SixTONESのメンバーとして音楽活動を続けながら、『スクール革命!』では長くレギュラーを務めている髙地優吾。今ではグループの中でも独特の柔らかい空気を持つ存在として知られています。
ところが、芸能界に入る前の髙地は、横浜でサッカーをしていた少年でした。自分からアイドルを目指して履歴書を送ったわけでもなく、中学時代には体育教師、その後は美容師という別の進路も考えています。
友人が応募した『スクール革命!』のオーディションをきっかけに、生活は一気に変わりました。番組出演だけのつもりだった少年が、ほどなくユニットに入り、CDを出し、それでもなお芸能界以外の将来を考えていた時期が続きます。
髙地優吾は、最初からアイドルを目指して芸能界へ入ったわけではありません。
幼いころの夢、家族とのやり取り、学校で考えていた進路、突然始まった芸能活動を順にたどると、髙地が「SixTONESでやっていく」と決めるまでには長い助走があったことが見えてきます。
髙地優吾は横浜でどんな子どもだった?幼少期と少年時代
髙地優吾の原点として外せない場所が横浜です。現在のSixTONES公式プロフィールでは出身地を神奈川県としていますが、本人は地元について尋ねられた際、横浜での古い記憶を具体的に話しています。
赤ちゃんのころは祖母と横浜を散歩
FMヨコハマ『The Burn』に出演した際、髙地はランドマークタワーから見える景色を前に、横浜が自分の地元だと話しました。記憶はかなり幼い時期までさかのぼります。
「赤ちゃんの頃からこの辺をおばあちゃんと一緒に散歩したりとかしてました。」
出典:FMヨコハマ「SixTONESから髙地優吾さんをお迎えしました!」(2023年4月9日)
祖母と一緒に歩いた街は、大人になってからも本人の生活圏の記憶として残っています。芸能界に入ってから作られた「出身地」のイメージではなく、赤ちゃんのころから日常の中にあった場所でした。
2026年に始めた個人YouTube「優吾ガレージ」でも、納車したばかりのKawasaki 250TRで地元・横浜を走る動画を公開しています。幼少期から知る街を、現在はバイクで走る姿を見ることができます。
実家を建てる大工の姿に憧れた幼稚園時代
幼稚園のころの夢は、アイドルでも芸能人でもありませんでした。当時はちょうど実家を建てている時期で、髙地は工事現場をよく見に行っていたそうです。
目の前では職人が釘を打ち、少しずつ家の形ができていきます。完成へ近づくにつれて両親が喜ぶ様子も見ており、その一連の光景から大工という仕事に憧れました。
「幼稚園の頃は大工さんになりたかったかな。」
出典:CLASSY.「SixTONES・髙地優吾さん『将来の夢は、幼稚園の頃は大工さん、その後は体育の先生、そして…』」(2023年1月27日)
「家を建てる人」を身近で見た経験が、髙地が覚えている最初期の将来の夢につながっていました。
サッカー少年から体育教師を考えるように
大工への憧れのあと、髙地が考えるようになったのは体育教師でした。体を動かすことが好きで、少年時代にはサッカーを続けています。芸能界に入る直前も、本人が振り返る自分の姿は「サッカー少年」でした。
家族の中にも体育と接点のある人物がいました。母親は体育大学出身で、髙地はその影響もあって体育教師を将来の選択肢として考えていたと話しています。
ただし、中学校へ進むと気持ちは変わりました。本人によれば、通っていた中学校は少し「やんちゃ」な学校で、先生たちが生徒と向き合う現実を目の当たりにし、体育教師への進路を考え直すようになります。
髙地優吾の家族構成は?父親・母親との昔のエピソード
髙地の昔をたどると、父親と母親が進路や芸能界入りの節目に何度も登場します。祖母との横浜散歩の思い出もあり、家族との場面が少年時代から学生時代まで途切れず残っています。
体育大学出身の母から受けた影響
母親について本人が明かしている具体的な情報の一つが、体育大学出身だったことです。髙地自身も体を動かすことが好きだったため、母親の経歴は体育教師という将来像につながりました。
「親と同じ職業を目指した」という単純な話ではなく、自分の好きだった運動と、家庭内で身近だった体育会系の環境が重なっていた時期でした。その後、中学校で教師の仕事を現実的に見るようになり、別の進路へ目が向いていきます。
父と初めて多摩川を越えて東京へ
父親とのエピソードで特に具体的なのが、中学3年生で『スクール革命!』のオーディションへ向かった日です。髙地は横浜育ちで、父親も本人が「生粋の横浜っ子」と表現するほど横浜への思いが強かったといいます。
「多摩川を越えて東京に行くなっていう」
出典:スポニチアネックス「SixTONES髙地優吾 髙地家の『変なルール』明かす」(2026年1月19日)
髙地は、この仕事を始めるまで多摩川をほとんど越えたことがなかったとも振り返っています。その少年が初めて本格的に東京へ出ることになった用事が、のちに人生を変えるオーディションでした。
