寺西拓人は昔どんな子だった?家族構成や学歴、ジュニア時代からtimelesz加入まで

ひと目でわかるプロフィール
寺西拓人
てらにし たくと
サッカー少年から長いジュニア時代と俳優活動を経てtimeleszへ加わった表現者
生年月日
1994年12月31日
血液型
O型
出身地
神奈川県
所属・活動形態
timelesz
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2008年
活動開始時年齢
13歳
アイドルになったきっかけ
オーディション・家族の影響・勧め

timeleszのメンバーとして活動する寺西拓人さん。2024年から2025年にかけてのtimelesz projectをきっかけに広く名前を知った人も多いかもしれませんが、芸能活動のスタートはそこから17年ほど前にさかのぼります。

寺西拓人さんのアイドルへの道は、timelesz projectから始まったわけではありません。

神奈川県出身の少年は、友達と外で遊び、サッカーボールを追いかける毎日を送っていました。中学生だった2008年4月に事務所へ入り、先輩のバックや舞台で経験を重ねていきます。

ただ、その歩みは一直線ではありませんでした。固定グループに所属しないジュニア時代、大学で考えた就職という選択肢、ジュニア卒業後の俳優活動。その時間を経た先に、timeleszへの挑戦があります。

ここからは、サッカーが好きだった少年時代から、家族との関係、学校生活、長いジュニア時代を経てtimeleszのメンバーになるまでをたどります。

寺西拓人は昔どんな子だった?サッカーに夢中だった少年時代

寺西拓人さんが子どものころに夢中になっていたのがサッカーです。本人はFINEBOYS Onlineのインタビューで、家の中で過ごすより外へ出て友達と遊ぶことが多かったと振り返っています。

「外で友達と思いっきり遊ぶ子」

出典:FINEBOYS Online「【寺西拓人】となりはテラニシくん その1」(2025年6月17日)

遊びの中心もサッカーでした。本人は同じインタビューで、サッカーでよく遊んでいたと話しています。後に芸能の道へ進みますが、その入口にもサッカーが関わることになります。

公式プロフィールで公表されている出身地は神奈川県です。出生地や具体的な地元の市区町村までは公式に示されていないため、「神奈川県出身」という範囲で見るのが確実です。

中学生になるころまでサッカーを続けていた寺西さんには、競技を続ける道とは別に、思いがけず芸能界への入口が現れました。そのきっかけを作った人物が母親です。

寺西拓人の家族構成は?兄・妹・両親とのエピソード

寺西拓人の家族構成
父
母
事務所応募のきっかけに関わった
兄
本人
寺西拓人
妹

寺西拓人さんは、父親・母親・兄・妹のいる家庭で育ちました。CLASSY.のインタビューでは、兄と妹にはさまれた真ん中のきょうだいであることを本人が話しています。

BAILAでは、家族について語る中で両親、兄妹、祖母にも触れています。学校やサッカーチームの友達、仕事で出会った人たちまで含め、幼いころから周囲に人がいる環境だったようです。

「ずっと“誰かがそばにいる人生”を歩いてきたような気がします。」

出典:BAILA「timelesz 寺西拓人さんインタビュー〈前編〉」(2026年5月11日)

兄と妹の真ん中として育った

兄と妹にはさまれた真ん中っ子という家族構成は、現在の本人が自分の性格を振り返る場面でも登場しています。一方で、兄や妹の氏名、職業など、一般人である家族の詳しい個人情報は公表されていません。

ジュニアになってからは、自分の家族だけでなく、仲間の家庭に触れる機会も増えました。本人は、ジュニア仲間の家によく泊まりに行き、それぞれの家で料理の味付けや生活習慣が違うことを新鮮に感じていたと話しています。

芸能活動を始めたばかりの時期から、仕事仲間と家族ぐるみのように時間を過ごすことがあった寺西さん。学校と仕事を行き来する生活の外側にも、同世代の仲間との日常がありました。

芸能界への入口を作った母親

寺西さんの芸能界入りには母親が大きく関わっています。2017年の読売中高生新聞「ジュニアの小箱」を転載した記録には、母親が履歴書を送り、オーディションの知らせが届いたという本人の回想が残っています。

しかも、オーディションの日はサッカーの地区選抜セレクションと重なっていました。サッカーを続けてきた寺西さんにとっては、どちらへ行くかを選ばなければならない日だったことになります。

