松村北斗は昔どんな少年だった?大学・高校の学歴や家族構成、入所までの生い立ち

ひと目でわかるプロフィール
松村北斗
まつむらほくと
静岡から東京へ通いながら、空手少年からアイドルへの道を歩み始めたSixTONESメンバー
生年月日
1995年6月18日
血液型
B型
出身地
静岡県
所属・活動形態
SixTONES
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2009年
活動開始時年齢
13歳
アイドルになったきっかけ
オーディション・芸能事務所への応募

SixTONESのメンバーとしてステージに立ち、俳優としても多くの作品に出演している松村北斗。現在の姿だけを見ると、子どものころから人前に立つことが好きで、そのまま芸能界へ進んだようにも見えるかもしれません。

ところが、本人が振り返る小学校時代は少し違います。学校で目立つタイプではなく、友達から見れば「あの空手をやっている子」というくらいの存在だったそうです。

静岡で空手に打ち込んでいた少年は、芸能事務所から返事が来なくても履歴書を3度送りました。

学校では友達とドロケーをし、家ではゲームを楽しむ。その一方で、小学1年から続けた空手では黒帯まで進み、中学生になるころには東京での芸能活動も始まります。

家族と過ごした日常、静岡から東京へ通った学生時代、山下智久への憧れ、B.I.Shadowでの活動、そして後のSixTONESにつながる6人との出会いまで。松村北斗がアイドルになるまでを、昔の具体的な場面から追っていきます。

松村北斗は昔どんな少年だった?静岡・島田で過ごした子ども時代

SixTONES公式プロフィールで、松村北斗の出身地は静岡県とされています。日刊ゲンダイは、少年時代を過ごした地元について静岡県島田市と報じています。

芸能活動が始まる前の生活は、特別に華やかなものではありませんでした。本人が語る昔話には、公園で遊ぶ友達や家庭用ゲーム、長く続けていた空手といった、ごく身近な少年時代の風景が登場します。

公園でドロケー、家では64やゲームキューブ

子どものころは外遊びもゲームも好きでした。ViViのインタビューでは、学校の昼休みや放課後に外で遊び、近所の子や団地の友達が公園に集まってドロケーをしていたと振り返っています。

家ではNINTENDO64やゲームキューブでも遊んでいました。芸能活動が始まる前の松村北斗には、学校が終われば近所の友達と集まり、家に帰ればゲームをするという時間がありました。

小学校では「あの空手をやっている子」

学校でいつも輪の中心にいるような子だったわけでもないようです。本人は小学校時代について、自分の存在感をかなり控えめに表現しています。

小学校の時は、生徒Dって感じだったと思います。

出典:ViVi「kemioと松村北斗の1995あるある。ふたりの“アオハル”時代ってどんなだったの?」(公開日記載なし)

同じインタビューでは、周囲から認識されるとすれば「あの空手やってる子」という感じだったとも話しています。後に大勢の観客の前に立つことになる松村ですが、小学校の教室では目立ったポジションを取っていたわけではありませんでした。

小学1年から空手を始め黒帯へ

そんな少年時代の大きな軸が空手です。松村は小学1年から空手を始め、事務所に入る中学時代まで続けました。本人によれば黒帯まで取得しています。

遊びの一つとして少し習ったという期間ではありません。学校生活のかなり長い時間と並行して続けていたもので、後年になっても本人が少年時代を振り返るときには何度も空手の話が出てきます。

途中には、もう辞めたいと思った時期もありました。そのときに関わってくるのが父親です。

松村北斗の家族構成は?父親・母親・兄とのエピソード

松村北斗の家族構成
父
空手を辞めたいと相談した際、半年間考えながら続けるよう助言
母
子どもの頃から料理する姿を見て育った
兄
本人
松村北斗
次男

松村北斗は父親、母親、兄がいる家庭で育ちました。本人は実生活では兄がいる「弟」で、自分自身を次男だと語っています。妹や弟はいません。

家族の話には、芸能人になるための特別な英才教育よりも、空手を続けるか迷ったときの父親の言葉や、母親と料理をした思い出、食後の片付けを家族で分担する日常が残っています。

