Snow Manの向井康二は、明るい関西弁と人懐っこい空気、カメラを手にした姿でも知られるメンバーです。けれど、アイドルになる前の時間をたどると、日本とタイを行き来しながら育ち、兄とムエタイに通っていた少年の姿が見えてきます。
芸能界への入口になったのも、一般的なオーディション雑誌への応募ではありませんでした。タイで兄と通っていたムエタイジムに飾られた写真が、人の目に留まったことから話が動き始めます。
向井康二の原点には、タイで過ごした幼少期、家族との時間、そして兄と汗を流したムエタイの日々がありました。
現在の公式プロフィールでは奈良県出身とされていますが、本人はタイで生まれたことを公の場で語っています。出生地と「出身地」というプロフィール表記は分けて見る必要があります。
まずは、向井康二がどんな場所で幼少期を過ごし、家族とどんな時間を重ねてきたのかからたどっていきます。
向井康二はタイで生まれた?奈良で育った少年時代
STARTO ENTERTAINMENTとMENT RECORDINGの公式プロフィールでは、向井康二は1994年6月21日生まれ、奈良県出身と記載されています。一方、2020年にタイ・バンコクで行われたイベントでは、自身の出生についてはっきり言葉にしています。
「タイで生まれたので少しだけ(タイ語を)話せます。」
出典:デイリースポーツ「Snow Manタイ魅了 初海外で躍動5千人集結 母がタイ人の向井は感慨深げ」(2020年2月2日)
奈良を生活の拠点にしながら、子どもの頃は母の故郷であるタイも身近な場所でした。本人によると、事務所に入る前までは母の帰省に合わせて毎年タイへ行き、1年のうち約3か月を現地で過ごすこともあったそうです。
タイの友達と遊びながら身についたタイ語
タイでの滞在中は、母の実家の近所にいる友達と遊んで過ごしました。観光客として短期間訪れるのとは違い、毎年同じ土地に戻り、現地の子どもたちと過ごす時間があったことで、日常会話レベルのタイ語が自然に身についたと振り返っています。
学校の長期休みに合わせながら、通常より長めに休みを取り、タイで過ごすこともありました。日本での学校生活と、母の故郷での生活。その両方が少年時代の日常に入っていたことになります。
2026年には、タイの「こどもの日」に合わせて本人が幼少期の写真を公開しています。現在の姿だけでは分からない、カメラを手にした子どもの頃や遊んでいる姿が残る投稿です。
父のゴルフクラブを借りた小学生時代
タイでの家族の思い出にはゴルフもあります。小学校低学年の頃、父のクラブを借り、Tシャツにサンダルという格好で家族とコースへ出たことがあったそうです。
長いクラブで打ったボールが一度、まっすぐ穴へ入った場面を、本人は後年まで鮮明に覚えていました。ゴルフそのものだけでなく、カートに乗ることも楽しかったという、ごく普通の家族旅行らしい記憶です。
向井康二の家族構成は?父親・タイ人の母・兄との関係
向井康二は、日本人の父とタイ人の母のもとで育ち、2歳上の兄がいます。家族について語るときは、幼少期のタイ滞在、父とのゴルフ、母とのタイ語、兄とのムエタイなど、具体的な場面が何度も登場します。
タイ人の母と今も続くタイ語の会話
母はタイ出身です。2023年に『徹子の部屋』へ出演した際には、母が元軍人だったことにも触れています。家庭では日本語だけではなくタイ語でも話し、成長してからもタイ語を勉強していると明かしました。
「タイ語になるとキーが上がる癖があるんですよね。」
出典:日刊スポーツ「SnowMan向井康二、タイ人の母の味は『おかんの味=焼き肉のタレ』両親のなれ初めも語る」(2023年8月22日)
母の料理については、チャーハンや野菜炒めにも焼き肉のタレを使う家庭の味や、グリーンカレーにハート形のにんじんをのせることを話しています。タイの料理だけに限定されない、向井家の食卓の雰囲気が伝わるエピソードです。
父親との思い出はゴルフにも残っている
父については、タイで一緒にゴルフへ出かけた幼少期の話が残っています。大人になってからもゴルフは家族との時間につながっており、2026年には両親との外出をうかがわせる写真を本人のInstagramで公開しました。
父の職業については、本人や所属先の公式プロフィールでは明かされていません。家族が一般人である部分については、仕事や生活圏を推測せず、本人が公に語っている家族との出来事を中心に見るのが自然です。
2歳上の兄・達郎と一緒にムエタイへ
兄の達郎さんは2歳上。兄弟は子どもの頃、母に勧められてタイのムエタイジムへ一緒に通っていました。雨の日にはぬかるんだ場所を走り、数日間ジムに泊まり込むこともあったといいます。
