なにわ男子のメンバーとしてステージに立ち、ドラマや映画、バラエティーでも活動する大西流星。
現在の姿からさかのぼると、アイドルになる前から長く続けていたものがありました。5歳で始めたロックダンスです。小学生になると、学校を終えたあとにレッスンへ向かう生活を送っていました。
その少年が10歳のとき、客席から見たコンサートが進路を大きく変えます。憧れた相手は、Sexy Zoneの佐藤勝利でした。
アイドルへの入口になったのは、10歳で見たSexy Zoneのコンサートでした。
ここから、ダンスに打ち込んだ少年時代、家族との日常、高校生活、2012年のオーディション、なにわ皇子と関西ジュニアで過ごした時期を順番にたどっていきます。
大西流星は昔どんな少年だった?5歳から始めたダンス
大西流星は兵庫県出身。幼いころから体を動かすことに親しみ、5歳ごろからロックダンスを習い始めました。
事務所のオーディションを受けるころには、すでに約5年のダンス経験がありました。後に本人がテレビで振り返ったところでは、ダンスで西日本1位になった経験もあったといいます。
5歳からロックダンスを始めた少年時代
アイドルになるために始めたダンスではありません。まだ芸能活動を始めるずっと前から、生活の中にダンスがありました。
小学生の大西にとって、放課後はそのまま自由時間になるわけではありませんでした。学校が終わるとレッスンへ向かい、そこで体を動かす日々を送っていました。
学校行った後に毎日レッスンがあった
出典:WEBザテレビジョン「なにわ男子、子どもの頃に家庭で受けた教育を明かす『学校行った後に毎日レッスンがあった』」(2022年4月2日)
この時期の積み重ねがあったため、10歳で初めて芸能事務所のオーディション会場に立ったとき、大西にはすでに人前で踊れる土台がありました。
5歳から続けたロックダンスは、10歳のオーディションで大西流星を印象づける大きな武器になりました。
学校が終わると毎日のようにダンスレッスンへ
レッスンは遊びの延長だけではありませんでした。母親が車で迎えに来てくれていましたが、練習で良くない部分があると、途中で車から降りて自宅まで歩いたり走ったりすることもあったと本人は明かしています。
学校へ行き、そのあとダンスへ向かう。まだ小学生だったころから、大西の一日は学校とレッスンの両方を中心に回っていました。
現在の大西が踊る姿にも、幼いころから長く続けてきたダンスという背景があります。
大西流星の家族構成は?父親・母親・姉とのエピソード
大西流星は、父親、母親、4歳上の姉がいる家庭で育ちました。家族は一般人のため、氏名や職業などは公表されていませんが、本人は子どものころや学生時代の思い出をたびたび話しています。
とくにダンスを続けていた小学生時代は、家族が日々の生活そのものを支えていました。送り迎えから食事まで、芸能活動を始める前から家族との具体的な場面が残っています。
母親が支えた小学生時代のダンス生活
学校が終わったあとにレッスンへ通っていた大西を、母親は車で迎えに行っていました。
ただ送迎するだけではなく、練習の出来にも目を向けていたようです。レッスンで良くない部分があった日は、帰り道の途中で車から降ろされ、自宅まで歩いたり全力で走ったりしたこともあったと大西は振り返っています。
高校生になると、母親の手作り弁当を学校へ持って行っていました。五目たまご焼きやフルーツがよく入っていたという話もあり、母親の存在はダンスだけでなく日常生活にも見えてきます。
厳しい練習の日に寄り添った父親
母親とのダンスの話をした際、大西は父親について、自分に寄り添ってくれていた存在だったと話しています。
大人になって実家を離れてからも、家族との関係は続いています。東京で暮らすようになったあとも連絡を取り合い、家族が東京まで来て一緒に食事をすることもあるそうです。
学生の頃から送り迎えをしてくれたり、ずっと支えてもらってきました。
出典:ORICON NEWS「大西流星、『横浜ネイバーズ』ニートの青年役で少年っぽい仕草にこだわり『できるだけ力を抜いて…』 初回を前にコメント到着」(2026年1月9日)
4歳上の姉と一緒にチョコ作り
大西には4歳上の姉がいます。バレンタインになると、姉がチョコレートを作るのを手伝っていたことを本人が明かしています。
担当していたのは、湯せんでチョコレートを溶かすような簡単な作業。本人は後になって、姉にとっては少し邪魔だったかもしれないと笑いながら振り返っていました。
ダンスの送り迎え、高校時代の弁当、姉とのお菓子作り。大西が話してきた家族の記憶には、特別なイベントより日常の場面が多く残っています。
大西流星の学歴は?小学校から大阪の高校まで
大西流星の小学校・中学校について、本人や所属先から具体的な学校名は公表されていません。高校については、本人自身が兵庫県に住みながら大阪の高校へ通っていたことを明かしています。
学生時代はすでに芸能活動をしていましたが、本人が後年語った高校生活には、友人との朝食や母親の弁当、授業中の小さな失敗など、ごく普通の学生らしい時間も数多くありました。
