なにわ男子の高橋恭平さんは、ステージではクールなビジュアルやマイペースなキャラクターで知られています。
ただ、アイドルになる前から芸能界を目指していたわけではありません。小学校から中学校にかけてはバスケットボールに打ち込み、中学3年生のときに家族がきっかけを作ったオーディションから、生活が大きく変わっていきました。
本人が行きたがっていたわけではないオーディションが、2014年11月23日の入所、関西ジュニアでの日々、そしてなにわ男子へとつながっていきます。
幼少期のスポーツや家族との日常、学生時代、オーディション当日のこと、ジュニア時代には、後年の本人やメンバーが語った具体的なエピソードが残っています。
高橋恭平は昔どんな子だった?幼少期から中学時代まで
高橋恭平さんの公式プロフィールでは大阪府出身とされています。本人は後年、子どものころに複数のスポーツや習い事を経験したと振り返っています。
一つの競技だけに絞っていたわけではなく、サッカー、野球、バスケットボール、水泳など、本人の記憶に残っているだけでも種類はさまざまです。体を動かすことが好きだったことは、現在の本人の話にもたびたび登場します。
どんなスポーツもある程度出来ます。小さい頃は、サッカーや野球にバスケ、水泳とか、めっちゃ習い事やってました。
出典:ViVi「【高橋恭平】最近の夢は“SASUKE”出場!愛されオトコの自己分析は運動能力レベル100!?」(2024年3月21日)
その中でも長く続いたのがバスケットボールでした。小学校から中学校までバスケ部に所属し、学校生活の中で練習を重ねていました。
小〜中学校時代はバスケ部に所属していたので、毎日のように練習をしていたんですけど
出典:CLASSY.「なにわ男子・高橋恭平さん特別インタビュー」(2022年10月29日)
当時は漫画『SLAM DUNK』も好きで、得意だったのはスリーポイントシュート。本人が最も印象に残っている試合として挙げたのは、中学最後の試合でした。ほぼ毎日の練習を続けてきた中で、最後の一戦が強く記憶に残っています。
バスケットボールだけでなく、幼いころに複数の競技へ触れていたため、本人は大人になってからも運動には自信があると話しています。芸能活動を始める前の生活には、ステージより先にスポーツの時間がありました。
中学時代はバレンタインに約40個のチョコ
中学生のころは、学校でかなり注目を集めていた時期もあったようです。映画イベントで学生時代のバレンタインについて聞かれた際、高橋さんは中学生のときが一番の「モテ期」だったと振り返っています。
チョコレートは机の上だけではなく、机横の手提げやロッカーにも入っていたといい、ピーク時は約40個。本人は本命と義理の区別も分からず、たくさんもらったこと自体に戸惑っていたそうです。
一方で、後にメンバーが語った加入当初の第一印象は「口数が少ない」「無口」「黒髪で静か」といったものでした。学校で注目を集めていた一面と、初対面では静かだった一面が同じ時期に重なっています。
高橋恭平の家族構成は?父・母・姉とのエピソード
高橋恭平さん本人の発言には、父親、母親、姉が登場します。とくに姉は、服にまつわる普段の話だけでなく、高橋さんが芸能界へ入る最初のきっかけにも関わっています。
姉のレディースデニムを借りていた
姉との日常が見えるのが、服にまつわる話です。細身だった高橋さんは、メンズのパンツではウエストが余ることがあり、姉のレディースデニムを借りることがあったと明かしています。
俺の場合、そこで登場するのが、姉貴のレディースのデニム!
出典:non-no web「【なにわ男子★ 高橋恭平&道枝駿佑の服トーク】メンバーの私服センスを勝手にジャッジ!」(2021年4月18日)
丈が足りないときは下げてはくこともあったそうです。姉の存在は、家族構成を示す情報だけではなく、同じ家の中で服を借りるような身近な日常として本人の言葉に残っています。
芸能界への入口を作ったのも姉だった
高橋さんが中学3年生だったころ、姉が本人に内緒で当時のジャニーズ事務所へ履歴書を送りました。2017年の『読売ファミリー』で本人が語った内容では、家族で出かけた先がオーディション会場で、その場で事情を知ったとされています。
それまで歌やダンスの経験はなく、学校ではバスケットボールに取り組んでいた時期です。自分で募集を探し、準備を重ねて応募したオーディションではありませんでした。
「アイドルになりたい」と自分から応募したのではなく、姉が履歴書を送ったことから芸能界との接点が生まれました。
後に同じグループになる道枝駿佑さんや長尾謙杜さんと出会ったのも、このオーディションです。家族の中で始まった一つの応募が、同期との長い関係へつながっていきました。
父は出演映画を何度も見に行っていた
父親についても、高橋さん本人が公の場で話しています。2024年の『映画 マイホームヒーロー』では、原作を読んでいた父親が映画を何度も見に行き、そのたびに連絡をくれたそうです。
感想は長文ではなく、「面白かった」といった短い内容だったと高橋さんは説明しています。出演作を見た父親から、その都度連絡が届くという親子のやり取りです。
