Travis Japanのメンバーとして、ダンスを軸に国内外のステージへ立つ七五三掛龍也。現在の姿からたどっていくと、その出発点には茨城で外遊びに夢中になった少年時代があります。
小学生のころは地元の野球チームで練習し、友達とは缶蹴りをし、土手を段ボールで滑って遊んでいました。芸能活動とはまだ離れたところで、体を動かすことが日常だった時期です。
一方、家では父親がSMAP、母親がKAT-TUNのファン。両親に連れられて先輩たちのコンサートを見るうちに、七五三掛自身がステージの向こう側を意識するようになります。
小学6年生で自分から履歴書を送り、約13年のジュニア時代を経て、Travis Japanとして世界デビューするまで。その道は一度のオーディションだけで決まったものではありませんでした。
「七五三掛」という名字のこと、家族との時間、学校へ通っていた時期の進路、オーディション後の長い電車通い。本人が後年に語った具体的な記憶を追うと、アイドルになる前の姿が少しずつ見えてきます。
七五三掛龍也は本名?読み方と茨城で過ごした少年時代
公式プロフィールで使われている表記は「七五三掛龍也」、読み方は「しめかけ りゅうや」です。本人は「七五三掛」を自分の名字として地元の話とともに語っており、別の本名や芸名を使っているという公式発表はありません。
戸籍上の氏名を別途示した公開資料まではありませんが、本人・所属先ともに一貫して「七五三掛龍也」の名で活動しています。「しめ」「しめちゃん」という呼び方も広く使われています。
「七五三掛」という名字を珍しいと思っていなかった
難読名字として注目されやすい「七五三掛」ですが、本人にとって子どものころは特別な名字ではありませんでした。地元の茨城には、親戚ではない七五三掛姓の人もいたからです。
自分の名字が珍しいと気づいたのは、事務所のオーディションで東京へ出たとき。会場のスタッフが名字に驚いているのを見て、初めて地元の感覚との違いを知ったと振り返っています。
「珍しいっていう自覚がなくて」
出典:スポニチ「Travis Japan七五三掛龍也 黒柳徹子の『しめちゃん』呼びに喜び 珍名字エピソードも」(2025年9月3日)
小学生時代は地元の野球チームで練習
小学生の七五三掛は、地元の野球チームに所属していました。本人の言葉では、当時は練習に「明け暮れていた」といい、芸能活動を始める前は野球が生活の大きな部分を占めていました。
「幼少期の自分をひと言で表すと、活発。」
出典:BAILA「Travis Japan 七五三掛龍也 インタビュー〈前編〉『子どもみたいにはしゃぎたい』」(2026年6月14日)
「活発」という言葉の後には、野球の練習だけでなく、外で遊んでいた具体的な記憶が続きます。きれいに整えられたエピソードではなく、地元で過ごした普通の小学生らしい場面が残っています。
缶蹴りや段ボールで土手を滑って遊んだ
友達との遊びでは缶蹴りをし、土手では段ボールを敷いて滑っていました。本人は「体を動かす系の遊びはひと通り経験した」と話しており、家の中で過ごすより外へ出て遊ぶ時間が多かったことがうかがえる昔話です。
ジュニアになった後も、遊ぶときは思い切り遊んでいました。10代のころには京本大我や松倉海斗らディズニー好きの仲間と何度もパークへ出かけ、朝からアトラクションを回っているうちに夜になっていたこともあったといいます。
七五三掛龍也の家族構成は?父親・母親・妹との関係
七五三掛が芸能界へ目を向けるまでをたどると、両親が好きだったアイドルの存在が大きく関わっています。家族がコンサートへ連れて行ったことで、テレビの中にいた先輩たちを実際のステージで見る機会が生まれました。
父親はSMAP・木村拓哉のファン
父親はSMAPのファンで、なかでも木村拓哉を応援していました。七五三掛は子どものころから父親の影響でSMAPのライブへ行き、歌やダンスを生で見る経験を重ねています。
芸能活動を始めてからも父親は息子のステージを見に来ています。本人が出演する舞台で最前列の中央に座っていたこともあり、七五三掛は父親の外見が自分にかなり似ていると話したことがあります。
ラジオで木村拓哉と共演した際には、父親が長年のファンであることを伝えました。木村からツーショット写真を撮る提案があり、その写真を父親へ送ると、長い感謝のメッセージが返ってきたそうです。
父親の氏名や職業は本人・所属先から公表されていません。職業に関するネット上の説は、確かな根拠がないため断定できません。
母親はKAT-TUN・亀梨和也のファン
母親はKAT-TUNのファンで、亀梨和也を応援していました。父親側のSMAPだけではなく、母親側からも当時の先輩グループの音楽やステージに触れる環境がありました。
七五三掛は両親の影響で歌やダンスが好きになったと語っています。小学生の段階で「自分もあの場所へ行きたい」と思えるほど、コンサートで見た景色が身近なものになっていきました。
両親と行ったコンサートがアイドルへの入口になった
