Snow Manの中でも、伸びのある歌声や美容へのこだわりで知られる渡辺翔太。現在はグループ活動に加え、俳優や舞台などでも活動の幅を広げています。
ところが原点をたどると、幼稚園では宮舘涼太と同じクラスで過ごし、中学生になるまでは東京の地元で友人たちと学校生活を送っていました。芸能界入りも、本人が長年準備して応募したという形ではありません。
幼稚園の「ゆり組」から始まった宮舘涼太との縁は、いったん別々の学校へ進んだあと、芸能界で再びつながっていきます。
1992年11月5日生まれで、公式プロフィールでは東京都出身。ここから、家族との日常、学校生活、中学1年での入所、長いジュニア時代、そしてSnow Manとしてデビューするまでを時系列でたどります。
渡辺翔太は昔どんな少年だった?幼少期と地元での生活
渡辺翔太の幼少期を語るうえで欠かせないのが、Snow Manの宮舘涼太との関係です。二人は大人になってから同じグループで出会ったのではなく、幼稚園時代から互いを知っていました。
宮舘は2025年、渡辺とは生まれた病院が同じで、幼稚園も同じだったと明かしています。幼稚園の年長時に所属していたクラス名が「ゆり組」で、現在ファンの間でも使われる呼び名の由来になりました。
宮舘涼太とは幼稚園の「ゆり組」からの幼なじみ
二人は3歳ごろから互いを知る関係でしたが、ずっと同じ学校に通い続けたわけではありません。幼稚園を卒園すると、小学校と中学校は別々になっています。
のちに同じSnow Manとなる二人が、少年時代にはいったん別の道を歩いていたことになります。再び顔を合わせる場所の一つが、芸能界のオーディション会場でした。
子供の頃からあんまり泣かないんで
出典:MORE「Snow Man渡辺翔太『歌は僕にとって唯一感情表現できる手段』」(最終更新 2022年8月7日)
渡辺は後年、子どものころからあまり泣かなかったと振り返っています。友人から感情があるのかと不思議がられるほどで、感情を表に出すこと自体が得意ではなかったとも話していました。
小中学校では別々に!地元の友人とは今も交流
渡辺は2025年のテレビ番組で、中学生まで東京都江戸川区で過ごしたと話しています。高校進学までは地元での学校生活が中心にあり、芸能活動を始めたあとも地元の人間関係が途切れたわけではありません。
2026年には、中学校時代の同級生と今でも食事へ行くと明かしました。テレビに少し映っただけでも連絡をくれる友人がいるといい、芸能活動を始める前からのつながりが現在まで続いています。
学校生活ではバスケットボール部にも所属していました。2025年に「メシドラ」へ出演した際、バスケットボール用品を見つけた場面で、自分の部活動について短く明かしています。
僕バスケ部でした
出典:TVガイドWeb「渡辺翔太が『メシドラ』に登場! デビュー5周年を迎えたSnow Manへの思いを明かす」(2025年5月16日)
この中学時代に、渡辺の生活へ芸能活動が入ってきます。入所は2005年6月26日。まだ中学1年のときでした。
渡辺翔太の家族構成は?父親・母親・妹とのエピソード
渡辺は父親、母親、妹とのエピソードをテレビやラジオでたびたび話しています。家族について語るときに出てくるのは、特別に飾った話よりも、手紙やLINE、食事といった日常の場面です。
実家の資産や両親の収入は公表されておらず、「実家がお金持ち」と断定できる本人発言はありません。一方で、現在も実家へ顔を出し、家族で食事をするなど交流が続いていることは本人が明かしています。
母親から成人式でもらった初めての手紙
母親との関係を象徴する話の一つが、成人式のときの手紙です。渡辺は、それまで母親から手紙をもらった記憶がなく、成人式で初めて受け取った手紙を一人で読んだと振り返っています。
母親とはとても仲が良いです。
出典:WEBザテレビジョン「Snow Man渡辺翔太、阿部亮平・深澤辰哉とは『次元を超えた関係性』母親との“ほっこりエピソード”も披露」(2026年5月15日)
成人式でもらった母親からの手紙は、渡辺が一人で読み、胸がいっぱいになった思い出として残っています。
現在も渡辺は実家へ顔を出すことがあり、母親と妹が渡辺の家へ来ることもあるそうです。家族で外食する機会もあり、本人は月に1回ほどと話しています。
妹とは今もLINE!家族で月1回ほど食事
妹とのやり取りも続いています。2022年のラジオでは、妹とは頻繁にLINEをすると話し、自分から妹に何かをしてあげることが多いとも明かしました。
妹がSnow Manでは向井康二を応援しているという話になったときには、渡辺が冗談交じりに悔しがる場面もありました。兄妹の距離感が見える、肩の力が抜けた昔からの家族関係です。
父親と母親の出会いは「和食さと」
