Travis Japanでダンスやアクロバットを披露する一方、クイズ番組や資格取得でも知られる川島如恵留。現在の姿だけを見ると、昔から勉強も芸能活動も器用にこなしてきたように見えるかもしれません。
ただ、その出発点をたどると、小学生のころに見たミュージカルへの憧れ、子役として立った舞台、学校で経験したいじめ、中学受験、そして学生生活とアイドル活動を同時に続けた長い時間があります。
川島如恵留の原点には、「ライオンキングの舞台に立ちたい」と考えた少年が、必要なものを一つずつ身につけていった時間がありました。
ダンスを始めた小学生時代から、子役、受験、アイドル活動、青山学院大学での学生生活、Travis Japanとしての世界デビューまで。川島如恵留がどんな道を歩いてアイドルになったのかを、昔の具体的な出来事から追っていきます。
川島如恵留は昔どんな子だった?ライオンキングに憧れた幼少期
川島如恵留は小学校1年生からジャズダンスを始めています。きっかけの一つになったのが、子どものころに観た劇団四季のミュージカル『ライオンキング』でした。
「いつか自分もあの舞台に立ちたい」。そう思った川島は、ただ憧れて待つのではなく、舞台に立つためには何が必要なのかを考えます。ダンスだけでなく、歌や演技にも取り組み、芸能活動へ足を踏み入れていきました。
僕の原体験は、小さい頃に劇団四季の『ライオンキング』を見てたことです。
出典:ダイヤモンド・オンライン「Travis Japan・川島如恵留がどんなに忙しくても文をつづり、学習し続ける深い理由」(2024年11月22日)
川島自身は後年、ライオンキングに出演するためにはダンスが必要で、歌も歌えるようになる必要があると考え、それぞれを習い始めたと振り返っています。幼いころから、目標を先に置き、そこへ必要なことを逆算する考え方をしていました。
最初は夢をかなえるための「手段」だったダンスですが、その後は川島自身が「生きがい」と表現するほど大きな存在になります。のちにダンスを強みにするTravis Japanへ加わることを考えると、かなり早い段階から現在につながる土台ができていました。
子役として念願のヤングシンバ役へ
ダンスや歌、演技を学んだ川島は子役として舞台にも出演するようになり、憧れていた『ライオンキング』ではヤングシンバ役を経験しました。客席から見ていた作品に、今度は出演者として立つことになります。
子役時代にはキッズダンスユニット「ワンダー☆5」のメンバーとしても活動しました。アイドル活動を始める前から、人前で歌い、踊り、舞台に立つ経験を積んでいたことになります。
「天てれに出ていた?」という情報も見かけますが、川島如恵留は「てれび戦士」だったわけではありません。子役時代のワンダー☆5での出演として紹介される資料があり、てれび戦士歴と混同しないほうが分かりやすいでしょう。
舞台では決められた時間に決められた動きを再現しながら、その日の観客に届けなければなりません。小学生のころから続いたこの舞台経験は、のちに長期間ステージへ立ち続ける生活へつながっていきます。
川島如恵留の家族構成は?父親・母親・妹との少年時代
川島が自身の幼少期を書いたエッセイには、両親が芸能活動だけに進路を絞らせず、勉強する道も残していたことが詳しく書かれています。芸能を続けても、途中でやめても困らないよう、家庭で学べる環境を用意していました。
私はとても愛されて育った。
出典:GINGER「貯蓄、投資そしてお金との付き合い方を考えてみた。文筆家・川島如恵留」(2024年6月22日)
習い事も一つや二つではありません。幼稚園のころの英会話をはじめ、ピアノ、習字、ダンス、子役のレッスン、さらにリズム感を身につけるためのドラムまで経験しています。家には知育教材なども用意されていました。
こうした話から「実家がお金持ちなのでは?」と語られることがあります。ただ、家の資産や両親の収入が公表されているわけではありません。本人が明かしているのは、多くの教育費やレッスン費を家族にかけてもらったという事実と、それに対する感謝です。
父親・母親の具体的な勤務先や職種も公表されていません。川島は両親について「一般的な社会人」として家計をやりくりしながら、自分の教育や芸能活動を支えてくれたという趣旨で綴っています。
母親との家庭学習は小学生のころから日常だった
勉強面で特に具体的なのが、小学校時代の家庭学習です。川島はプリント学習型の教室に通い、教室へ行かない日も自宅で問題を解いていました。