SMAPやKAT-TUNのライブへ足を運び、ステージ上の先輩たちを見たことが、事務所へ応募する直接のきっかけになりました。親が勝手に履歴書を送ったのではなく、七五三掛自身が「入りたい」と考えて動いた点が特徴です。
「この事務所に入りたい」
出典:MANTANWEB「Travis Japan七五三掛龍也:両親の影響でダンス&歌好きに 『この事務所に入りたい』と小6で履歴書送付 『徹子の部屋』で」(2025年9月3日)
両親はその後、茨城から東京へ通う息子を見守る側になります。オーディションに受かった後も、地元から長時間かけてレッスンへ通う生活を続けられた背景には、家族と暮らしながら芸能活動を始めた時期がありました。
妹の結婚式では家族そろって涙
七五三掛には妹がいます。2025年に行われた実妹の結婚式では、妹が両親へ手紙を読み、生まれたときの体重と同じ重さの米を贈る場面がありました。
その場で両親が泣き、兄の七五三掛も涙をこらえられなかったといいます。後には本人の公式Instagramにも妹の結婚式で撮影した写真が投稿され、家族の節目を自分の言葉で振り返っています。
「僕もそれを見て号泣しました(笑い)」
出典:日刊スポーツ「Travis Japan七五三掛龍也、妹の結婚式で号泣『両親が号泣して僕も』理想の式語る」(2026年1月7日)
七五三掛龍也の学歴は?小学校から学生時代・進路まで
学校生活について本人が具体的に語っているのは、小学生時代の野球や、小学6年生で事務所へ履歴書を送ったこと、その後に学生生活とレッスン通いが重なった時期です。学校名そのものより、進路が芸能活動へ動き始めた時期の記憶が多く残っています。
小学6年生で自分から履歴書を送った
履歴書を送ったのは小学6年生のときでした。両親とコンサートを見に行く中で先輩たちに憧れ、自分の意思で応募しています。
すぐにオーディションへ進んだわけではありません。履歴書を送った後も普段の生活は続き、連絡が来ない期間は1年半から2年ほどに及びました。
返事を待つ間は美容師になりたいと思っていた
時間がたつうちに、七五三掛自身も応募したことを忘れかけていました。そのころには将来の進路として美容師を考えるようになり、事務所へ入りたい一心だった小学6年生のときとは気持ちが変化していました。
そこへ突然、オーディションの連絡が届きます。最初は本当の連絡だと思えず疑ったものの、会場へ行ってみると、かつて自分で送った履歴書から続く話でした。
一度は美容師という別の進路を考えていた時期に、忘れかけていた応募からオーディションの連絡が届きました。
高校・大学の具体的な学校名は公表情報で断定できない
七五三掛の高校名や大学名については複数の情報がネット上にありますが、本人や所属先が正式な学校名を公表した確かな資料はありません。大学への進学の有無についても、本人の公式プロフィールでは明らかにされていません。
学生時代を扱ううえで確実なのは、2009年に事務所へ入り、その後は茨城の地元から東京へレッスンに通っていたことです。学校生活と芸能活動が重なる年代については、未公表の学校名を当てはめるより、この本人証言を軸にした方が当時の生活を具体的に追えます。
オーディションは忘れたころに!2009年の入所まで
小学6年生で送った履歴書から約1年半から2年。オーディションの連絡が来たころには、七五三掛は応募したことを忘れてしまうほど時間がたっていました。
それでも会場へ足を運び、オーディションを受けます。ここから、茨城で学校生活を送っていた少年の日常に、東京でのレッスンが加わりました。
突然のオーディション連絡を最初は疑った
美容師を考えるようになっていた時期に届いた連絡だったため、本人はすぐには信じられませんでした。実際に会場へ行くまで半信半疑だったことを、後年のテレビ出演で明かしています。
「最初うそだと思って」
出典:MANTANWEB「Travis Japan七五三掛龍也:両親の影響でダンス&歌好きに 『この事務所に入りたい』と小6で履歴書送付 『徹子の部屋』で」(2025年9月3日)
松村北斗と同じ2009年2月15日に入所
七五三掛の入所日は2009年2月15日。同じ日に入所した一人が、後にSixTONESのメンバーとなる松村北斗です。
2人はそれぞれ別のグループで活動するようになりますが、七五三掛は後年、映画「ライアー×ライアー」で松村の親友役を演じました。同じ日に事務所へ入った2人が、年月を経て作品で共演する形になりました。
「北斗とは同じ日にジャニーズ事務所に入所して同期」
出典:TV LIFE web「松村北斗×七五三掛龍也が仲良くライアーポーズ!『ライアー×ライアー』オフショット解禁」(2021年2月15日)
茨城から東京まで約1時間半を毎日通った
オーディションに合格した後は、茨城の地元から東京まで電車で約1時間半。レッスンがある日はその距離を通い続けました。
帰りの電車では疲れて寝てしまい、降りるはずの駅を通り過ぎることもありました。本人によると、地元からさらに1時間ほど先まで行ってしまったことが何度もあったそうです。
まだ地元で暮らしていた時期だけに、レッスンは東京へ行って終わりではありません。終電や移動時間を気にしながら帰宅し、また次の活動へ向かう生活が始まりました。
