Snow Manの阿部亮平さんといえば、クイズ番組や情報番組で知識を生かし、気象予報士の資格も持つ「インテリ」な一面で知られています。
けれど、その知性はデビュー後につくられたキャラクターではありません。小学生のころから理科や算数、パズルが好きで、芸能活動を始めたあとも「学ぶこと」を手放さずに歩いてきました。
阿部亮平さんの原点をたどると、小学生で芸能界に入り、ジュニアとして活動しながら大学受験のために一度立ち止まり、その選択を自分の武器へ変えてSnow Manへ戻っていく道のりが見えてきます。
子どものころはどんな少年だったのか。家族との関係、学校生活、2004年の入所、長いジュニア時代、上智大学・大学院への進学、そしてSnow ManとしてCDデビューするまでを時系列で追っていきます。
阿部亮平は昔どんな子だった?小学生時代とダンス
現在は知識を生かした仕事が目立つ阿部亮平さんですが、その土台はかなり早い時期からできていました。小学生のころから理科と算数が得意で、答えへたどり着く過程そのものを楽しんでいたそうです。
小学生のころから理科・算数とパズルが好きだった
阿部さんは子どものころから、ただ暗記するよりも「考えて答えを出す」ことが好きでした。理科や算数を得意科目に挙げ、問題を解く感覚をパズルにたとえています。
答えを導き出すのがパズルみたいで楽しかった
出典:朝日新聞出版「AERA with Kids 2021年夏号」紹介記事(2021年6月)
パズルやルービックキューブも好きで、後年のテレビ出演では家にルービックキューブが複数あることまで話しています。数字や規則性を見つける遊びが、普段の生活の中にもあった少年時代でした。
勉強に対しては、点数や順位をかなり意識する子でもありました。テストで良い点を取れれば十分というより、取るなら100点、順位があるなら上へ行きたいという気持ちがあったと振り返っています。
小学校の時とかは全部100点が良い
出典:スポニチ「Snow Man阿部亮平 気象予報士の資格を取得したワケ」(2022年3月31日)
「勉強ができる阿部亮平」は大人になってから付け足した肩書きではなく、点数を追いかけ、パズルを楽しんでいた小学生のころから続いている一面でした。
勉強だけではなく、ダンスにも夢中になった
一方で、阿部さんの少年時代は机に向かっているだけではありません。小学生のころからダンスにも取り組み、音楽に合わせて体を動かす時間を過ごしていました。
このダンス経験は、のちに公開オーディションを経てジュニアとして活動していくうえでも生きていきます。理科や算数が好きな少年が、同じ時期にステージへつながる経験も積んでいました。
阿部亮平の家族構成は?父親・母親・兄弟とのエピソード
阿部さんは家族について、母親にまつわる名前の由来や弟との日常を自分の言葉で明かしています。一般人である家族の詳しいプロフィールよりも、本人が語った小さな場面の中に家庭での距離感が表れています。
「りょうちゃん」と呼びたかった母親
「亮平」という名前には、母親の呼び方にまつわるエピソードがあります。2019年にクイズ番組へ出演した際、自分の名前の由来を聞かれた阿部さんは、「亮」の字が決まった理由をこう話しました。
母が僕のことを“りょうちゃん”と呼びたい
出典:マイナビニュース「Snow Man阿部亮平、クイズに自信も…評価が急降下する事態に」(2019年7月3日)
芸名ではなく本名で活動してきた阿部さんにとって、仕事の場でも呼ばれ続ける「亮平」という名前の中に、母親との昔のエピソードが残っています。
弟とは服をめぐって大げんかしたことも
弟とは、大人になってからも連絡を取り、時間が合えば買い物へ出かける関係だと語っています。弟が自動車免許を取り、その運転の上手さに驚いたという話もあります。
もちろん、子どものころからずっと穏やかだったわけではありません。昔は阿部さんの私服を弟が勝手に着たことで、大げんかになったこともあったそうです。
弟の前では兄の気持ちが自然と出ちゃいますね。
出典:non-no web「Snow Man 阿部亮平の大切な人との関係性からひも解く素顔とは?」(2021年4月11日)