兄はのちに弟とともに芸能活動を経験します。2025年には『しゃべくり007』で兄弟が久しぶりにテレビ共演し、子どもの頃に通ったムエタイジムの写真がスカウトにつながった経緯も紹介されました。
大人になってからも兄弟の交流は続いています。2026年1月には「Brothers’ Trip」として兄との旅行の様子を本人が投稿しており、少年時代だけの関係ではないことが分かります。
向井康二の学歴は?小学生から大学までの学生時代
向井康二は小学生のうちに芸能活動を始め、その後も学校へ通いながら関西を拠点に活動を続けました。中学校、高校、大学へ進んだことは本人の発言からたどれますが、学校名について本人や所属先が公式プロフィールで公表しているわけではありません。
小学生では母が選んだ服、中学生ではまだ服にこだわらず
学生時代の空気が分かる本人の回想のひとつが、ファッションについての話です。小学生の頃は母が用意した服を着て、中学生ではまだ強いこだわりがなく、高校生になってから自分で意識して洋服を選ぶようになったと語っています。
「意識して洋服を選ぶようになったのは高校生になってから。」
出典:non-no web「向井さんとオンラインデート気分でおしゃれのこと、聞いてみた」(2021年2月18日)
高校に入った頃は、おしゃれ好きだった兄が着ていそうな服を買ってみることもあったそうです。子どもの頃にムエタイを一緒に習った兄は、服を自分で選ぶようになった時期にも身近な参考になっていました。
大学では目立たず、講義を受けて帰る日々
大学時代については、non-noのインタビューで本人が具体的に振り返っています。芸能活動をしていたためキャンパスでは目立ちたくないという気持ちがあり、特に仲の良い友人は少人数。大勢でにぎやかに過ごすより、講義を受けたら帰る生活だったそうです。
「ただ講義を受けて帰るだけの静か~なキャンパスライフでした。」
出典:non-no web「向井康二さん(Snow Man)に大学生活のことを聞いてみた」(2024年3月13日)
3年生の時点では、卒業に必要な単位の多くをすでに取り終えていたとも話しています。小学生から芸能活動を続けながら、大学では単位を計画的に積み上げていたことになります。
大学へ進学したことは本人自身が明かしていますが、所属先の公式プロフィールには大学名の記載がありません。中学校や高校についても、正式な校名を本人が公式に示した資料は限られています。
ムエタイジムの写真が向井康二の芸能界入りにつながった
向井康二の芸能界入りをたどると、タイでの少年時代と兄の存在がそのまま一本につながります。兄弟で通っていたムエタイジムには二人の写真が飾られており、その写真をきっかけに芸能事務所側から声がかかったと本人が振り返っています。
母に届いた連絡、本人は芸能界に興味なし
連絡を受けたのは母でした。ところが、当時の向井康二本人は芸能界に強い関心があったわけではありません。話を聞きに行くきっかけになったのは、子どもらしい言葉でした。
「『お菓子あげるから』の誘惑につられて行きました。」
出典:るるぶ&more.「向井康二さん(Snow Man)がタイで過ごした幼少期、MV撮影秘話をたっぷりトーク!」(2024年2月7日)
本人の回想では、最初に話が出たのは小学2年生の頃でした。その時点ではまだ幼かったため、すぐに本格的な活動へ進むのではなく、何年か後にという話になったといいます。
タイで兄と通ったムエタイジムの写真が、日本でアイドルへの道が始まる入口になりました。
本人の回想では小5で入所、公式記録では2006年に舞台出演
向井康二は、るるぶ&more.のインタビューで小学5年生のときに入所したと振り返っています。一方、STARTO ENTERTAINMENTのSnow Man公式バイオグラフィーには、2006年8月3日から27日まで大阪松竹座で上演された『関ジャニ∞ サマースペシャル 2006 Another’s“ANOTHER”』への出演が記録されています。
同じ公式バイオグラフィーでは、2006年12月の『関西ジャニーズJr. First コンサート Winter 2006』にも向井康二の名前があります。少なくとも2006年には、関西ジャニーズJr.として舞台やコンサートに立つ活動が始まっていました。
本人の「小5で入所」という回想と、公式バイオグラフィーに残る2006年8月の舞台出演記録では、時期の表現にずれがあります。公式記録上は、2006年にはすでに舞台へ出演していました。
兄と「ムエタイ向井ブラザーズ」で活動を始めた少年時代
芸能界へ入った後、兄弟は「ムエタイ向井ブラザーズ」という名前のユニットで活動しました。2025年の『しゃべくり007』で兄・達郎さんが出演した際にも、兄弟でスカウトされたことや、このユニットで約3年間活動したことが紹介されています。
