なにわ男子のメンバーとしてステージに立ち、ドラマやバラエティーでも活動する西畑大吾。関西ジュニア時代から長く活動してきた人物ですが、最初から自分でアイドルを目指して応募したわけではありません。
子どものころはソフトボールをし、中学校では陸上部へ。2歳上の兄と同じ部活で汗を流し、家では兄弟そろってサンタクロースに手紙を書くような少年時代を過ごしていました。
転機が訪れたのは中学3年生だった2011年4月3日。本人の知らないところで履歴書が送られ、14歳で公開オーディションの舞台に立ちました。
そこからAぇ少年、なにわ皇子、関西ジュニアでの活動、高校生活、初めてのドラマ出演を経て、2018年になにわ男子へ。少年だった西畑大吾がアイドルとして歩き始め、CDデビューへたどり着くまでを、本人が残してきた昔の言葉とともにたどります。
西畑大吾は昔どんな少年だった?ソフトボールから陸上部へ
公式プロフィールでは大阪府出身とされている西畑大吾。出生地と出身地は別の情報なので、生まれた場所まで大阪府だったと決めつけることはできませんが、本人の昔話には、学生時代の具体的な景色がたびたび登場します。
少年時代の西畑は、スポーツと縁がありました。小学生のころに取り組んでいたのはソフトボールです。ボールを追っていた小学生は、その流れで中学校でも野球を続けようと考えていました。
小学生時代はソフトボールをしていた
西畑が小学生時代のスポーツ経験を詳しく語ったのは、2025年に大学対校男女混合駅伝の大会アンバサダーへ就任したときでした。大人になってからも箱根駅伝や大阪国際女子マラソン、陸上の世界大会を見るというほど陸上競技に親しみがあります。
ただし、最初から陸上一本だったわけではありません。小学生ではソフトボールをしており、中学進学時には野球部へ入るつもりでした。そこで進路を変えた理由は、競技への適性よりもずっと身近なものでした。
野球部の丸刈りが嫌で中学では陸上部へ
西畑が通った中学校の野球部には、丸刈りにする決まりがありました。髪を丸刈りにしたくなかった西畑は野球部を選ばず、自分は足が速いという理由から陸上部へ入ります。
足が速いという理由だけで陸上部に入りました(笑)。
出典:月陸Online「“元陸上部” なにわ男子・西畑大吾さんが大学対校男女混合駅伝の大会アンバサダーに就任」(2025年2月10日)
陸上部では短距離とハードル種目に取り組みました。のちに華やかな衣装でステージに立つことになる西畑ですが、中学生のころはトラックを走り、ハードルを越える日々を送っていたことになります。
しかも、その陸上部には身近な先輩がいました。2歳年上の兄です。兄もまた野球部の丸刈りを避けて陸上部へ入っており、西畑が中学1年生だったとき、兄は3年生。同じ学校の同じ部活で一緒に活動していました。
西畑大吾の家族構成は?父親・母親・2歳上の兄との思い出
西畑の家族については、父親、母親、2歳上の兄とのエピソードを本人が語っています。一般人である家族の氏名や勤務先などは公表情報に基づかない推測をせず、本人が話している家庭での出来事を中心に見ると、兄弟の日常や食卓の様子が見えてきます。
2歳上の兄とは中学で同じ陸上部だった
兄は西畑より2歳年上です。中学校では同じ陸上部に所属していました。兄も西畑と同じく、野球部で丸刈りにすることを嫌って陸上部を選んだと本人が明かしています。
西畑が1年生、兄が3年生という時期には、家では兄弟、学校へ行けば部活動の先輩と後輩という関係でした。西畑の中学時代をたどると、兄は家庭だけでなく学校生活の中にもいた存在だったことが分かります。
兄弟でサンタクロースへ手紙を書いていた
家での兄弟の思い出として、西畑は冬になるとサンタクロースへ手紙を書いていたことも話しています。欲しいものを書いた手紙を大きな靴下へ入れておくのが、兄弟のお決まりでした。
小さい時は、クリスマス前にサンタに手紙を出してました。
出典:Seventeen-Web「サンタさんに貰ってうれしかったものは? 家族との思い出は?」(2023年12月22日)
最後に手紙を書いたのは中学3年生のとき。どうしても欲しいポータブルゲーム機があり、「来年から高校生だから今年で最後」という気持ちでお願いしたところ、本当にプレゼントされたそうです。それが西畑にとって最後のサンタクロースからの贈り物になりました。
父と母、どちらのカレーも好きだった
食卓の記憶として本人が挙げているのがカレーです。小さいころから母親が作るカレーが好きで、父親もカレーを得意料理としていました。大人になってカレー好きとして知られるようになった西畑ですが、本人によれば原点には両親の作るカレーがあります。