空手を辞めたかった松村北斗に父親が伝えたこと

空手を続けていた松村には、途中でどうしても辞めたくなった時期がありました。2026年のWWDJAPANのインタビューで、そのとき父親に相談したことを振り返っています。

その時に父親から「じゃあ、あと半年間だけしっかり考えながら続けなさい」と言われたんです。

出典:WWDJAPAN「松村北斗 × 今田美桜 映画『白鳥とコウモリ』インタビュー」(2026年9月4日)

子どもの松村は、続けさせられているようにも感じたそうです。それでも半年間取り組むうちに気持ちが変わり、空手を続けることになりました。

父親がその場で「続けろ」「辞めろ」と結論を出すのではなく、半年という時間を置いたことが、空手を続けるきっかけになりました。

母親の料理を見て育ち、家族で家事を分担

母親との思い出には料理があります。松村は小学生のころ、母親と一緒にクリスマスケーキを作った経験を明かしています。また、子どものころから母親が料理する姿を見ていたとも話していました。

家では、料理を作った人だけに後片付けまで任せる形ではなかったようです。CLASSY.のインタビューでは、親が料理を作ったら子どもが皿を洗うなど、それぞれが動いていた家庭の様子を語っています。

食後にはコーヒーを飲むのが定番で、食べ終わった皿をシンクへ運ぶ人、食器を洗う人、拭いて片付ける人、お湯を沸かしてコーヒーを準備する人と、家族全員で分担していました。

「実家」について知りたい人は多いものの、家族の職業や資産を推測するより、本人が語っているこうした日常のほうが、子どものころの家庭の空気を具体的に伝えてくれます。

兄がいる次男として育った

松村には兄がいます。朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で長男の雉真稔を演じた際には、自分自身は次男であり、長男を演じることとの違いを話していました。

別のインタビューでも「僕自身は兄がいて、弟」と説明しています。妹や弟はいないため、家庭の中では一貫して弟の立場で育ってきました。

松村北斗の学歴は?中学校・高校・大学まで

松村北斗の学歴
中学校
静岡県内の公立中学校
中学1年から3年まで静岡から東京へ通って芸能活動
高校
杉並学院高等学校→堀越高等学校
日刊ゲンダイ報道。高校在学中に転校
大学
亜細亜大学 経営学部
日刊ゲンダイ報道。4年間で卒業

学生時代は、静岡で暮らしていた中学生のころから芸能活動と重なります。中学校、高校、大学へ進むにつれ、仕事の量も増えていきました。

具体的な学校名については情報の確度に差があります。中学校名は本人や所属先の公式プロフィールでは公表されていません。一方、高校と大学については、日刊ゲンダイが杉並学院高校、堀越高校、亜細亜大学経営学部という経歴を報じています。

中学3年まで静岡から新幹線で東京へ

松村が芸能界へ入ったのは中学生のときです。しかし、入所したからすぐ東京へ生活の拠点を移したわけではありません。

2026年に静岡県誕生150周年記念アンバサダーへ就任した際、本人は中学校時代の生活をかなり具体的に振り返りました。

中学1年生から3年生の3年間、静岡にいながら新幹線で東京に通って活動していて

出典:静岡県「5月19日、静岡県誕生150周年 記念アンバサダー委嘱式を開催!」(2026年6月12日更新)

学校へ通う生活の中に、東京での仕事が入ってきました。事務所への入所は2009年2月。そこから中学3年まで、静岡と東京を新幹線で往復する日々を送っています。

静岡県との関係は大人になってからも続き、2026年には県誕生150周年の記念アンバサダーを務めることになりました。中学時代に何度も往復した静岡と東京という二つの場所が、芸能活動を始めたころの生活圏でした。

高校時代は芸能活動と学業を両立

高校について、日刊ゲンダイは杉並学院高校へ入学した後、2年の途中で堀越高校へ転校したと報じています。仕事が増え、出席日数との両立が難しくなったことが転校の背景にあったとされています。

同紙が紹介した堀越関係者の証言では、転校後は1年生からやり直したとされています。高校生活の途中で環境を変え、年下の生徒と同じ学年から改めて卒業を目指した形です。

この時期には俳優としての仕事も増えていました。2012年にはドラマ『私立バカレア高校』に出演。学校生活と並行しながら、後のSixTONESにつながるメンバーと仕事をする時期にも入っていきます。