母親についても、イベントで考えた回答について「母さんと考えた」と話すなど、現在の仕事の話題の中に登場しています。家族との関係は、芸能界入りのきっかけとなった姉だけで終わらず、その後の本人の言葉にも父母とのやり取りとして残っています。
高橋恭平の学歴は?中学・高校・大学進学まで
出身中学校や高校の校名は、所属先の公式プロフィールでは公表されていません。一方、本人のインタビューからは、小学校から中学校までバスケットボール部だったこと、中学3年生でオーディションを受けたこと、高校時代にも学校へ通いながら芸能活動を続けていたことが分かります。
中学校はどこ?鷹取中学校という情報について
高橋さんの出身中学校として「鷹取中学校」という名前がインターネット上で挙げられることがあります。ただし、本人や所属先が出身中学校として公表した情報ではありません。
本人が具体的に語っている中学生活は、バスケットボール部でほぼ毎日のように練習していたことです。中学最後の試合を今も印象深い試合として挙げており、部活動が学生生活の大きな部分を占めていました。
その中学3年生の年に、姉が送った履歴書をきっかけにオーディションへ向かいます。学校での部活動と、突然始まった芸能活動への入口が重なった時期でした。
高校時代は「できる限り目立ちたくない」タイプ
高校へ進んだころには、すでに関西ジュニアとして活動していました。ステージでは人前に立つ一方、学校ではできるだけ目立たずに過ごしたかったと本人は振り返っています。
高校生のときはめちゃくちゃ普通でした。どれだけ目立たないかを考えて生きていましたね。
出典:ORICON NEWS「福本莉子&高橋恭平、“関西コンビ”ツッコミ&ボケをさく裂 連ドラ『ストロボ・エッジ』に自信」(2025年10月27日)
誘われれば友人と出かけるものの、自分から積極的に前へ出るというより、できるだけ後ろにいたかったとも話しています。ジュニアとして舞台に立つ生活と、学校では目立ちたくない感覚が並行していました。
学生時代の“小さな反抗”として、通学中だけチャック付きのパーカーを着て学校の近くで脱いだり、棒付きのアメをなめながら歩いて門の前で隠したりしていたことも明かしています。大胆に校則を破るのではなく、怒られるのは怖かったというところまで本人らしい昔話として残っています。
勉強については、テストで点を取れることがあっても提出物を出さず、先生から呼び出されたことがあったとも話しています。学校生活では、目立たないようにしながらも、すべてをきっちりこなす優等生タイプだったわけではありません。
高校はどこ?大学へは進学した?
高校については具体的な学校名が広く出回っていますが、本人や所属先から正式な校名は公表されていません。本人の発言から分かるのは、関西ジュニアとして活動しながら高校生活を送り、学校ではなるべく目立たずに過ごしていたことです。
大学についても、具体的な大学名や進学先は公式プロフィールで公表されていません。高校卒業後も芸能活動を続け、2018年にはなにわ男子のメンバーとなり、その後グループとしての活動が本格化していきます。
そのため、学歴として確実にたどれるのは小学校・中学校・高校までです。学校名の推測よりも、本人が語っているバスケ部、高校での過ごし方、芸能活動との両立のほうに具体的な学生時代が残っています。
中学3年で受けたオーディションがアイドルへの入口
高橋恭平さんがオーディションを受けたのは2014年11月23日。当時14歳で、中学3年生でした。この日は道枝駿佑さん、長尾謙杜さんも同じオーディションを受けています。
高橋さん自身は、この日を思い返しても「楽しみで仕方なかった」というタイプではありませんでした。道枝さんとの対談では、当時の気持ちをかなり率直に明かしています。
俺、オーディションに行くことが実はすごいイヤやったから。
出典:Seventeen-Web「なにわ男子“みちきょへ”コンビの仲良しっぷりを拝見♪」(2021年5月6日)
オーディションに合格して活動が始まったあとも、すぐに気持ちが切り替わったわけではありません。同じインタビューでは、最初は活動に乗り気になれず、道枝さんからは感じが悪く見えていたかもしれないと本人が振り返っています。
それでも道枝さんや長尾さんと一緒に、ジュニアにならなければ経験できなかった仕事を重ねるうちに、活動そのものが少しずつ楽しくなっていきました。
本人が同期3人の記念日として挙げているのも2014年11月23日です。オーディションで出会った3人が後になって同じなにわ男子のメンバーになったことを、高橋さんは「運命」と表現しています。
最初からアイドルへの強い希望を持っていたわけではない高橋さんにとって、入所後に仕事を経験していく時間そのものが気持ちを変えていく過程になりました。応募の時点より、活動を始めてから徐々に自分の居場所ができていった形です。
高橋恭平のジュニア時代は?同期と松竹座で過ごした日々
入所後、高橋さんは関西ジュニアとして活動を始めました。道枝駿佑さん、長尾謙杜さんとは同期で、3人で行動する機会が増えていきます。