父親の職業や実家の具体的な所在地など、一般人家族に関する詳しい情報は本人から広く公表されていません。
小学5年生でオーディションへ!2004年の入所とジュニア時代
阿部さんが芸能界へ入ったのは2004年です。深澤辰哉さんや山田涼介さんらと同じ2004年8月12日の公開オーディションをきっかけに事務所へ入りました。まだ小学5年生、10歳のころでした。
2004年8月12日に事務所へ入所
入所後はジュニアとして、先輩のステージや舞台に立ちながら経験を重ねていきます。現在のSnow Manで同期にあたる深澤辰哉さんとは、この日から長い時間を同じ世界で過ごすことになりました。
当時の阿部さんを知る宮舘涼太さんは、初めて会ったころの阿部さんが明るい茶髪だったことや、バッグのポケットにお菓子をたくさん入れていたことを覚えていました。
その話に阿部さん自身も、NHKでリハーサルがある日の待ち合わせ場所や、仲間たちにポケットのお菓子を取られていた光景を具体的に思い出しています。ステージの裏側には、まだ少年だったジュニア同士の日常がありました。
入所翌年には「SUMMARY」の舞台へ
STARTO ENTERTAINMENTのバイオグラフィには、2005年夏の「Johnnys Theater SUMMARY 2005」に阿部さんが出演した記録が残っています。入所から約1年で、大きな公演の出演者として名前が載っていました。
そこから先も、ジュニアとして先輩のバックや舞台に立つ日々が続きます。華やかな本番だけでなく、楽屋や鏡の前でダンスを合わせ、自分たちで準備をしてステージへ向かう時間も積み重ねていました。
色々なダンスの練習をした
出典:ORICON NEWS「Snow Man阿部亮平『プライベートの僕を見られているよう』」(2026年3月19日)
阿部さんは後年、東京ドームの楽屋へ入ったとき、下積み時代にそこでダンスを練習したことや、みんなで鏡を順番に使って自分たちでメイクしていたことを思い出したと話しています。
2009年にMis Snow Manへ
2009年になると、阿部さんはMis Snow Manの一員として活動するようになります。岩本照さん、深澤辰哉さん、渡辺翔太さん、宮舘涼太さん、佐久間大介さんら、のちのSnow Manにつながるメンバーとも活動を重ねました。
ただ、この時点でCDデビューが決まっていたわけではありません。ジュニアの世界で活動を続ける一方、高校生になった阿部さんには「この先をどう生き抜くか」という別の課題が近づいていました。
阿部亮平の学歴は?高校から上智大学・大学院まで
阿部さんの学歴で大きな転換点になったのは、高校3年生のころです。ジュニアとして活動を続けながら大学進学を考え、2011年には受験を優先するために芸能活動を一時休止しました。
高校3年生でジュニア活動を休止した理由
すでに芸能活動を続けていた高校生が、受験のために一度ステージから離れる。阿部さんの中では、アイドルへの道を終えるためではなく、その世界で先へ進むための選択でした。
アイドルとして生き抜くための武器を手にするための受験でした
出典:J-CASTニュース「Snow Man阿部亮平『インテリキャラ』が重ねた努力」(2021年1月23日)
活動休止について、当時の仲間からすぐに理解されたわけではなかったことも後に語られています。それでも受験を選び、一般入試を経て上智大学理工学部へ進学しました。
出身高校の具体的な学校名については、本人の公式プロフィールでは明らかにされていません。学校名の推測よりも、高校3年生で受験と芸能活動の両方に向き合った経緯が、大学進学を考えるうえで大きなポイントです。
上智大学理工学部へ一般入試で進学
上智大学では理工学部で学びながら、芸能活動にも復帰しました。大学の授業や課題と、稽古、舞台、ジュニアの仕事が同時に進む生活です。
阿部さんにとって、大学へ進む目的は単に学歴を得ることだけではありませんでした。受験前から考えていた「学びをアイドルとしての武器にする」という方向を、大学生活の中で具体的な形にしていきます。
大学院まで進みながらジュニア活動を続けた