大学で学びながらSixTONES結成へ

高校卒業後について、日刊ゲンダイは亜細亜大学経営学部へ進学したと報じています。大学1年の時期にはSixTONESが結成され、芸能活動と大学生活が重なりました。

同紙によると、大学は4年間で卒業しています。中学では静岡から東京へ通い、高校では転校を経験し、大学時代にはグループ活動が始まるというように、学生生活の各段階で芸能活動の状況も変化していました。

山下智久への憧れが芸能界入りのきっかけ

松村北斗が芸能界に興味を持つきっかけになった人物が山下智久です。テレビで山下を見て、その姿に憧れを持ちました。

「山Pになりたい」から始まった夢

2025年に出演した『しゃべくり007』では、当時の感覚を「芸能人という仕事に就きたい」と考えたというより、子どもがヒーローに憧れる感覚に近かったと説明しています。

山Pになりたいって言いだしたんですよ。

出典:スポニチアネックス「松村北斗 芸能界入りのきっかけとなった人気俳優 計3度履歴書送ったワケ明かす」(2025年2月4日)

憧れは見るだけで終わりませんでした。自分で履歴書を書き、事務所へ送ります。

返事がなくても履歴書を3回送った

最初の履歴書を送っても連絡はありませんでした。そこで、もう一度書いて送ります。それでも返事が来なかったため、さらにもう一度。合計3回、履歴書を送りました。

本人によれば、1回、2回と返事がなかった時点で「不合格だった」と受け止めていたわけではありません。子どもだったため郵便の仕組みをよく理解しておらず、履歴書が途中で落ちた、あるいは届いていないのではないかと考えていたそうです。

3回目の応募を経て、ようやくオーディションへ呼ばれます。ここで、それまで静岡で学校と空手を中心に過ごしてきた生活に、芸能活動が加わることになりました。

2009年2月15日のオーディションと入所

松村北斗の入所日は2009年2月15日です。同じ日に入所した一人が、後にTravis Japanのメンバーとなる七五三掛龍也でした。

入所当時は13歳。しかも、このあと長い下積みだけが続いたわけではありません。松村の最初のアイドル活動は、入所した2009年のうちに急速に動き始めます。

SixTONES公式YouTubeでも、メンバーそれぞれが事務所へ入った経緯を振り返っています。現在の6人が、最初から同じ入口、同じ目的で集まったわけではなかったことも見えてくる映像です。

B.I.Shadowで始まった松村北斗のジュニア時代

入所後、松村はB.I.Shadowで活動することになります。当時のメンバーには中島健人、菊池風磨、髙地優吾らがいました。

2026年、松村と髙地がジュニア時代を振り返ったBAILAの対談では、二人が初めて同じ現場に立ったころの記憶も語られています。

入所後まもなくB.I.Shadowへ

松村によると、もともとあったグループに自分が加わって3人になり、ある日の雑誌撮影で突然、髙地も一緒に撮影することを告げられました。

ああ、これから、このメンバーで活動していくんだろうな

出典:BAILA「SixTONES 松村北斗×髙地優吾 インタビュー」(2026年9月11日)

同じ対談で髙地は、初対面の松村から「この仕事が本当に好きなんだな」と感じたことを話しています。履歴書を何度も送り、自分から入りたいと願っていた松村と、別のきっかけでこの世界へ入った髙地では、スタート地点から温度差がありました。

中山優馬 w/B.I.ShadowとしてCD作品に参加

2009年には、中山優馬 w/B.I.Shadowの一員として活動。7月15日に「悪魔な恋/NYC」が発売されました。SixTONESとしてのCDデビューより10年以上前に、松村はCD作品へ参加する経験をしていたことになります。

松村北斗は2009年に中山優馬 w/B.I.Shadowの一員としてCD作品に参加しています。SixTONESとしてのCDデビューは2020年1月22日です。この2つは別の時期の出来事です。

