Travis Japanのリーダーとしてステージに立つ宮近海斗。ダンスではグループの中心に入り、メンバーをまとめる役割も担ってきました。
ところが、子どものころの宮近は、人前に出ることを楽しむタイプではありませんでした。家族が振り返る少年時代には、緊張すると涙が出てしまうほどシャイだった姿が残っています。
サッカーを始めたのは2人の兄の影響。ダンスを始めたのは妹がきっかけ。そして芸能界へ履歴書を送る場面では、母親が先に動いていました。
兄のサッカー、妹のダンス、母の履歴書。宮近海斗のアイドルへの入口には、何度も家族が登場します。
本人が強く望んで始めたことばかりではなかった少年が、やがてTravis Japanとして世界デビューするまで。昔の具体的な場面から、その道のりをたどります。
宮近海斗は昔どんな子だった?泣き虫だった少年時代
宮近海斗の公式プロフィールでは出身地は東京都。子どものころは、家族との日常の中でサッカーやダンスに触れていきました。
現在のステージで見せる姿からさかのぼると、少年時代にはサッカー、ダンス、家族との出来事がいくつもあります。どれも後の活動につながりますが、始まり方は意外なほど日常的でした。
人前に立つと涙が出たほどシャイだった
2026年に出演した「A-Studio+」では、母や妹ら家族への取材を通して、幼いころの宮近が泣き虫だったことが紹介されました。本人も、人前に立ったときの緊張について振り返っています。
「緊張で涙が上がってきた」
出典:毎日キレイ「Travis Japan宮近海斗:メンバーからの感謝にリーダーが涙 泣き虫だった幼少期」(2026年4月24日)
同番組では母、妹、義姉、甥にも取材が行われ、家族の側から見た幼いころの宮近も紹介されました。本人の記憶だけでなく、身近な人の証言にも泣き虫だった時期が残っています。
兄2人を追って始めたサッカー
宮近には兄が2人います。本人によると、2人ともサッカーをしていたため、自分もボールを蹴れる年齢になるとサッカーを始めました。
幼稚園のころには、サッカーの練習中に急な嵐に見舞われたこともありました。車へ避難したあと、外にサッカーボールを忘れたことに気づくと、父親が激しい雨風の中へ取りに戻ったそうです。
後年の公式YouTube企画「宮近海斗クイズ」では、この出来事が「父をかっこいいと思った場面」として問題になりました。幼い宮近の記憶に残っていたのは、忘れたボールを取りに行く父の姿でした。
兄たちの影響で始めたサッカーは、家族の記憶と結びついた少年時代の一場面でもありました。
小学3年生で妹と始めたダンス
もう一つ、後の宮近を語るうえで欠かせないのがダンスです。始めたのは小学3年生のころ。こちらも最初から本人が希望した習い事ではありませんでした。
妹がダンスを始めることになり、宮近も親に連れられて一緒に通うようになります。兄からサッカー、妹からダンスという形で、きょうだいの存在がそれぞれ別の体験につながりました。
「自分からじゃないんです」
出典:TVガイドWeb「宮近海斗が『上田と女が吠える夜』に登場! 兄や妹との爆笑エピソードが明らかに!!」(2025年7月23日)
宮近は同じ番組で、きょうだいに引っ張られて始めたダンスが現在は職業になっていることも話しています。始めた理由と、続けた先にあるものは別でした。
小学校高学年で出会ったマイケル・ジャクソン
ダンスを続ける中で、小学校高学年のころに強く触れたのがマイケル・ジャクソンでした。映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」の公開をきっかけに、周囲でもマイケルの楽曲が使われる機会が増えたといいます。
ダンスの先生や周囲の人たちが楽曲を使い、宮近自身も振り付けの一部や「スムーズ・クリミナル」を踊りました。好きなアーティストを画面越しに見るだけでなく、実際に身体を動かしながら吸収していった時期です。
宮近海斗の家族構成は?母・父・兄2人・妹とのエピソード
宮近の家族を語るとき、目立つのは肩書きではなく具体的な出来事です。父とのサッカーボールの記憶、兄たちのサッカー、妹とのダンスや留守番、そして母が用意した履歴書があります。
公式プロフィールに記載されている出身地は東京都です。実家の区市町村までは公式には示されておらず、具体的な住所は公表されていません。
兄2人と妹がいる4人きょうだい
宮近は4人きょうだいの上から3番目です。兄が2人、下に妹が1人います。2026年の「A-Studio+」では母、妹、義姉、甥への取材も行われ、家庭での宮近の様子が紹介されました。
番組では母と妹から、家族の中で頼りになる存在として見られている一面も語られています。ライブのMCには妹から率直なダメ出しも飛ぶなど、仕事の顔とは違う距離感が見える場面もありました。
兄2人がサッカーをしていたことは本人が明かしていますが、兄の氏名や現在の職業、具体的な所属先は本人発言では示されていません。
妹との留守番で2人とも泣いた少年時代