2017年には、高橋さん、道枝さん、長尾さんを含むメンバーが大阪城ホールの「ジャニーズJr.祭り」に出演。関西ジュニアとしてコンサートや舞台へ立つ経験を重ねていきました。
2020年にViViがメンバーへ高橋さんの第一印象を聞いた際、西畑大吾さんは「口数少ない」、大橋和也さんは「無口」、大西流星さんは黒髪でとても静かな子だったと振り返っています。現在のトークで見せるテンポとは違う、加入初期の姿です。
道枝さんも、初めてきちんと会ったころの高橋さんは人見知りで、打ち解けるまで少し時間がかかったと話しています。入所から3か月ほどたったころには一緒に帰ることが増え、道枝さんが高橋さんのスマートフォンのゲームを見ていたという小さな思い出も残っています。
道枝さんは当時ガラケーしか持っておらず、最初は高橋さんがゲームをするのを見ているだけでした。ある日「僕にもやらせて」と言えたことをきっかけに、何でも素直に言える関係になったと振り返っています。
松竹座は関西ジュニア時代の大きな場所
関西ジュニアとして活動した高橋さんにとって、大阪松竹座は舞台に立ち、先輩や仲間と時間を過ごした場所の一つです。STARTOのバイオグラフィーにも、関西ジュニアの大阪松竹座公演が数多く記録されています。
2026年には、大阪松竹座を振り返る公式企画で、高橋さん自身が「高橋恭平にとって“松竹座”とは」というテーマの動画に登場しました。デビュー後に振り返るほど、ジュニア時代と結びつきのある場所です。
ジュニア時代の高橋さんは、同期3人だけで活動していたわけではありません。関西の先輩や同世代の仲間と同じ舞台に立ち、歌やダンス、ステージでの経験を仕事として積み重ねていきました。
2018年に入ると、関西ジュニアの舞台やコンサートへの出演に加え、ラジオ「関西ジャニーズJr.のバリバリサウンド」に藤原丈一郎さん、大橋和也さんと出演。後になにわ男子で同じメンバーになる二人とも、この時期から仕事を共にしています。
公式YouTubeの「25年間年表」で本人も過去を振り返る
なにわ男子の公式YouTubeでは、2025年に高橋さん本人の「25年間年表」企画が公開されました。個人の年表をたどる企画で、高橋さん自身がこれまでの出来事を振り返っています。
オーディションの日には乗り気ではなかった少年が、ジュニアとして仕事を重ねながら、同期との関係やステージ経験を増やしていった時期。2014年からなにわ男子結成までの数年間に、学校生活と芸能活動の両方が続いていました。
なにわ男子結成からCDデビューまで
2018年10月、高橋恭平さんは西畑大吾さん、大西流星さん、道枝駿佑さん、長尾謙杜さん、藤原丈一郎さん、大橋和也さんとともに、なにわ男子のメンバーになりました。
結成時点で7人全員が同じ距離感だったわけではありません。後の座談会では、メンバー同士がどう接したら関係をよくできるか模索した時期があったことも語られています。
高橋さんにとっては、2014年11月23日のオーディションで出会った道枝さん、長尾さんと、今度は同じ7人組のメンバーとして活動することになりました。中学生だった3人が、約4年後に同じグループへ入ったことになります。
グループとして活動する中で、単独公演やテレビ出演など仕事の幅も広がっていきます。同期だけで動いていたころとは違い、年齢も入所歴も異なる7人で一つのグループを作っていく時間になりました。
2021年7月28日、CDデビュー決定を知らされる
転機は2021年7月28日でした。コンサート中になにわ男子のCDデビューがサプライズで発表され、11月12日に「初心LOVE」でデビューすることが決まります。
発表直後の高橋さんは、普段のクールな印象とは違う姿をメンバーに覚えられていました。後の座談会で道枝さんや長尾さんから「一番泣いていた」と突っ込まれ、高橋さんは最後に認めています。
はいはい、泣いてましたよ〜。
出典:non-no web「【なにわ男子】丈橋の本音にメンバーは……? あの時ホンマはどう思ってた? 7人のぶっちゃけTALK」(2021年12月19日)
西畑さんは、高橋さんが泣きすぎてずっと床を見ていたと振り返り、長尾さんも最後のあいさつは何を言っているか分からないほどだったと話しています。
同年11月12日、なにわ男子は「初心LOVE」でCDデビュー。Storm Labelsの公式ディスコグラフィーにも、2018年10月のグループ結成、2021年7月28日のデビュー発表、11月12日の発売までが記録されています。
中学3年生のとき、本人が知らないところで姉が履歴書を送り、乗り気ではないまま向かったオーディション。その日から約7年後、高橋さんは同じ日に出会った道枝さん、長尾さんを含む7人でCDデビューの日を迎えました。
バスケットボールに打ち込んでいた中学生から、関西ジュニアとして舞台に立つ日々へ。最初は活動に乗り気ではなかった本人が、デビュー発表では床を向くほど泣いていたところまでが、高橋恭平さんがアイドルとして歩き始めた時間です。































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