タイで一緒にムエタイの練習をしていた兄と、そのまま二人で芸能活動へ入る。向井康二にとって最初のアイドル活動は、家庭と切り離された場所から突然始まったのではなく、兄弟の時間の延長線上にありました。
大阪松竹座に立った2006年
2006年8月の大阪松竹座出演に続き、同年12月にも関西ジャニーズJr.のコンサートへ出演。2008年には大阪松竹座の夏公演にも名前があり、活動の場を継続して広げていきます。
2013年の公式記録には、大阪松竹座での『関西ジャニーズJr. 大阪松竹座 夏 8月特別公演 ANOTHER』や、オリックス劇場の『まいジャニ コンサート Vol.2』への出演も残っています。少年期から青年期まで、関西の舞台に立ち続けた時間は長く続きました。
関西ジャニーズJr.として積み重ねた長い時間
兄とのユニット活動が終わった後も、向井康二は一人で関西ジャニーズJr.に残りました。小学生で始まった活動は中学、高校、大学へと進んでも途切れず、舞台、コンサート、映像作品などに出演を重ねます。
この時期は、まだCDデビューを果たしたアイドルではありません。それでも大阪松竹座をはじめとする公演に継続して立ち、後輩が増えていく中でも関西の現場で活動を続けました。
学校生活と芸能活動が同時に続いていた
学生生活の一方には、芸能活動の予定がありました。高校生になって服を自分で選ぶようになったこと、大学では静かに講義を受けていたことなど、本人の回想を並べると、華やかな舞台だけではない日常も見えてきます。
大学まで進学した後も、関西ジャニーズJr.としての活動は続きました。大学名や中学・高校の正式校名よりも、本人が語っている「どんな学生だったか」を追うと、仕事では人前に立ちながら、学校では目立たないように過ごしていたという対照的な時間が浮かびます。
Snow Man加入へ!上京を決めた向井康二
長く関西を拠点に活動してきた向井康二に、大きな転機が訪れたのが2019年です。MENT RECORDINGの公式コンテンツでは、2019年1月に向井康二、目黒蓮、ラウールの3人がSnow Manへ加わり、9人体制になったことが記されています。
関西で長く活動してきた向井にとって、Snow Man加入はグループが変わるだけではなく、活動拠点を東京へ移す決断でもありました。その節目に深く関わったのが『滝沢歌舞伎』です。
「上京するきっかけでもあり、Snow Manに加入するきっかけでもある」
出典:ORICON NEWS「Snow Man、『滝沢歌舞伎 ZERO』集大成は“一幕制”ライブビューイングも決定【メンバーコメント】」(2023年2月9日)
2019年の『滝沢歌舞伎ZERO』では、Snow Manは新体制で舞台に立ちます。4月の新橋演舞場公演時には、向井、目黒、ラウールを迎えた9人組として取材に応じ、グループとして新しいスタートを切っていました。
関西で過ごした長い時間を捨てて別人になるのではなく、その経験を持ったまま9人の中へ入っていく時期でした。加入後は唯一の関西出身メンバーとして、自分の立ち位置を探す時間もあったことを後年のテレビ出演で振り返っています。
向井康二がSnow ManとしてCDデビューするまで
9人体制になった2019年を経て、Snow Manは2020年1月22日にCDデビューしました。デビュー曲は「D.D.」。向井康二にとっては、2006年から続けてきた芸能活動の先にたどり着いたCDデビューでした。
デビューから5年を迎えた2025年1月22日、Snow Manの公式Xでも5周年を祝う発信が行われました。小学時代にタイのムエタイジムの写真から始まった道は、関西での長い活動を経て、9人組Snow Manのデビューへつながりました。
そしてタイは、デビュー後も向井康二にとって特別な場所であり続けています。2025年にはソロ曲「ファインダー」のミュージックビデオをタイで撮影し、自身のInstagramでもタイを「もう一つの故郷」と表現しました。
「ファインダー」の映像では、現在の向井康二とタイの景色が重なります。幼い頃に毎年のように帰り、友達と遊び、兄とムエタイに通った土地が、大人になった後の表現の舞台にもなりました。
タイは、芸能界に入る前から家族と何度も過ごした場所であり、デビュー後には自分の作品を撮る場所にもなりました。ムエタイジムに飾られていた兄弟の写真から動き始めた道と、現在の表現が同じ土地でつながっています。





























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