Travis Japan加入から続いたジュニア時代
入所後の七五三掛は、レッスンだけでなく舞台の現場へ立つようになります。STARTO ENTERTAINMENTの公式バイオグラフィーには、2010年の「PLAYZONE 2010 ROAD TO PLAYZONE」への出演記録が残っています。
翌2011年には「PLAYZONE ’11 SONG & DANC’N.」、2012年にも「PLAYZONE ’12」に出演。歌とダンスを前面に出す舞台で経験を積む時期が続きました。
PLAYZONEでステージ経験を重ねた10代
PLAYZONEは、七五三掛のジュニア時代を追ううえで繰り返し登場する舞台です。テレビで目立つ仕事だけではなく、長期間の公演へ向けて稽古し、先輩や同世代と同じ舞台をつくる経験が積み重なっていきました。
2012年にはTravis Japanが結成され、七五三掛もメンバーとして活動していきます。グループの形はその後変化し、2017年から現在の7人体制で歩むことになりました。
デビューまで約13年という長いジュニア時代
2009年の入所から2022年のメジャーデビューまで約13年。途中には、いつデビューできるのか分からない時間が続きました。
本人は「もうデビューできないんじゃないか」と思うほど長かったと振り返っています。グループで活動していても、デビューの時期が約束されていたわけではありません。
Kis-My-Ft2が楽曲・衣装・振付まで支えた
その時期に近くで支えた先輩グループがKis-My-Ft2でした。Travis JapanはKis-My-Ft2のコンサートでバックダンサーを務め、一緒にステージへ立つ機会を重ねていました。
まだ自分たちの楽曲を作る予算が十分になかったころには、Kis-My-Ft2側が費用を負担して楽曲を用意。衣装は玉森裕太、振付は千賀健永が関わり、藤ヶ谷太輔は自身も長いジュニア時代を経験した立場から相談に乗っていたといいます。
「キスマイ兄さんには感謝しかないですね」
出典:スポニチ「トラジャ七五三掛龍也 デビューまで13年の下積み生活…支えてくれたグループ明かす『感謝しかない』」(2025年9月3日)
先輩のバックで経験を重ねながら、自分たちの曲や衣装が少しずつ増えていく。七五三掛にとってジュニア時代は、オーディション合格から一直線にデビューへ進む期間ではなく、グループとして形を作り直し続ける時間でもありました。
アメリカ挑戦からTravis Japan世界デビューへ
長いジュニア時代の先で、Travis Japanは日本国内だけを見て待つのではなく、2022年に活動拠点をアメリカへ移しました。7人で共同生活をしながら、ダンスや歌、英語を学び、現地の大会やオーディション番組へ挑戦します。
事務所に入ってから13年目。七五三掛にとっては、茨城から東京へ通っていたころとはまったく違う環境で、再び評価される側へ立つ時間になりました。
World of DanceとAmerica’s Got Talentへ挑戦
アメリカではダンス大会「World of Dance」に出場し、地区予選3位、全米大会4位、世界大会9位という結果を残しました。続いて人気オーディション番組「America’s Got Talent」に出演し、「夢のHollywood」を英語で披露します。
「America’s Got Talent」では準決勝まで進出。日本で長くジュニアとして活動してきた7人が、現地の審査員と観客の前で一組のパフォーマーとして評価を受けることになりました。
こうしたアメリカでの活動がCapitol RecordsとUniversal Music Groupの目に留まり、世界デビューへ話が進みます。2022年9月、Capitol Recordsとの契約と10月28日のデビューが正式に発表されました。
2022年10月28日「JUST DANCE!」で世界デビュー
デビュー曲は「JUST DANCE!」。2022年10月28日に配信され、Travis JapanはCapitol Recordsから全世界メジャーデビューしました。
「7人でデビューが叶い、遂に始まります!Travis JapanのShowtime!!」
出典:UNIVERSAL MUSIC JAPAN「Capitol Music Group・Travis Japanと契約 10月28日、世界デビュー」(2022年9月29日)
小学6年生で送った一通の履歴書から、デビューまで約13年。途中で美容師という進路を思い描いた時期も、茨城から東京へ眠い目をこすりながら通った時期もありました。
2022年10月28日を境に、七五三掛は「デビューを待つジュニア」ではなく、Travis Japanの一員として世界へ作品を届ける立場になります。幼いころ両親と見上げていた先輩たちのステージから始まった道は、ここで次の段階へ進みました。





























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