母親に背中を押され、寺西さんが選んだのは芸能事務所のオーディションでした。

この選択が、サッカー少年だった寺西さんの生活を大きく変えていきます。2008年4月、中学生の時期に事務所へ入り、学校へ通いながら芸能活動を始めました。

寺西拓人の学歴は?中学・高校・大学時代と進路

寺西拓人の学歴
大学
大学(学校名非公表)
大学在学と卒業を本人が明言

寺西拓人さんは、大学へ進学し卒業したことを本人が複数のインタビューで話しています。一方、中学校・高校・大学の具体的な学校名は、本人や所属先の公式プロフィールでは公表されていません。

「専修大学」とする情報も広く見られますが、本人が公に語っているのは大学へ通っていたことと、卒業後に一人暮らしを始めたことまでです。学校名は断定しません。

中学・高校時代は学校とジュニア活動を行き来

2008年4月に入所した寺西さんは、まだ中学生でした。放課後や休日だけを学校生活に使える状況ではなく、レッスンや先輩のバックなど芸能活動も始まっていきます。

この時期に出会った仲間の一人が諸星翔希さんです。寺西さんと諸星さんにはサッカーを通じたつながりもあり、後年も交流が続いています。ジュニア時代の人間関係が、その後も長く残っている組み合わせの一つです。

高校時代も固定グループのメンバーとして活動する形ではなく、個人で現場に入りながら経験を積んでいきました。学校名そのものより、学生生活と芸能活動が同時進行していたことが寺西さんの10代を考えるうえで重要です。

学生時代の服装には、当時から少しこだわりがありました。FINEBOYS Onlineでは、周囲で流行していたスタイルをそのまま追うより、海外アーティストのファッションを参考にしていたと振り返っています。

もちろん学生なので、同じブランドの服を何でも買えるわけではありません。雰囲気の近いものを探して取り入れていたという話からは、芸能活動とは別の、ごく普通の学生らしい金銭感覚も見えてきます。

大学時代に「芸能活動か就活か」で悩んだ

大学へ進んでも芸能活動を続けていましたが、20歳のころには進路を現実的に考える時期が訪れます。大学生なら就職活動を始める友人も増える年代です。

「大学にも行っていたので、このまま続けるか就活するのかとか。」

出典:FINEBOYS Online「【timelesz 寺西拓人】この笑顔に会いたかった! 今いちばん、アツいマブ! その2」(2025年7月14日)

本人はこの悩みを誰かに相談するのではなく、自分の中で考えていたとも話しています。中学生で芸能活動を始めた寺西さんにとって、大学時代は「続けること」を改めて自分で選び直す時期でもありました。

大学卒業後に始めた1Kの一人暮らし

大学卒業後、21歳か22歳ごろに初めて一人暮らしを始めます。最初の部屋は1K。家賃は当時の自分にとってかなり頑張った金額だったと本人が振り返っています。

部屋には舞台で共演した仲間も遊びに来ました。中山優馬さんや越岡裕貴さんらと家で飲むこともあり、翌朝に仕事があるのに寝坊してしまったという、若いころらしい失敗談も残っています。

最初の部屋ではインテリアを暗めの色でそろえすぎて、部屋全体まで暗く感じるようになったこともあったそうです。仕事の経歴とは直接関係しない小さな話ですが、大学を卒業したばかりのころにどんな暮らしをしていたのかが浮かぶエピソードです。

ジュニア仲間の家に泊まっていた学生時代から、自分の部屋へ仲間を招く生活へ。学校を卒業しても、人と集まることが好きなところは変わっていませんでした。

2008年に入所!寺西拓人のジュニア時代

寺西拓人さんが事務所へ入ったのは2008年4月です。ORICON NEWSでも、同年4月に入所したことが報じられています。当時13歳でした。

「2008年4月20日」を入所日とする情報もありますが、STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールには入所日の記載がなく、ORICON NEWSが報じているのも「2008年4月」までです。

サッカーと重なったオーディション

オーディションの日にサッカーの地区選抜セレクションが重なったという話は、寺西さんの原点を象徴する場面です。ずっと続けてきたサッカーと、まだよく分からない芸能界への入口が、同じ日に並びました。

母親に勧められてオーディションを選んだ寺西さんは、その場を通過して芸能活動を始めます。転載記録に残る本人の回想では、当日の参加者は100人ほどだったとされており、中学生だった寺西さんもその中で審査を受けました。