父は「俺も一緒に行く」と同行し、汐留へ向かいました。新橋ではSL広場を見せ、「ここがSL広場だぞ」と息子へ説明。さらに街頭で配られていた号外を見つけると、髙地に取りに行かせたという細かな思い出まで残っています。
美容専門学校ではなく大学を勧めた父
父親は芸能界入りの日だけでなく、高校卒業後の進路にも関わっています。髙地は当時、芸能界を将来の一本柱にするつもりではなく、美容師を目指して専門学校へ進むことを考えていました。
そこで父から言われたのが、まず大学へ行くことでした。髙地はその言葉を受けて大学へ進学します。オーディションに付き添った父が、数年後には芸能活動とは別の進路についても息子へ助言していたことになります。
髙地優吾の学歴は?中学・高校から大学進学まで
髙地の学生時代は、芸能活動だけを中心に進んだわけではありません。中学ではサッカーをしており、高校卒業後には美容の道を考え、大学へ進んだ後も専門学校との両立を検討していました。
中学時代はサッカー少年だった
中学時代までの髙地にとって、身近だったのはダンスではなくサッカーでした。のちにステージで踊ることになる人物ですが、当時は芸能事務所のレッスンに通っていたわけでも、ダンス経験を積んでいたわけでもありません。
中学3年生になるころには、体育教師という夢も現実の学校生活を通して見直しています。そこへ突然入ってきたのが『スクール革命!』のオーディションでした。進路を芸能界へ定めていた時期ではありません。
高校卒業後は美容師になることを考えていた
2009年からテレビやステージの仕事を経験しながらも、高校卒業後に髙地が考えていた職業は美容師でした。本人は美容専門学校へ入るつもりだったと明かしています。
すでに芸能活動をしていたからといって、「このまま芸能人として生きる」と決めていたわけではありません。番組出演やユニット活動と並行して、自分が社会へ出るときの別の仕事を具体的に考えていました。
父に勧められて大学へ進学
高校卒業後、髙地は父の勧めで大学へ進みました。それでも美容師という選択肢をすぐに消したわけではなく、大学3年生くらいから美容専門学校とのダブルスクールも考えていたといいます。
このころは、芸能界に入ってすでに数年が経過しています。それでも大学へ通い、周囲の学生たちと同じように卒業後の働き方を考えていた時期がありました。後にSixTONESを仕事として選ぶとき、この学生生活が大きな比較対象になります。
友人の応募でスクール革命オーディションへ
髙地が芸能界と接点を持ったきっかけは、日本テレビ系『スクール革命!』の出演者オーディションです。本人が芸能界へ入りたくて応募したのではなく、友人が応募したことから話が始まりました。
1,300人を超える応募者から選ばれた
『スクール革命!』のオーディションには1,300人を超える応募があり、その中から髙地が選ばれました。サッカーをしていた普通の中学生にとって、テレビ番組のレギュラー候補になるだけでも、それまでの日常とは大きく違う出来事です。
この合格を境に、番組だけではなく芸能事務所への所属も決まります。本人の理解よりも速い速度で、テレビ出演とアイドル活動が同時に始まっていきました。
本人は事務所に入ると思っていなかった
髙地が想像していたのは、あくまで『スクール革命!』の番組レギュラーを決めるオーディションでした。合格した先に芸能事務所への所属があるとは考えていなかったと、後年はっきり話しています。
髙地優吾が『スクール革命!』に出演し始めたのは2009年。現在まで続く長い出演歴の出発点が、この友人による応募でした。
ダンス未経験のままKAT-TUNのバックへ
事務所に入った直後の髙地は、KAT-TUNのバックでも目立つ位置に入ることになります。周囲のJr.から見れば、突然現れた新人が大きく扱われたため、「エリートが来た」と受け取られるような状況でした。
ところが本人には、それまでダンス経験がありませんでした。サッカー中心だった少年が、準備期間を積んでからステージへ進んだのではなく、踊ること自体をほとんど知らない状態から人前に立つことになったのです。
2009年に中山優馬 w/B.I.ShadowからCDデビュー
『スクール革命!』のオーディション合格後、髙地を取り巻く状況はさらに速く動きました。2009年6月4日には、中山優馬、中島健人、菊池風磨、松村北斗とともに中山優馬 w/B.I.Shadowとして活動を始めます。
芸能界入り直後にユニットへ
事務所で長く下積みをしてからユニットに入ったのではなく、『スクール革命!』への出演が始まった時期とユニット活動の開始時期がほぼ重なっています。芸能界の仕組みに慣れるより先に、アイドルとして人前へ出る仕事が増えていきました。
同年6月7日にはNYC boysも結成されます。テレビ番組のオーディションを受けた中学生が、短い期間のうちに複数の名前でステージへ立つことになりました。
NYC boys結成と最初のCDデビュー