大学卒業後は、上智大学大学院理工学研究科へ進学しました。そこで学業を終えるのではなく、より専門的な研究へ進みながらジュニアとしての活動も続けています。
2018年には大学院を修了。朝日新聞出版の大学院特集でも、大学時代に学業と芸能活動を両立し、大学院進学を決めた思いや大学院生活について本人が語っています。
同じ2018年、当時の公式YouTube企画では「阿部ちゃん先生」としてメンバーの前に立ち、勉強方法を紹介しました。デビュー前の段階で、学んできたことがすでにグループの中の役割として形になっていた時期です。
勉強を「アイドルの武器」に変えたジュニア時代
大学受験で活動を休止した阿部さんは、進学を決めたあと芸能活動へ戻ります。2012年の「滝沢歌舞伎2012」には、岩本照さん、深澤辰哉さん、渡辺翔太さん、阿部亮平さん、宮舘涼太さん、佐久間大介さんの6人が出演しています。
活動復帰後の2012年にSnow Manへ
2012年5月、この6人はSnow Manとして活動を始めました。受験のために離れていた阿部さんにとって、復帰した年に自分のグループが形になったことになります。
ただし、グループができたこととCDデビューが決まることは別でした。Snow Manとして舞台や先輩のバックに立ちながら、阿部さんは大学での学びも続けます。
ジュニア時代の阿部さんには、歌やダンスだけで周囲と同じ方向から勝負するのではなく、自分が長く続けてきた勉強を芸能活動へ持ち込む発想がありました。
5度目の挑戦で気象予報士試験に合格
その考えが具体的な資格になったのが気象予報士です。2013年ごろから勉強を始め、2015年8月の試験を受験。5度目の挑戦で合格し、10月に合格が報じられました。
気象予報士の資格があったら芸能界で武器になると思った
出典:スポニチ「阿部亮平&岸本慎太郎 ジャニーズ初気象予報士に!」(2015年10月26日)
試験前には「滝沢歌舞伎」のシンガポール公演もありましたが、1日2時間と時間を決めて問題を解いていたと本人は話しています。勉強時間をただ長くするのではなく、仕事のある生活の中に固定していました。
気象予報士になった時点でも、Snow ManはまだCDデビュー前です。資格取得はデビュー後の肩書きを増やすためではなく、先の見えないジュニア時代に自分の立ち位置をつくるための行動でした。
Snow Man9人体制からCDデビューへ
6人で活動していたSnow Manには、2019年1月に向井康二さん、目黒蓮さん、ラウールさんが加わり、9人体制になりました。ここからデビューへ向けた動きが大きく進んでいきます。
2019年、9人で新しいSnow Manへ
阿部さんにとっては、小学生で入所してからすでに長い年月が過ぎていました。Mis Snow Man、6人のSnow Man、大学受験による活動休止と復帰、大学・大学院との両立を経て、ここでグループの形がもう一度大きく変わります。
同年8月8日にはCDデビューが発表されました。ジュニアとして舞台に立ち始めた2000年代半ばから、15年近くかけてたどり着いた発表でした。
2020年1月22日「D.D.」でCDデビュー
2020年1月22日、Snow ManはSixTONESとの同時デビューで、デビューシングル「D.D. / Imitation Rain」を発売しました。阿部さんは小学生だった2004年の入所から、約15年半を経てCDデビューの日を迎えます。
高校3年生で一度活動を止めた時間も、上智大学・大学院で学んだ年月も、気象予報士試験へ挑んだ時間も、ジュニアとしてステージに立つ時間と並行して積み重なっていました。
入所したころの阿部さんは、バッグにお菓子を詰めてリハーサルへ向かう少年でした。その少年が、勉強という得意分野を手放さず、グループの中で使える形へ変えながらステージに戻ってきました。
Snow ManとしてCDデビューしたあとも、その原点は消えていません。現在の阿部亮平さんにある「アイドル」と「学ぶ人」という二つの姿は、デビューよりずっと前から同じ時間の中で育ってきたものです。


























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