妹とはダンスだけでなく、いかにもきょうだいらしい昔話も残っています。2人で留守番をしていたときにけんかになり、宮近が妹を泣かせてしまったことがありました。
ところが、泣く妹を前にしてどうすればいいのか分からなくなり、宮近まで泣いてしまったそうです。妹を泣かせた側の本人まで一緒に泣いてしまったという、留守番中の具体的な昔話です。
妹は後年、ライブのMCについて兄へ率直な指摘もしていると番組で明かされています。幼いころに一緒に泣いた妹は、大人になってからも遠慮なく言葉を返せる相手として登場します。
母親はダンスの先にもアイドルへの入口を作った
小学3年生でダンスへ連れて行った家族の存在に続き、芸能界への入口で大きく動いたのも母親でした。宮近が自分で募集要項を探し、進んで応募したという始まり方ではありません。
母親の周囲では、ダンスをしている宮近を見て「ジャニーズに行けるのでは」という話が出ていたといいます。ダンスの先生にSMAPのバックダンサー経験があったことも、母親が事務所を意識する材料の一つになりました。
その母親が実際に履歴書を用意したことで、宮近の日常は大きく動きます。詳しい場面は、入所へ進む直前に起きました。
宮近海斗の学歴は?高校時代とトリプルカイトの学生生活
学生時代の宮近は、すでにジュニアとして活動する一方、学校では同年代と日常を過ごしていました。後年の本人インタビューには、仕事場とは別の教室で過ごした時間が残っています。
本人が詳しく振り返っているのは高校の昼休みです。芸能活動で顔を合わせる仲間と、学校でも同じ時間を過ごしていました。
松倉海斗・中村海人と高校で同じクラス
宮近、中村、松倉は名前に「海斗」が入ることから「トリプルカイト」と呼ばれる3人です。宮近本人は2026年のインタビューで、松倉と中村が高校で同じクラスだったと振り返っています。
芸能活動では同じ現場に立ち、学校では同じ教室で授業を受ける関係でした。グループとして現在まで続く3人には、高校生として同じ時間割を過ごした時期があります。
3人で昼食を食べていた高校時代
宮近の高校には、弁当を注文して食べられる仕組みがあったそうです。昼休みになると、宮近は松倉、中村と一緒に食事をしていました。
「3人で一緒に食べていました」
出典:MOVIE WALKER PRESS「Travis Japan宮近海斗、映画『Michael/マイケル』への熱い想いがあふれた校内放送の収録に密着!」(2026年6月8日)
友人と話しているうちに昼休みが終わり、そのまま次の授業が始まってしまうような過ごし方だったといいます。仕事場ではなく、教室で一緒にいた3人の記憶です。
学生生活の外ではジュニアとして活動
宮近が事務所へ入ったのは2010年。高校へ進む前からステージや番組への出演が始まっており、学生生活の外側ではすでにジュニアとしての活動が続いていました。
2018年に舞台「いまを生きる」への出演が発表された際には、本人が当時は学生ではないとしたうえで、高校時代を思い出しながら役と向き合ったとコメントしています。学生時代の記憶は、卒業後の仕事の中でも呼び戻されていました。
宮近海斗の入所日は2010年10月30日!母が用意した履歴書がきっかけ
宮近海斗の入所日は2010年10月30日です。アイドルへの入口で中心にいたのは母親でしたが、本人は当時、芸能界へ飛び込みたくて仕方がなかったわけではありません。
2023年にTOKYO FM「木村拓哉 Flow」へ出演した宮近は、事務所に入るまでをかなり具体的に振り返っています。
「最終的には親がきっかけで」
出典:TOKYO FM「Flow 第二百五十九回目『拓哉キャプテン × Travis Japan 宮近海斗、中村海人、七五三掛龍也』Part3」(2023年7月16日)
帰宅するとリビングに履歴書が置かれていた
ある日、家へ帰ると母親が作った履歴書が置かれていました。本人に相談しながら一緒に書き始めたのではなく、母親が先に用意していた履歴書です。
宮近は当時、ジャニーズに詳しかったわけではなく、人見知りで怖がりだったとも話しています。新しいことへの挑戦も得意ではなく、応募に前向きな状態から始まったわけではありませんでした。
500円を持って自分で郵便局へ
母親は履歴書だけでなく500円も宮近に渡し、自分で郵便局へ持って行くよう促しました。宮近は気が進まないまま、それでも履歴書を自分の手で郵便局へ運び、発送します。
応募後にはオーディションを受け、さまざまな先輩や景色を見ることになります。そこで本人の気持ちにも変化が生まれ、この場所でやってみたいと思う瞬間があったと後に語っています。
入所約1か月後にはステージへ
2010年10月30日の入所から間もない11月26日、27日には、NHKホールで行われた「年末ヤング東西歌合戦!東西Jr.選抜大集合2010!」の出演者として宮近の名前が公式記録に残っています。
履歴書を持って郵便局へ行くことさえ気が進まなかった少年が、約1か月後には大きな会場のステージに関わっていました。ここから学校生活と並行したジュニア時代が続いていきます。