2009年7月15日には、中山優馬 w/B.I.ShadowとNYC boysによる両A面シングル『悪魔な恋/NYC』が発売されます。SixTONESとしてのCDデビューは2020年ですが、髙地自身は2009年の段階ですでにCD作品へ参加していました。
芸能界入りからCDまでが短期間だった一方で、本人の気持ちはその速度についていっていませんでした。周囲にはデビューを目標に活動するJr.がいる中、髙地は自分がそこへ向かう人物だとは考えていなかったのです。
それでも芸能界を辞めるつもりだった
後年、『あちこちオードリー』で当時を振り返った髙地は、仕事を始めたばかりのころ、自分が長く芸能界に残るとは考えていなかったことを率直に話しています。
「スクール革命!終わったら辞めるから」
出典:テレ東プラス「SixTONES髙地優吾、ジャニーズ事務所入りに『全身蕁麻疹が出るくらいイヤだった』」(2023年8月27日)
仕事への戸惑いは言葉だけではありませんでした。家へ帰ると全身に蕁麻疹が出るほど嫌だった時期があったとも語っています。恵まれた位置を与えられていても、本人はそこを自分の将来として受け止めきれていませんでした。
そのため、高校卒業後には美容師を考え、父の勧めで大学へ進みます。芸能活動を続けながらも、仕事を辞めた後の生活を現実的に考える時間が長く残っていました。
髙地優吾がSixTONESを選ぶまで
髙地の考え方が変わるきっかけは、一度のオーディションや最初のCDではありませんでした。芸能界に入って数年後、現在のSixTONESメンバー6人で活動する流れが生まれたことが大きく関わっています。
『私立バカレア高校』で集まった6人
2012年のドラマ『私立バカレア高校』には、ジェシー、京本大我、松村北斗、髙地優吾、森本慎太郎、田中樹の6人が出演しました。当時はまだ「SixTONES」というグループではありませんでしたが、後に同じ名前で活動する6人が一つの作品に集まった時期です。
髙地はCLASSY.のインタビューで、この6人でもう一度一緒にやろうという流れになったころを振り返り、それまで本気になったことがなかったからこそ、やるならとことんやってみようと思ったと話しています。
大学生活では、周囲の学生が就職を意識する時期もやってきます。髙地自身も「芸能活動をなんとなく続ける」のか、別の職業へ進むのかを考えられる立場にいました。その中で、5人と一緒に活動する時間が仕事への見方を変えていきました。
2015年のSixTONES結成で気持ちが変わる
2015年5月1日、6人はSixTONESとして活動を始めました。髙地が『あちこちオードリー』で「芸能界でやっていこうとスイッチが入った瞬間」を尋ねられたときの答えは、入所時でも2009年のCD参加時でもありません。
「SixTONES組んでから」
出典:テレ東プラス「SixTONES髙地優吾、ジャニーズ事務所入りに『全身蕁麻疹が出るくらいイヤだった』」(2023年8月27日)
他の5人には「これに懸ける」という強い気持ちがあり、その本気度を身近で見たことが髙地にも影響しました。結成後は『スクール革命!』のスタッフから「急に喋るようになったね」と言われるほど、仕事への向き合い方にも変化が表れたといいます。
2026年5月1日にはSixTONESが結成11周年を迎え、公式Xでも結成日の生配信が告知されました。2009年に偶然に近い形で始まった髙地の芸能活動は、SixTONESというグループを選んだことで本人の仕事へ変わっていきました。
アイドルを「仕事」にすると決めた髙地優吾
2026年、髙地は改めて当時の分岐点を語っています。大学へ通う同級生たちが黒髪に戻し、就職活動を始める時期、自分は茶髪のまま芸能活動を「なんとなく」続けている。その状態に気持ちの整理がつかなかったそうです。
一方で、6人でいる時間は楽しく、「この6人でやっていくのはいい」と思えた。そこで、自分が就職先として選ぶものをSixTONESと考えるようになります。
「SixTONESに就職した」
出典:テレ東プラス「【収録レポ】髙地優吾『SixTONESです』でチェーン店を予約!?ジュニア時代の葛藤も」(2026年9月8日)
このころから、本人はダンスをきちんと頑張るなど、それまでとは違う向き合い方を始めたと振り返っています。友人が送った一通の応募から始まった道を、自分の意思で仕事として選び直したのがSixTONES結成前後の時期でした。
2020年1月、SixTONESは『Imitation Rain』でCDデビューしました。髙地にとってそこへ至る道は、最初から一本に決めた進路ではありません。
横浜で大工や体育教師に憧れ、サッカーをし、美容師や大学卒業後の進路も考えた少年が、最後に自分で選んだ仕事がSixTONESでした。現在の活動の前には、芸能界へ入った日よりも長い「続けるかどうか」を考えた時間がありました。





























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