なにわ男子の最年長メンバーとして、トークや野球の仕事でも存在感を見せる藤原丈一郎。現在の姿からは想像しにくいほど、その芸能生活は早く始まっています。
事務所へ入ったのは2004年2月21日。まだ小学2年生だったころです。そこから学校生活とジュニア活動を並行し、大学では就職も視野に入れながら、自分の進路を考える時期もありました。
8歳で入所してから、なにわ男子としてCDデビューするまで17年以上。藤原丈一郎には、長いジュニア時代があります。
幼いころはどんな子だったのか。家族は芸能界入りにどう関わったのか。中学、高校、大学では何をしていたのか。そして、なにわ男子の結成を機に何が変わったのか。少年時代から「初心LOVE」でデビューするまでを時系列でたどります。
藤原丈一郎は昔どんな子だった?大阪で過ごした幼少期
藤原丈一郎は大阪府出身。子どものころから野球が好きだったことで知られていますが、自身が小学生の野球チームに所属していたわけではありません。
小学生時代に取り組んでいたのは体操と水泳でした。後年、学童野球の大会を取材した際には、自分の少年時代についてこう振り返っています。
体動かすことは大好きで、体操や水泳をやってたんですけど、野球もやりたかったですね。
出典:OVO「なにわ男子の藤原丈一郎さんが小学生の甲子園・学童野球の決勝を解説」(2024年8月23日)
運動会や球技大会にも本気で取り組むタイプでした。小学校のマラソン大会では4年生と5年生で1位になった一方、6年生では1位を逃して泣いたこともあったと話しています。中学校の球技大会で負けた悔しさも、後年まで覚えていました。
ジュニアの練習と「パワプロ」が並んでいた小学生時代
小学2年生からジュニアとして活動するようになると、放課後や休日にはダンスの練習やステージの仕事が入るようになります。その合間にも、野球への興味は消えませんでした。
2026年にゲーム『パワフルプロ野球2026-2027』のイベントへ登壇した際、当時の過ごし方をかなり具体的に明かしています。
先輩後輩とダンスしてパワプロして練習してパワプロして…帰り道もパワプロしていました
出典:ORICON NEWS「なにわ男子・藤原丈一郎、『パワプロ』夢中でAぇ! group末澤誠也を放置」(2026年6月11日)
小学生の藤原にとって、ダンスの練習と野球ゲームはどちらも日常の中にありました。まだ「将来はCDデビューしたい」と明確に考えていた時期ではなく、学校へ通いながら目の前のレッスンやステージに参加する生活が続いていきます。
藤原丈一郎の家族構成は?母親・姉と芸能界入りのきっかけ
藤原丈一郎の家族について、公の場で存在が確認できるのは母親と姉です。2026年には、道枝駿佑の主演映画イベントを藤原の母親と姉が観覧していたことも報じられました。
母親のひと言から始まったオーディション
芸能界へ入る最初のきっかけには、母親が関わっています。2004年、母親から「5000円あげるから」と声をかけられ、現在の京セラドーム大阪で行われたオーディションに参加したというエピソードが伝えられています。
自分からアイドルを目指して応募したというより、母親に背中を押されてオーディション会場へ向かったことが、藤原丈一郎の長い芸能生活の入口でした。
当時はまだ小学2年生。オーディションの先に、長いジュニア生活やグループ結成、CDデビューが待っているとは本人にも分からない時期でした。
小学2年生でオーディションへ!藤原丈一郎の入所日と同期
藤原丈一郎の入所日は2004年2月21日です。本人は2025年のインタビューで、当時8歳の小学2年生で、関西ジュニアの最年少として入所したと振り返っています。
同じ2004年入所の同期には、WEST.の神山智洋がいます。2026年にも二人は「2004年入所の同期コンビ」として番組で共演しており、長い時間を経ても同期として紹介されています。
入所したころの藤原には、17年以上もジュニアとして活動する未来は見えていませんでした。CDデビュー直前、大橋和也との対談で当時をこう話しています。
そこからまさか17年以上、Jr.として活動するとは思ってもなかった。
出典:non-no web「永久保存版! 熟年夫婦コンビ“丈橋”がデビューまでの歴史を振り返る」(2021年11月9日)
活動を始めてからは関西ジュニアとして経験を積みます。STARTO ENTERTAINMENTの公式バイオグラフィーには、2010年3月に大阪城ホールで行われた「春休み all関西ジャニーズJr. in 大阪城ホール with 中山優馬」への出演記録も残っています。