母親の味だけではなく、父親も料理をしていたというところが家庭の日常を伝えています。兄との部活動やクリスマスの手紙と同じく、西畑の昔を知る手がかりは、特別な出来事だけでなく、こうした家の中の小さな場面にも残っています。
西畑大吾の学歴は?中学校・高校の学生時代
西畑は中学生のころに芸能活動を始め、その後は高校生活と関西ジュニアの活動を並行しました。学校名については本人や公式プロフィールで具体名が公表されていませんが、本人自身が部活動、高校の授業、制服、修学旅行、同級生についてかなり具体的に振り返っています。
中学では陸上部、3年生の春に芸能活動が始まった
中学時代の中心の一つは陸上部でした。短距離やハードルに取り組みながら学校生活を送り、その途中で芸能界への入口が突然現れます。2011年4月3日、西畑が中学3年生になった時期でした。
この日を境に、放課後や休日を部活動だけに使う生活ではなくなります。関西ジュニアとしてレッスンやステージに関わる時間が加わり、中学生の学校生活と芸能活動が同時に進み始めました。
高校では文系を選択し、修学旅行で初めてハワイへ
高校時代について本人は、文系だったと振り返っています。化学や数学は苦手だった一方、暗記は得意だったため、テストで大きく苦労した記憶はないそうです。
高校の記憶、なぜかあんまないんよなぁ(笑)。
出典:Seventeen-Web「なにわ男子、西畑大吾くんの高校時代思い出トーク♡」(2023年3月1日)
そんな中でも鮮明に覚えているのが修学旅行です。行き先はハワイで、西畑にとって初めての海外旅行でした。特にダイヤモンドヘッドから見た景色が記憶に残っており、海と空が青くつながって見えた光景を後年も語っています。
制服は紺色のブレザーに紺色のパンツ、無地のベストという組み合わせ。着崩すよりもきれいに着るほうを好み、学校での自分についても「まあまあ真面目で普通」という趣旨で振り返っています。
小瀧望とは高校3年間ずっと同じクラス
高校時代の身近な友人の一人が、WEST.の小瀧望でした。西畑は2025年にも、小瀧とは高校3年間ずっと同じクラスだったと話しています。高校時代からともに芸能活動をしていた二人ですが、学校ではクラスメイトでもありました。
放課後に一緒にたこ焼きを食べに行くこともあったといい、西畑は高校時代の「いつものメンバー」として小瀧の名前を挙げています。芸能活動の現場とは別に、同じ教室で過ごし、放課後に寄り道をする学生生活がありました。
中学校・高校の具体的な学校名や、大学など高校卒業後の進学先については、本人・公式から学校名が公表されていません。学校名を推測で断定せず、本人が語っている学生生活を掲載しています。
中学3年生の2011年4月3日、アイドルへの入口が開く
西畑の人生が大きく変わったのは2011年春です。本人は後年、入所のきっかけについて、自分で履歴書を送ったわけではなく、知らないところで履歴書が送られていたと話しています。
自分から強く希望して飛び込んだ世界ではなかったため、最初から「アイドルになりたい」という気持ちでいっぱいだったわけでもありませんでした。2017年の関西ジュニアのインタビューでは、当時の感覚をかなり率直に残しています。
実は、入った当時はイヤイヤやった。
出典:WEBザテレビジョン「関西ジャニーズJr.インタビュー 西畑大吾、向井康二らが明かす初心の気持ち」(2017年8月30日)
受けたのは公開オーディションでした。西畑が2021年に振り返ったところでは、先輩のコンサートに出演する流れの中で、振り付けを覚え、そのままステージへ出るような形で審査が進んだといいます。
オーディションを受けて、結果を待ち、後日あらためて活動が始まるという単純な順番ではありません。覚えた振り付けをその場で使い、ステージに立つ。14歳の西畑にとって、芸能界との最初の接点から実際の舞台までが一気につながっていました。
2017年の本人の言葉では、入ってすぐグループへ入り、最初の1年は状況が急速に変わりすぎて、言われたことをやっている感覚だったとも振り返っています。本人にとっては、進路として十分に準備して選んだ世界というより、走りながら理解していくスタートでした。
2026年4月3日にはFAMILY CLUB webで「西畑のアイドル歴15周年記念日生配信」が行われました。現在の公式記録からさかのぼっても、2011年4月3日が西畑のアイドル人生の起点になっています。
Aぇ少年からなにわ皇子へ!関西ジュニアで過ごした日々
入所した2011年、西畑は関西ジュニア内のAぇ少年で活動します。その後は永瀬廉、大西流星とともになにわ皇子のメンバーとしても活動。学校へ通う一方で、コンサートや舞台へ立つ時間が少しずつ日常の一部になっていきました。
