入までは数年あります。その間に曽野が立っていた場所がEBiDAN NAGOYAです。最初のころはダンスを覚えることにも苦労しましたが、中学生になると地域のステージへ継続して立つようになりました。
初単独ライブではMCも担当、悔しさで泣いたステージも
2016年1月のEBiDAN NAGOYA初単独ライブでは、MCも経験しました。その半年後の単独イベントでは、前日のリハーサルでチケットが半分しか売れていないと聞き、ライブ中にさまざまな感情が込み上げて涙を流しています。
本人は当時、自分を「頼りないながらもえびなごの最年長」と書いていました。年下のメンバーのお手本になり、EBiDAN NAGOYAを引っ張る存在にならなければならないという思いも綴っています。
サッカーを退部したのも同じ2016年。学校生活を送りながら、EBiDAN NAGOYAの活動へ使う時間がはっきり増えていきました。
BATTLE BOYS 1st全国選抜へ
EBiDANの研究生として活動を続けた曽野は、やがてBATTLE BOYSへ進みます。M!LK公式プロフィールにも「BATTLEBOYS 1st 全国選抜を経て、2018年8月にM!LKに加入」と明記されています。
BATTLE BOYSは研究生の中から選抜メンバーが楽曲やステージへ参加するプロジェクトでした。曽野は名古屋選抜だけでなく1st全国選抜にも入り、M!LK新メンバーオーディションへ向かう位置まで進んでいました。
BATTLE BOYSから憧れていたM!LKのオーディションへ
M!LKの新メンバーになる機会が訪れたとき、曽野はすぐに勢いだけで飛び込んだわけではありません。山中柔太朗、琉弥とともにBATTLE BOYSの全国選抜で活動していましたが、オーディションを受ける前に自分の気持ちを何度も確かめています。
軽い気持ちではなかったです。
出典:音楽ナタリー「M!LK『Over The Storm』インタビュー」(2018年11月14日)
オーディションを受けたい気持ちはありました。それでも「そこまでの覚悟が本当にあるのか」と自分へ何度も問いかけた末に受験しています。
M!LKは外から見ていた先輩グループでもありました。合格してからは、既存曲を覚えるためのレッスンや撮影が短期間に次々と始まり、自分がM!LKのメンバーになった実感が湧かないままダンスをしていた時期もあったと後に語っています。
2018年8月28日、曽野舜太がM!LKに加入
新メンバーの発表場所は、2018年8月28日の「EBiDAN THE LIVE 2018 ~Summer Party~」。曽野舜太、山中柔太朗、琉弥の3人が新たに加わり、M!LKは7人体制になりました。
発表を待つ舞台袖では不安が強かったといいます。後年のインタビューでは、覚えることの多さやプレッシャーから「僕が入って大丈夫だろうか」と毎日のように考えていた時期があったことも明かしました。
舞台袖で塩﨑太智からかけられた言葉
加入発表直前、緊張していた曽野に声をかけたのが塩﨑太智でした。「お前ならイケる!大丈夫だよ、みんなあったかいから」と伝えられ、曽野はその言葉に救われたと振り返っています。
ステージで発表された瞬間のことは、加入直後の公式ブログにも残っています。本人はそのとき、心臓が今まで聞いたことのないほど大きく鳴っていたと表現しました。
M!LKは僕の憧れのグループであり 僕は1人のみ!るきーずでもありました。
出典:M!LKオフィシャルブログ「M!LK 曽野舜太」(公開日記載なし)
加入が決まったあと、曽野、山中、琉弥の3人は、先輩メンバーに少しでも近づこうとレッスンへ取り組みました。お披露目までの準備期間は約1カ月。加入後最初の新体制シングル「Over The Storm」は2018年11月14日に発売されています。
三重でサッカーを続けていた少年が、11歳のスカウトをきっかけにレッスンへ通い、EBiDAN NAGOYAとBATTLE BOYSのステージを重ねてたどり着いたのがM!LKでした。2018年8月28日から、曽野舜太はM!LKのメンバーとして新しいステージに立ち始めました。






























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