2009年にはドラマ「サムライ転校生~我ガ道ハ武士道ナリ~」にも出演。歌やダンスだけでなく、演技を含むさまざまな仕事を経験しながら活動を続けていきました。
藤原丈一郎の学歴は?中学・高校・大学時代
藤原丈一郎は小学生のころから芸能活動をしていましたが、中学、高校を経て大学にも進学しています。本人が大学進学と経営学部で学んだことを明かしている一方、大学名そのものは本人や所属先の公開プロフィールでは公表されていません。
中学では技術部に3年間所属
中学生になると、学校では技術部に所属していました。2023年の「ミュージックステーション」で学生時代の部活動を振り返り、部活仲間と撮った写真も紹介しています。
3年間、はんだごてをしていまして
出典:ORICON NEWS「なにわ男子・藤原丈一郎、高校時代は『帰宅部のエース』」(2023年3月10日)
中学校では技術部、放課後や休日にはジュニア活動という生活でした。このころ大橋和也も事務所へ入り、やがて同じ位置で踊る機会が増えていきます。
高校時代は「帰宅部のエース」
高校では部活動には所属せず、本人は後に「帰宅部のエース」と表現しています。学校外ではジュニア活動が続いており、学生生活と仕事の両方を抱える日々でした。
高校時代の友人との関係はその後も続いています。2025年のインタビューでは、高校の友人と、その友人の会社の同僚と食事へ行ったことも話していました。
大学では経営学部へ!就職活動も経験
高校卒業後は大学へ進学しました。大学では経営学部を専攻し、マーケティングを学んでいます。進学理由も、芸能の仕事と切り離されたものではありませんでした。
この仕事で役に立つ勉強をしたいと思って、大学進学を決めたときは、経営学部を専攻しました。
出典:BAILA「藤原丈一郎さんインタビュー!『メンバーはどんな存在?』」(公開日記載なし)
ただ、大学生活の途中では芸能一本に決めていたわけではありません。大学2回生ごろから就職を意識し、昼は大学のキャリアセンターへ行き、夜はライブへ向かう時期もありました。
合同説明会へスーツで参加した経験もあります。周囲の学生が黒髪の中、芸能活動を続けていた藤原は茶髪のまま説明会へ行ったとテレビで振り返っています。
大学4回生では、芸能の仕事を続けるか、一般企業へ就職するかをさらに具体的に考えました。大学の先生からは信用金庫への就職を紹介できると声をかけられていたことも、後年のインタビューで明かしています。
大学名は公表されていませんが、大学進学、経営学部での学び、就職活動を経験したことは本人自身が複数のインタビューや番組で語っています。
藤原丈一郎のジュニア時代は何年?長い活動で目指していた場所
藤原丈一郎は2004年の入所から、2021年11月のCDデビューまで17年以上をジュニアとして過ごしました。その期間ずっと「CDデビュー」だけを目標にしていたわけではありません。
中学生のころ、大橋和也から「CDデビューしたいと思っていた?」と聞かれた藤原は、「いっさいなかった」と答えています。強く意識していたのは、もっとステージの前へ行くことと、マイクを持ってパフォーマンスする機会を増やすことでした。
当時の関西ジュニアでは、前列に立つメンバーの後ろで踊る時期も長く、藤原と大橋は先輩のバックだけでなく、後から入ったメンバーの後ろで踊る経験も重ねました。二人はアクロバットなど、自分たちができることを増やしていきます。
活動の積み重ねは公式記録にも残っています。2014年だけでも大阪城ホールの正月公演、大阪松竹座の春公演、舞台「台風n Dreamer」、年末の「X’mas Show 2014」などに出演。西畑大吾、大西流星、大橋和也ら、後になにわ男子で一緒になるメンバーと同じ公演に立つ機会も増えていました。
大橋和也と同じ位置で踊るようになったジュニア時代
大橋和也が入所したのは2009年。大橋の話では、中学2年生ごろから藤原と同じくくりで踊るようになりました。後になにわ男子の「丈橋」と呼ばれる二人ですが、最初から同じグループだったわけではありません。
長いジュニア時代の中で、2018年には大橋と舞台「リューン~風の魔法と滅びの剣~」で初主演を務めました。それまで関西ジュニアの舞台に出演していても、二人とも長いせりふを任される経験は多くなく、いきなり座長として作品を背負うことになります。