父親と母親については、渡辺本人が意外な出会いの場所を明かしています。二人は若いころ、飲食店「和食さと」でアルバイトをしており、そこで出会ったそうです。
2022年の「それSnow Manにやらせて下さい」で店舗数を当てるクイズに挑んだ際、この家族の昔話を披露しました。渡辺は両親の出会いを笑いに変えながら話し、その場で「和食さと」を選択しています。
芸能界入りの入口にも家族が関わっています。2005年、両親からNHKのスタジオパークへ行こうと言われてついて行くと、そこに事務所のオーディション会場があったと伝えられています。
渡辺翔太の学歴は?高校・大学と学生時代
渡辺は中学生の途中からジュニアとして活動していたため、その後の学生生活は芸能活動と並行して進んでいきました。高校時代には、幼稚園から知る宮舘涼太と再び同じ学校に通っています。
高校名について、日刊ゲンダイは2008年にクラーク記念国際高等学校へ進学したと報じています。同じ年に宮舘涼太、佐久間大介も入学したとされ、渡辺と宮舘は同じクラスになりました。
高校では宮舘涼太と同じクラス
幼稚園を卒園したあと、小学校と中学校では別々だった渡辺と宮舘。芸能界で再会した二人は、高校でも同じ学校へ進み、さらに同じクラスで過ごすことになります。
渡辺自身も高校時代を振り返る場面で、宮舘が同級生で同じクラスだったと話しています。ただし、本人の感覚では学校で目立ってモテていたのは自分ではなく宮舘だったそうです。
学生時代の中ではモテない方でしたね
出典:日テレNEWS NNN「Snow Man・渡辺翔太 高校時代にモテていたメンバーを明かす」(2023年11月17日)
宮舘については、周囲から人気があったと率直に話しています。幼稚園時代から知る相手だからこそ、芸能活動だけでなく学校での姿まで知っていたことになります。
指原莉乃から見た高校時代と本人の記憶
高校では指原莉乃とも同級生でした。渡辺は2025年、「指原莉乃ちゃんとか同じクラスにいて」と当時を振り返り、指原がAKB48の研究生、自分がジュニアとして活動していた高校生活を語っています。
一方、指原から見た当時の渡辺は本人の自己評価とは少し違います。音楽ナタリーでは、指原が渡辺を学校内で目立つ存在だったと振り返ったことが紹介されており、本人が「モテない方」と語る記憶との対比があります。
明海大学経済学部へ進学と報じられる
高校卒業後の進路については、日刊ゲンダイが渡辺と宮舘はそろって明海大学へ進み、渡辺は経済学部で学んだと報じています。大学時代もジュニアとしての活動は続いていました。
大学名や学部は本人の現行公式プロフィールには掲載されていません。卒業時期は現在の公式プロフィールでは公表されていません。大学時代の学校生活について本人が具体的に語った記録も、高校時代のエピソードほど多くはありません。
それでも、中学で事務所に入り、高校、大学と進学しながらジュニア活動を続けた時間は長くなっていきます。CDデビューまでには、入所から14年以上を要することになります。
渡辺翔太の入所日は2005年6月26日!中学1年で芸能界へ
渡辺翔太が事務所へ入所したのは2005年6月26日です。当時は中学1年。本人が子どものころからアイドルを目指し、事務所の研究を重ねて自分で応募したという始まりではありませんでした。
ぴあ音楽が紹介した当時の経緯では、両親から「NHKのスタジオパークに行こう」と言われて向かった先がオーディションだったとされています。そこで合格し、その日のうちに取材を受ける流れになりました。
本人はもともとジャニーズに詳しくなかった
芸能界へ入る前の渡辺は、事務所の先輩たちに詳しい少年でもありませんでした。2023年、「全力!脱力タイムズ」に出演した際、子どものころから入りたかったのかと聞かれ、当時についてこう答えています。
当時はジャニーズに全然詳しくなくて。
出典:Real Sound「渡辺翔太、『全力!脱力タイムズ』出演 Snow Manの魅力を徹底解剖」(2023年4月6日)
オーディションでは、それまでのダンス経験が生きました。合格後のスタートも早く、STARTO ENTERTAINMENTの公式バイオグラフィーには、同年7月26日から始まった舞台への出演者として渡辺の名前が記録されています。
オーディション直後から始まったジュニア生活
学校へ通いながら、渡辺の日常にはレッスンや舞台が加わりました。入所後しばらくするとJr.BOYSで活動し、2009年にはSnow Manの前身となるMis Snow Manの一員として活動するようになります。
早い段階から舞台へ立てた一方で、そこからCDデビューまでは短くありませんでした。入所した2005年から2020年のデビューまで、ジュニアとして過ごした期間は14年以上に及びます。
渡辺翔太のジュニア時代!Snow Man結成まで