本人のエッセイでは、母親から1日に最低数十枚のプリントをこなすよう求められていたと振り返っています。小学校1年生から始め、3年間で11学年分を進め、小学校3年生のころには高校レベルの数学へ入っていました。
ダンスレッスンがある土曜日には教室へ行けないため、水曜日の放課後に通い、それ以外の日も家庭で勉強する。芸能活動が始まる前から、学校以外にダンスと勉強の予定が組み込まれていました。
父親とは自転車で長距離を走った小学生時代
机に向かう時間だけが川島の少年時代ではありません。小学生のころには父親と自転車で長距離を走り、夏休みの思い出を作っていました。
小学校3年生ごろには富士山の五合目を目指し、その後は静岡方面まで走るなど、父子で自転車の旅を重ねています。道中の記録を写真や文章にまとめ、夏休みの自由研究にもしていました。
大人になった川島は、個人YouTube「のえるの隙間時間」で当時の自由研究を実際に見返しています。昔の資料が残っているため、本人の記憶だけでなく、小学生だった当時の記録から少年時代を確認できる珍しいエピソードです。
兄弟は妹が一人
川島には妹が一人います。本人がテレビ番組で大切な存在として妹を挙げたこともあり、兄妹の関係は以前から知られてきました。
一方、家族は現在の川島本人とは別の生活を送っています。父母や妹について、本人が公に語っていない現在の勤務先や生活圏まで推測する必要はありません。少年時代を知るうえでは、芸能活動と学業の両方を家族が支えていたことのほうが大きなポイントです。
川島如恵留の学歴は?中学受験から青山学院大学まで
川島の学歴をたどると、学校生活と芸能活動がかなり早い時期から重なっています。中学受験を経て青山学院中等部へ進学し、その後は青山学院高等部、青山学院大学総合文化政策学部へ進みました。
小学校5年生でいじめを経験し、中学受験を決意
小学校時代の大きな転機になったのが、中学受験でした。川島は自身のエッセイで、小学校5年生のころ、子役をしていたことが原因となっていじめを受けたと明かしています。
同じ環境のまま中学校へ進むのではなく、別の学校へ行きたい。その気持ちを両親へ伝えたことから受験への道が始まりました。
みんなとは違う学校に行きたい
出典:GINGER「貯蓄、投資そしてお金との付き合い方を考えてみた。文筆家・川島如恵留」(2024年6月22日)
受験を決めた時点で残された期間は長くありませんでした。周囲が数年かけて学ぶ範囲を短期間で進める必要がありましたが、幼いころから先取りしていた数学は、受験へ挑むときの自信になりました。
中学受験組だったので小学生の時から勉強は頑張りました。
出典:デイリースポーツ「Travis Japan・川島如恵留 『アイドル』+『文筆家』へ挑戦」(2026年4月15日)
小学校名そのものは本人の公式プロフィールでは公表されていません。中学以降とは違い、推測で特定の学校名を当てはめるのは避けたほうが正確です。
青山学院中等部へ進学し、2007年10月からアイドル活動
中学受験を経て進学したのが青山学院中等部です。そして中学生だった2007年10月、現在につながるアイドル活動を開始しました。
川島は子役時代をすでに経験していたため、芸能界そのものが初めてだったわけではありません。『ライオンキング』を目指して身につけたダンスや歌、舞台経験を持った状態で、新しい活動へ進んだことになります。
入所日は「2007年10月14日」と紹介されることが多く、本人が過去の雑誌などで語った入所エピソードも残っています。一方、幻冬舎の公式著者プロフィールが明記しているのは「2007年10月よりアイドル活動を開始」。少なくとも2007年10月がアイドルとしての出発点であることは確認できます。
入所への憧れとして、タッキー&翼のパフォーマンスや『PLAYZONE』に触れたことを川島は過去に語っています。子役として舞台に立っていた少年が、今度は男性アイドルのステージへ進むことになりました。
青山学院高等部で学びながらPLAYZONEの舞台へ
中等部から青山学院高等部へ進んだあとも、学校と芸能活動の二つを続けました。高校時代の同級生には、水溜りボンドのカンタがいます。カンタとは3年間、隣のクラスだったことが後年明かされています。
芸能活動では2010年の『PLAYZONE 2010 ~ROAD TO PLAYZONE~』に出演。S.A.D.などのユニットで経験を重ね、舞台上でダンスを見せる機会が増えていきます。