稽古は2017年末から東京で始まり、クリスマスも二人で過ごしました。公演期間中も一緒に食事をすることが多く、大橋はこの時間で藤原との距離がさらに近くなったと振り返っています。公演後には、スタッフからパンフレットの売れ行きについて驚く言葉をかけられたことも藤原の記憶に残っています。
ジュニアとして前列を目指していた二人が、初めて自分たちを中心にした作品で長いせりふを覚え、座長として舞台に立つ。その経験を経た同じ年の秋、藤原の活動はなにわ男子結成へと動いていきます。
一方で、大学では就職活動も進めていました。昼は就職について考え、夜はステージへ立つ。なにわ男子結成前には「アイドルを続けるか、辞めて就職するか」という選択まで現実のものになっていました。
2018年になにわ男子結成!突然届いた一斉メール
大きな変化が起きたのは2018年10月です。西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也の7人で、なにわ男子が結成されました。
結成を知った方法は、メンバーを集めた華やかな発表の場ではありませんでした。マネージャーから届いた一斉メールでした。
マネージャーから、メンバーに一斉メールが来て知ってビックリ。
出典:non-no web「運命を大きく変えた、結成からデビュー発表まで」(2021年11月10日)
藤原と大橋にとって、ほかの5人はそれまで1列目や2列目で踊ることが多かった年下のメンバーでした。自分たちは3列目、4列目から前を目指してきたため、同じグループになることにはチャンスと戸惑いの両方があったと藤原は話しています。
最年長として年下メンバーとどう接するかも考えました。WEST.の濵田崇裕に相談し、「引っ張りすぎるより横並びで一緒に歩く」という考え方を聞いたことも、結成後の関係づくりに影響しています。
初めて「CDデビューを目指したい」と思った瞬間
藤原が初めて「CDデビューを目指したい」と強く思ったのは、なにわ男子結成後のライブでした。2018年秋の「関西ジャニーズJr. LIVE 2018 Fall in LOVE ~秋に関ジュに恋しちゃいなよ~」で、自分たちのための衣装を初めて作ってもらいます。
それまでジュニアでは先輩から受け継いだ衣装を着ることが多かった中、なにわ男子には赤い衣装とメンバーカラーの衣装が用意されました。靴まで衣装に合わせた黒いブーツになり、グループとして扱われる実感が生まれていきました。
同じ年の大みそかには、なにわ男子としてジャニーズカウントダウンライブにも出演しました。仕事は一気に動き始めましたが、7人の気持ちが最初から完全にそろっていたわけではありません。年齢も、それまで立ってきた位置も違うメンバー同士が、仕事を重ねながら一つのグループになっていきました。
8歳で始まった活動は、学校、舞台、先輩のバック、就職活動、そしてグループ結成まで続いています。年表で見ると長い時間ですが、本人はデビュー直前に振り返ったとき、学生生活と同じように「あっという間だった」と感じる面もあったと話しています。
なにわ男子として活動を始めると、個人で前へ出ることだけではなく、7人でCDデビューすることが新しい目標になりました。
17年以上のジュニア時代を経てCDデビューへ
なにわ男子結成から約3年後の2021年7月28日。全国アリーナツアーの公演で、メンバーにCDデビュー決定がサプライズで伝えられました。
藤原はこの発表を迎えるまでに、小学校、中学校、高校、大学という学生生活を送り、その間もジュニアとしてステージに立ち続けていました。大学時代には就職活動まで経験し、それでも芸能の道を選んだ先で届いた知らせでした。
2021年11月12日「初心LOVE」でデビュー
CDデビュー日は2021年11月12日。デビューシングルは「初心LOVE(うぶらぶ)」でした。Storm Labelsの公式情報でも、2018年10月の結成、2021年7月28日のデビュー発表、11月12日の発売という流れが記録されています。
小学2年生でオーディション会場へ向かった少年は、前列を目指して踊り、大学では就職と芸能活動の間で進路を考え、なにわ男子の結成後に初めてCDデビューを具体的な目標にしました。
2004年2月21日の入所から2021年11月12日まで。藤原丈一郎の「アイドルになるまで」は、17年以上にわたるジュニア時代を経て「初心LOVE」の発売日にひとつの区切りを迎えました。




























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