小学校時代はダンスと学校を行き来する生活
小学生のころには、すでに学校とダンスレッスンを両立していました。放課後に友人と長時間遊ぶ生活とは違い、学校が終わればレッスンへ向かう日が続いていました。
さらに10歳で事務所へ入ったため、小学校生活の途中から芸能活動も加わります。ダンスだけを習っていた少年から、ステージに立つ側へ環境が変わった時期でした。
中学生で関西ジュニアの活動と学校を両立
中学生になるころには、関西ジュニアとして舞台やコンサート、テレビなどへ出演する生活が続いていました。
入所が小学生の時期だったため、大西は中学・高校と学生生活のほぼ全期間を芸能活動と並行して過ごしています。学校生活だけで一日が終わる時期は、すでに過ぎていました。
兵庫県から大阪の高校へ通っていた
高校について大西は、兵庫県に住みながら大阪にある学校へ通っていたと話しています。具体的な学校名については本人や所属先から公表されていません。
同じ高校には俳優の窪塚愛流も在籍していました。大西が高校3年生だったとき、窪塚は高校1年生。学校内で顔を見かけることはあったものの、当時から深い交流があったわけではなかったそうです。
大西は別のインタビューで、西畑大吾、道枝駿佑、長尾謙杜とも同じ学校だったと語っています。制服は紺色のシンプルなブレザーで、ネクタイは緑色でした。
友人との朝食と母親の手作り弁当
高校のクラスでは、いつも輪の中心に立って盛り上げるタイプではなく、仲のいい友人と少人数で話して過ごすことを好んでいました。
昼は静かな教室でお弁当を食べるのが好きやったな。
出典:Seventeen-Web「なにわ男子、大西流星くんが同じクラスだったら…!?」(2023年3月4日)
友人とは、しょうもない動画を見せ合ったり、恋愛の話を聞いたりしていたそうです。話す時間が足りない日は、いつもより早起きし、一緒に朝食を食べることもありました。
学校の食堂で朝食を食べるため、普段より30分ほど早い電車で登校したこともあります。昼になると教室で母親の弁当を開き、友人たちと過ごしていました。
ノートにはカラフルなボールペンを使い、見た目をかわいく整えるのがこだわり。一方で筆箱は使わず、多くのペンを制服の胸ポケットへ直接入れていたそうです。
全部胸ポケットに入れているヤバいヤツでした(笑)
出典:女性自身「なにわ男子 大西流星『ヤバいヤツでした(笑)』主演映画で思い出す高校時代」(2024年8月31日)
高校3年生のころは、制服姿で友人とタピオカを飲みに行ったり、自撮りをたくさん残したりしていました。関西ジュニアとして活動しながら、卒業前には友人との高校生活も楽しんでいました。
大学進学について公表情報はある?
大西流星については「大学」という検索もされていますが、本人や所属先から大学名や大学生活についての公表はありません。
高校卒業前後も関西ジュニア、そしてなにわ男子としての活動が続いていました。公表されていない具体的な大学名を、学校のうわさだけから断定することはできません。
大西流星がアイドルを目指したきっかけは佐藤勝利
大西流星が芸能界へ進む直接のきっかけは、10歳のときに見たSexy Zoneのコンサートでした。
それまでにもダンスを続けていましたが、客席からステージを見たことで、今度は自分自身がアイドルとして立つ道を意識するようになります。
10歳で見たSexy Zoneのコンサート
ステージ上で大西の目を引いたのが、Sexy Zoneの佐藤勝利でした。後年のインタビューで本人は、10歳のころに佐藤へ憧れたことが事務所へ入るきっかけになったと明かしています。
コンサートはすべてのきっかけなんです。
出典:BANGER!!!「南沙良&大西流星インタビュー! 不穏な家族ドラマ『この子は邪悪』で “シュールな幸せ”をどう演じた?」(2022年8月30日)
大西はその後、コンサートを「本職」であるアイドルの仕事の中でも特別な場所として挙げています。自分が客席から憧れた経験があるからこそ、歌やダンスを通じてファンと直接つながる空間を大切にしていました。
自らアイドルへの道を目指してオーディションへ
コンサートを見た2012年、大西はオーディションへ進みます。入所日は2012年7月14日。当時はまだ10歳でした。
この段階で、ロックダンスを何年も続けてきた経験がありました。芸能活動は初めてでも、人前で踊ることそのものは、それまで積み重ねてきた時間の延長にありました。
大西流星の入所日は?オーディション当日のダンス
大西流星が事務所へ入ったのは2012年7月14日です。そのオーディションの日、後に長く一緒に活動することになる西畑大吾も会場にいました。
西畑は当時すでに関西ジュニアとして活動しており、舞台のリハーサルの合間にオーディションを見に行っていました。
西畑大吾が見ていたオーディション
西畑の記憶に残ったのは、大西のかわいらしい外見だけではありませんでした。多くの参加者がいる中で、ダンスのうまさも目を引いたと振り返っています。
たくさんいる中で流星はひときわ輝いてた!