高校生活の終盤にあたる2012年7月にはTravis Japanの結成メンバーとなりました。小学校から続けてきたダンスが、ここでグループの大きな武器として本格的につながります。
青山学院大学の総合文化政策学部へ進学
高校卒業後は青山学院大学の総合文化政策学部へ進学しました。Travis Japanとして舞台やコンサートへ出演する一方、大学では授業を受け、課題や試験にも取り組む生活が続きます。
高校から同級生だったカンタも同じ総合文化政策学部へ進学。後年、二人で母校を歩いた際、カンタは大学の学食で川島が勉強している姿をよく見ていたと振り返っています。
巡り巡ってここにいるみたいな
出典:スポニチ「水溜りボンド・カンタ 超人気アイドルは高校&大学の同級生だった」(2024年4月21日)
川島は2017年に青山学院大学を卒業しました。大学卒業後も学習そのものをやめたわけではなく、2019年には宅地建物取引士、2023年には国内旅行業務取扱管理者、2024年には総合旅行業務取扱管理者を取得しています。
資格取得の数だけを見ると突然始まった趣味のようにも見えますが、小学生時代の家庭学習、中学受験、芸能活動と並行した高校・大学生活までたどると、長く続いてきた勉強習慣の延長にあります。
Travis Japan結成から世界デビューまで
2012年7月に結成メンバーとなったTravis Japanでは、その後メンバーの変遷を経験しました。2017年から現在につながる7人体制となり、川島は大学卒業後もグループでの活動を続けます。
すぐにCDデビューしたわけではありません。舞台や先輩グループのバック、コンサートなどで活動しながら、結成から長い時間をかけてグループとしての経験を積んでいきました。
2022年3月、Travis Japanはメンバー7人でアメリカ・ロサンゼルスへ渡ります。現地で共同生活を送りながら、ダンス、ボイストレーニング、英語などを学び、コンテストやオーディション番組にも挑戦しました。
グループをまとめる役割を担うことが多かった川島ですが、ロサンゼルスでのインタビューでは、自分の考え方もメンバーとの時間の中で変化したと話しています。
自分の感情を大切にすることをメンバーから教わった。
出典:LALALA USA「独占|LA留学中 宮近海斗・川島如恵留にインタビュー|Travis Japan」(2022年6月29日)
アメリカでは「World of Dance Championship 2022」への出場を経て、『America’s Got Talent』にも出演しました。英語で「夢のHollywood」を披露し、ダンスだけでなくアクロバットやアカペラも取り入れたステージを見せています。
その活動を経てCapitol Recordsとの契約が決まり、2022年10月28日に「JUST DANCE!」を配信リリース。Travis Japanは全世界メジャーデビューを果たしました。
一度きりの人生で、こうして全員で夢と幸せを共有し続けられる日が来た事を、心から嬉しく思います!
出典:UNIVERSAL MUSIC JAPAN「Capitol Music Group・Travis Japanと契約 10月28日、世界デビュー」(2022年9月29日)
本人個人の公式Instagramは現在の公式プロフィールには掲載されていないため、Instagramは川島本人が明確に登場するTravis Japan公式アカウントの投稿を使用しています。個人では2024年からXとYouTube「のえるの隙間時間」を開設しました。
2022年10月28日の世界デビューは、川島にとってアイドル活動を始めた2007年10月から長い時間を経て到達したステージでした。
個人YouTubeでは、現在になって小学生時代の自由研究や父親との自転車旅を自ら振り返っています。ステージに立つ前の少年時代の記録が、デビュー後も本人の言葉で少しずつ残されています。
ライオンキングを客席から見ていた少年がダンスを始め、そのダンスを携えてTravis Japanの一員となり、やがてアメリカへ渡った。川島如恵留のアイドルとしての出発点には、ずっと以前から続いていた舞台と学びの時間がありました。




























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