渡辺が入所した2005年、幼稚園で一緒だった宮舘涼太も事務所のオーディションを受けます。その会場で、二人は思いがけない形で再び顔を合わせました。
宮舘が後年語ったところでは、オーディションの前方でダンスのお手本を見せていたジュニアの中に、数か月先に入所していた渡辺がいたそうです。幼稚園を卒園して別々の学校へ進んだ二人が、今度は芸能界で同じ道へ入っていきました。
宮舘涼太とオーディション会場で思わぬ再会
渡辺にとって宮舘は、幼少期だけを共有する友人ではなくなりました。高校では同じクラスになり、ジュニアとしても同じステージを経験し、やがて同じグループのメンバーになります。
「ゆり組」という幼稚園時代の呼び名が現在まで知られているのは、二人の関係がそこで終わらず、その後の芸能活動まで長く重なったためです。
2009年ごろMis Snow Manへ
渡辺は2009年、Mis Snow Manとして活動するようになります。舞台や先輩のバックなどを経験しながら、ダンスやアクロバットを武器にするジュニアの一人としてステージに立ち続けました。
ただし、グループで活動していることとCDデビューが決まることは別でした。メンバーの形が変わる時期もあり、先の見えにくいジュニア生活が続きます。
2012年に6人でSnow Man結成
2012年、岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、佐久間大介の6人でSnow Manが結成されました。先輩の舞台やバックダンサーとして高く評価される一方、CDデビューの時期はなかなか見えてきませんでした。
2019年には向井康二、目黒蓮、ラウールが加わり、現在につながる9人体制へ。渡辺にとっては入所からすでに十数年が過ぎていました。
長いジュニア時代を経てSnow Manとしてデビュー
仕事がなかったわけではありません。Snow Manは舞台やバックダンサーとして経験を重ね、渡辺も長くステージへ立ち続けていました。それでも「CDデビューできるのか」という問題は別に残っていました。
「やめよう」が何度も頭をよぎった
2020年、デビュー直前のテレビ密着で、渡辺はジュニアとして過ごした長い時間を振り返っています。続けることに迷いがなかったわけではありませんでした。
やめようは何回も頭によぎりましたね
出典:WEBザテレビジョン「Snow Man、デビューまでの厳しい道のり『ジャニーズじゃない自分を何度も想像』」(2020年1月14日)
2012年にSnow Manができてからも、すぐにデビューが決まったわけではありません。仕事を続けながら状況が変わらない時期を経験し、渡辺自身も事務所を離れた場合の自分を考えることがありました。
それでもステージは続きました。2019年8月8日、東京ドームで開催された「ジャニーズJr.8・8祭り〜東京ドームから始まる〜」で、Snow ManとSixTONESのCDデビューが発表されます。
2019年8月8日の東京ドームでデビュー発表
渡辺は子どものころから「あまり泣かない」と話していましたが、この日のステージでは涙を見せました。後年のインタビューでは、ステージ側から見えるモニターにジャニー喜多川さんの写真がサプライズで映り、それを見た瞬間に涙が流れたと振り返っています。
入所した2005年6月から、デビュー発表まで約14年。幼稚園時代から知る宮舘と同じグループに立ち、6人で始まったSnow Manは9人となり、東京ドームで次の段階へ進むことが告げられました。
2020年1月22日「D.D.」でCDデビュー
Snow Manは2020年1月22日、「D.D.」でCDデビューしました。中学1年で事務所に入り、舞台、Jr.BOYS、Mis Snow Man、Snow Manと活動の場所を変えながら続いた時間が、ここでCDデビューへつながります。
デビューから5年を迎えた2025年1月22日には、Snow Manの公式Xで渡辺自身がファンへメッセージを投稿しています。長いジュニア時代を経たあとも、デビュー日はグループとファンが一緒に祝う日として続いています。
幼稚園の「ゆり組」から始まり、中学1年で突然芸能界へ入り、学生生活とジュニア活動を重ねた渡辺翔太。すぐにCDデビューへ進んだのではなく、長いステージ経験の先に2019年の発表と2020年の「D.D.」がありました。
現在のSnow Manで歌う姿の前には、地元の友人と過ごした学校生活や家族との日常、宮舘涼太との再会、そして何度も進路を考えたジュニア時代があります。その時間を経て、渡辺はSnow ManとしてCDデビューのステージへ進みました。

























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