出典:Seventeen-Web「なにわ男子の大西畑コンビ★ふたりの出会いと記念日」(2021年5月2日)
同じ日のことを大西自身も覚えています。オーディションでは、先輩の関西ジュニアがダンスを教えるため会場へ来ており、その中に西畑がいました。
大ちゃんに初めて会ったのは、ジャニーズのオーディションの日。
出典:Seventeen-Web「なにわ男子の大西畑コンビ★ふたりの出会いと記念日」(2021年5月2日)
その後、西畑はダンスだけでなく、仕事のさまざまなことを大西に教える先輩になりました。大西が初めて東京へ仕事に行ったときにも一緒で、新幹線から富士山が見えることを教えてもらったという思い出があります。
入所から間もなく「なにわ皇子」へ
オーディションを終えてから、大西の環境はすぐに変わりました。西畑大吾、永瀬廉とともに「なにわ皇子」として活動することになります。
西畑も「そのあとすぐに」3人でユニットを組んだと振り返っています。事務所へ入ったばかりの小学生だった大西は、長い下積みだけを経て表舞台へ出たのではなく、早い段階から関西ジュニアの中で名前を知られる存在になっていきました。
大西流星のジュニア時代!小学生から高校生までステージに立つ
2012年に入所した大西は、小学生のまま関西ジュニアとしての生活を始めました。その後、中学校、高校へ進んでも芸能活動は続きます。
2013年にはドラマ出演や大阪松竹座の舞台、関西ジャニーズJr.のコンサートなどにも参加。学生生活と並行しながら、ステージに立つ経験を重ねていきました。
なにわ皇子として始まったアイドル生活
なにわ皇子で一緒になった西畑とは、オーディション当日から長い時間を共有することになりました。
西畑にとって大西は年下の後輩でしたが、ユニット活動が始まったころからかわいがっていたと話しています。のちに一度別々の活動を経て、2018年には再び同じグループに名前を連ねることになります。
関西ジュニアで経験を重ねた学生時代
大西のジュニア時代は、小学校の一時期だけではありません。中学・高校の学生生活と並行しながら、舞台、コンサート、テレビ、演技の仕事に参加する期間が続きました。
高校時代の友人との朝食や弁当の話が残っている一方、学校の外ではすでにステージへ立ち続けていました。高校生活とジュニア活動が、同じ時期に進んでいたことになります。
入所から6年ほどが過ぎた2018年、大西に新しいグループ結成の知らせが届きます。そこで再び西畑大吾と同じグループになることになりました。
2018年になにわ男子結成、2021年「初心LOVE」でデビュー
なにわ男子は2018年10月に結成されました。メンバーは西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也の7人です。
小学生のころから一緒だった西畑は、2018年10月の結成を大西との関係における「第二章の始まり」と振り返っています。なにわ皇子の時期を経て、再び同じグループで活動することになりました。
結成後はジュニアとして単独公演やアリーナツアーを重ね、2021年7月28日の公演でCDデビューが発表されます。
大西が映画『この子は邪悪』の撮影を終えたのは、そのデビュー発表のわずか2日前でした。当時は関西ジュニアとしての全国アリーナツアーと映画撮影を並行していた時期でもあります。
そして2021年11月12日、なにわ男子は「初心LOVE」でCDデビュー。10歳で佐藤勝利を客席から見てアイドルを志した大西は、自分自身がCDデビューするグループのメンバーとしてステージへ立つところまで進みました。
個人Instagramを開設してからは、ステージとは違う表情や日常の一場面も本人自身の発信で見られるようになりました。
5歳で始めたダンス、放課後のレッスン、10歳で客席から見たコンサート、2012年7月14日のオーディション。その先に、なにわ皇子と長い関西ジュニア時代がありました。
2018年になにわ男子のメンバーとなり、2021年にCDデビュー。大西流星がアイドルになるまでの時間をさかのぼると、その始まりには、幼いころから踊り続けていた少年の姿があります。





























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