静岡から東京へ通い続けた中学生時代

B.I.Shadowとして活動が始まってからも、生活の拠点はすぐ東京へ移りませんでした。中学1年から3年まで静岡から新幹線で東京へ通っていた本人の話と重ねると、学校へ通いながら移動と仕事を続けていた時期だったことが分かります。

中学生のころには、空手中心だった少年時代から、撮影やステージに立つ日常へと生活が大きく変わっていました。ところが、現在のSixTONESにつながる6人が揃うのは、もう少し後のことです。

松村北斗がアイドルになるまで
1995年6月18日
誕生
SixTONES公式プロフィールでは静岡県出身
小学校1年生
空手を始める
中学時代まで続け、黒帯を取得
2009年2月15日
事務所に入所
履歴書を3度送り、オーディションを経て芸能活動を開始
2009年
B.I.Shadowで活動
中島健人、菊池風磨、髙地優吾らと活動
2009年7月15日
中山優馬 w/B.I.ShadowとしてCD作品に参加
「悪魔な恋/NYC」
2012年
『私立バカレア高校』で後のSixTONESメンバー6人が集まる
6人でライブパフォーマンスを行う流れにつながる
2015年
SixTONES結成
6人にSixTONESというグループ名が付けられる
2019年8月8日
SixTONESのCDデビュー発表
東京ドームで発表
2020年1月22日
SixTONESとしてCDデビュー
「Imitation Rain」発売

B.I.Shadowでの活動を経験したあと、松村は2012年のドラマ『私立バカレア高校』に出演します。そこで集まった6人が、後のSixTONESへつながっていきます。

「バカレア」の6人がSixTONESになるまで

現在のSixTONESの6人が最初からグループとして結成されたわけではありません。大きな接点になったのが、日本テレビ系で放送された2012年の『私立バカレア高校』でした。

2012年『私立バカレア高校』で集まった6人

松村北斗、ジェシー、京本大我、髙地優吾、森本慎太郎、田中樹の6人は、この作品で同じ現場に集まります。ドラマへの出演をきっかけに、その組み合わせでステージに立つ機会も生まれていきました。

当時はまだ「SixTONES」という名前はありません。それぞれ別々にジュニアとして活動していた6人が、一緒に見せるパフォーマンスを形にしていく時期でした。

6人でのライブが「アイドルグループとしての始まり」

後年、松村は「SixTONESの原点を感じる場所」を聞かれ、ライブ会場を挙げています。本人にとっては、名前が付いた2015年より前から、6人でステージに立った記憶がグループの始まりとして残っていました。

ライブパフォーマンスを始めたことがアイドルグループとしての始まりだと思う

出典:with digital「SixTONESインタビュー Vol.5 松村北斗さん編」(公開日記載なし)

なかでも、初めて6人の名前が前面に出たシアタークリエでのライブを挙げ、当時は6人でのパフォーマンスを多くの人に認めてもらいたい気持ちが大きかったと振り返っています。

2015年にSixTONES結成

SixTONES公式の「hiSTory」では、2015年に6人へ「SixTONES」という名前が付けられたことが記録されています。『私立バカレア高校』から約3年を経て、6人は正式なグループとして歩き始めました。

松村にとっては、2009年の入所から数えるとすでに複数の活動を経験した後の出来事です。B.I.Shadowで一緒だった髙地とは、形を変えながら同じSixTONESのメンバーとして再びグループ活動を続けることになりました。

SixTONESとして迎えた2020年1月22日

SixTONESという名前が付いてからも、すぐCDデビューしたわけではありません。公式の「hiSTory」では、2019年8月8日に東京ドームでCDデビューが発表されたことが記録されています。

そして2020年1月22日、SixTONESは「Imitation Rain」でCDデビューしました。松村が初めて事務所へ入った2009年2月から、SixTONESとしてこの日を迎えるまでには、B.I.Shadow、静岡から東京へ通った中学時代、学業との両立、『私立バカレア高校』で集まった6人との時間がありました。

公園で友達とドロケーをし、学校では「あの空手をやっている子」だった少年は、自分で何度も履歴書を書き、13歳で芸能活動を始めました。その最初の一歩から11年後、SixTONESの松村北斗としてデビューの日を迎えています。

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