同じ時期を過ごした永瀬廉は、後年、西畑の第一印象について「いい意味で自分を持っていた」「意見を曲げない」タイプに見えたと話しています。最初から仲が良かったわけではなく、永瀬が東京へ移って離れたころから、かえって距離が縮まったそうです。
関西ジュニア時代には、大橋和也や正門良規と帰り道が一緒になり、3人でカラオケへ行くこともありました。大橋がハモリ、西畑と正門が主旋律を歌う。現在とは違うグループ編成の中で、同世代の仲間と日々を重ねていた時期です。
一方で、所属していたグループが自然に活動を終え、先に東京で道を進む仲間を見る時期もありました。永瀬がKing & Princeとして「シンデレラガール」を歌う姿を見たとき、西畑は自分のアイドル人生をもう一度考えたと後年明かしています。
もう一度自分はアイドルとしてやっていくんだ
出典:ORICON NEWS「なにわ男子・西畑大吾、キンプリ『シンデレラガール』に特別な思い」(2025年11月7日)
入所したときには「イヤイヤだった」と話していた少年が、関西ジュニアとして活動を続ける中で、自分から「アイドルとしてやっていく」と考えるようになります。2011年の偶然に近い入口と、数年後の本人の意思は、同じものではありませんでした。
なにわ男子公式YouTubeでは2025年、西畑自身の歩みを振り返る「西畑大吾の年表」が公開されています。幼いころから現在へ至る出来事を、本人の表情と言葉で追える公式映像です。
高校時代に朝ドラ「ごちそうさん」へ!初めての演技に挑む
関西ジュニアとして活動していた高校時代、西畑にはアイドルとは別の大きな経験も加わります。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」への出演です。演じたのは、主人公・め以子の次男である西門活男でした。
現在では俳優としても多くの作品に出演していますが、「ごちそうさん」は西畑にとって初めてのドラマ出演でした。しかも、出演の話が来るまで演技を専門的に学んだ経験はなく、本人もドラマを一視聴者として見ていました。
もともと演技に興味は全くなくて
出典:女性自身「『ごちそうさん』活男語る『脚本書き換えてって言いたかった』」(2014年3月24日)
視聴者として見ていた国民的ドラマへ、自分が出演する側として入っていくことになった西畑。本人は当時、「僕なんかが出ていいのか」と驚いたことも語っています。中学生で突然アイドルの世界へ入ったときと同じように、演技との出会いも準備して待っていたものではありませんでした。
活男役では丸刈りにもしました。本人によると、最初に丸刈りにしたときは関西ジュニアの仲間たちからかなりからかわれたそうです。中学では丸刈りが嫌で野球部を避けた少年が、高校時代には仕事の役柄で丸刈りになるという、少し不思議な巡り合わせもありました。
「ごちそうさん」の経験は、その後の俳優活動へ続いていきます。ただ、この時点で西畑の中心にあったのは関西ジュニアとしての活動です。学校へ通い、ステージに立ち、ときにはドラマの撮影現場へ向かう生活が重なっていました。
2018年になにわ男子結成、2021年「初心LOVE」でCDデビュー
関西ジュニアで複数のユニットを経験した西畑に、新しいグループが生まれたのは2018年10月でした。西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也の7人で、なにわ男子が結成されます。
中学3年生だった2011年の入所から、すでに7年ほどがたっていました。公開オーディションで振り付けを覚え、そのまま先輩のコンサートの舞台に立った少年は、関西ジュニアのさまざまな組み合わせを経験した末に、なにわ男子の一員になります。
結成後もジュニアとして活動を続け、2021年7月28日、CDデビューがサプライズで発表されました。デビュー日は同年11月12日。デビューシングルは「初心LOVE(うぶらぶ)」です。
最初から自分で選んで始めたアイドル人生ではありませんでした。それでも、仲間との活動やグループの変化、学校生活、初めての演技を経験する中で、西畑自身が「アイドルとしてやっていく」という意思を持つようになりました。
2011年4月3日に始まったその歩みは、2026年4月3日で15年。最初のステージへ押し出されるように立った中学生は、なにわ男子として「初心LOVE」を歌い、長い関西ジュニア時代の先にCDデビューの日を迎えました。



























コメントを残す