ジュニア時代の宮近海斗とTravis Japan結成
入所後の宮近は、ステージだけでなくテレビ番組や舞台へ活動の場を広げます。STARTO ENTERTAINMENTの公式バイオグラフィーには、2011年10月から「ジャニーズJr.ランド」へ出演した記録があります。
2012年夏には舞台「PLAYZONE’12 SONG & DANC’N。PARTII。」へ出演。宮近だけでなく、中村海人、七五三掛龍也、川島如恵留、吉澤閑也らの名前も公式記録に残っています。
Travis PayneのオーディションからTravis Japanへ
Travis Japanは2012年に結成されました。グループ名の「Travis」は、マイケル・ジャクソンの振付師として知られるTravis Payneに由来します。
UNIVERSAL MUSIC JAPANの公式プロフィールでは、Travis Payneがオーディションを行ってメンバーを構成し、その名前にちなんでTravis Japanと名付けられたと紹介されています。
メンバー変遷を経て2017年に現在の7人体制へ
Travis Japanは結成時から同じ7人だったわけではありません。メンバーの変遷を経て、2017年から宮近海斗、中村海人、七五三掛龍也、川島如恵留、吉澤閑也、松田元太、松倉海斗の7人で活動するようになります。
宮近にとっては、入所からここまでですでに長い時間が流れていました。番組、舞台、バックダンス、グループ活動を重ねながら、まだデビュー前の期間が続きます。
2022年に入ると、7人は日本で続けてきた活動から大きく環境を変える決断をします。行き先はアメリカ・ロサンゼルスでした。
ロサンゼルス留学からTravis Japan世界デビューへ
Travis Japanは2022年3月から、スキルアップのためロサンゼルスへ留学しました。日本でデビューを待ちながら活動を続けるのではなく、7人で共同生活をしながらダンスや語学を学ぶ道を選びます。
宮近は後に、渡米を決めたときの気持ちをテレビ番組で振り返っています。迷いがなかったというより、7人の中で次の機会をつかみに行く気持ちが上回った決断でした。
「何か大きなものを掴み取りたい」
出典:WEBザテレビジョン「Travis Japan宮近海斗『何か大きなものを掴み取りたい』米国留学決定時の心境明かす」(2022年11月24日)
ロサンゼルスではダンスだけでなく、歌や語学にも取り組みました。共同生活をしながら、現地の大会やオーディションへ出ていく活動が始まります。
World of DanceとAmerica’s Got Talentに挑戦
渡米後、Travis Japanは「World of Dance Championship Series」へ出場。地区予選を3位で通過し、全米大会のチーム部門で4位、世界大会では9位に入りました。
さらにアメリカのオーディション番組「America’s Got Talent」に出演。「夢のHollywood」を英語で披露し、セミファイナルまで進みます。日本で続けてきたダンスを、現地の観客と審査員の前で直接見せる時間になりました。
UNIVERSAL MUSIC JAPANの発表では、こうしたアメリカでの活動を重ねる中でCapitol Recordsとの契約が決定。9月末に、10月28日の世界デビューが公表されました。
2022年10月28日「JUST DANCE!」で世界デビュー
2022年10月28日、Travis Japanは「JUST DANCE!」を全世界へ配信し、Capitol Recordsからメジャーデビューしました。2010年に入所した宮近にとって、事務所へ入ってから12年を経て迎えた日です。
デビュー曲のミュージックビデオは、ロサンゼルスのベニスビーチで撮影されました。配信当日を迎えた宮近は、長く目指してきたデビューが現実になった心境を言葉にしています。
「こうして念願が現実になった今」
出典:日刊スポーツ「Travis Japan、ジャニーズ初の全世界配信デビュー控え宮近海斗『皆さんの思い胸に』」(2022年10月28日)
「JUST DANCE!」は日本だけでなく全世界へ同時配信され、Travis Japanは日本国内のCD発売から始める形とは異なるデビューを迎えました。
結成から14年を迎えた2026年7月には、宮近自身も公式XでTravis Japanの節目を祝っています。
「JUST DANCE!」の配信で、宮近の長いジュニア時代は世界デビューへつながりました。2010年11月にNHKホールの出演者として名を連ねた少年は、12年後にはロサンゼルスでデビュー曲のMVを撮影し、世界へ曲を送り出す側に立っています。
人前に立つと緊張で涙が出ていた少年時代から始まった時間は、Travis Japanのリーダーとして7人でステージに立つ現在へ続いています。





























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