履歴書を送ったのも、オーディションへ行くよう背中を押したのも母親でした。もともと幼いころからアイドルだけを目指して準備していた、という経歴ではありません。家族が作った入口から、本人にとって未知だった芸能活動が始まっています。

入所後はジュニアとして先輩のステージを支え、舞台にも立つようになります。同期には菊池風磨さんがいますが、寺西さんは長いジュニア時代を通して固定グループに所属しませんでした。

仲間がデビューしていく10代に抱えた気持ち

同じ場所で踊っていた仲間が先へ進む一方、自分はグループに所属しないまま活動を続ける。10代の寺西さんは、周囲と自分を比べて落ち込むことも多かったと後年に明かしています。

「同じように踊っていた仲間がデビューした時は『何が違うんだろう』って。」

出典:CLASSY.「timelesz・寺西拓人さん『自分と比べて落ち込んでしまうことも多かった』10代を振り返って」(2025年4月11日)

それでも現場から離れるのではなく、先輩のバック、コンサート、舞台へと出演を重ねました。2014年には「ABC座2014 ジャニーズ伝説」や「DREAM BOYS」、その後は「Endless SHOCK」など舞台での経験も増えていきます。

ジュニアの活動というと、グループ結成からCDデビューへ進む流れを思い浮かべやすいものの、寺西さんはその形には入りませんでした。必要な現場に一人で入り、先輩や共演者と関係を作りながら仕事を続ける時間が長くなります。

後年、FINEBOYS Onlineで後輩へ服を譲る話題になった際にも、本人は長くグループに所属せず一人で活動してきたため、そうした関係性の後輩がいなかったと話しています。現在のtimelesz加入後だからこそ口にできる、以前の活動形態をよく表す振り返りです。

歌やダンスだけでなく芝居に触れる時間が長くなったことは、後の俳優活動へつながりました。一方で「グループに属してデビューする」という道だけは、長いあいだ寺西さんの前に現れませんでした。

ジュニア卒業から俳優へ!timeleszの前に歩んだ道

2021年、寺西拓人さんはジュニアを卒業しました。事務所を離れたのではなく、その後は俳優としての活動を中心に据えていきます。

すでに舞台経験を積んでいた寺西さんにとって、芝居の仕事を続けることは自然な流れでした。「Endless SHOCK」をはじめとする舞台で培った経験もあり、個人で作品に参加する時間が増えていきます。

固定グループがないまま長く活動してきたため、ここで「アイドルになるまで」の物語が終わっていても不思議ではありませんでした。それでも本人の中には、芝居とは別に、歌って踊る活動への思いが残っていました。

2024年には個人の公式Instagramも開設。俳優として一人で活動する姿が定着していく中で、同じ年にtimeleszが新メンバー募集のオーディション「timelesz project」を進めていました。

寺西さんは一般応募の最初からではなく、STARTO ENTERTAINMENT所属者が参加する4次審査から合流します。原嘉孝さん、今江大地さんとともに審査へ加わったことで、長く個人活動を続けてきた寺西さんに再びグループへの道が開きました。

寺西拓人がtimeleszになるまで!タイプロ挑戦と2025年加入

タイプロ参加を決めた理由について、寺西さんは俳優の仕事を否定していません。芝居をしたい気持ちは本物で、そのうえでアイドルとして歌い踊る活動もしたいという思いがあったと話しています。

「歌って踊ってアイドルとしての活動をやりたいなと思って」

出典:ORICON NEWS「timelesz新メンバー・寺西拓人、原嘉孝の魅力に迫る」(2025年5月8日更新)

13歳で事務所に入り、グループに所属しないままジュニアを卒業し、俳優として進んだあとに、もう一度「アイドルとしてグループに入る」可能性へ手を伸ばしたことになります。

4次審査からファイナルへ進んだ約3か月半

4次審査から参加した寺西さんは、ダンスや歌だけでなく、候補生同士で作品を作る過程も審査されました。すでに芸能活動歴は長くても、timeleszのメンバーになるための審査では一人の候補生です。

2025年2月14日には、timelesz公式YouTubeで寺西さんの6次ファイナル審査映像が公開されました。長くステージに立ってきた寺西さんが、新しいグループの一員になるために挑む姿を直接確認できる映像です。

名前を呼ばれ、timeleszのメンバーへ

2025年2月15日、timeleszの新メンバーとして寺西拓人さんの名前が発表されました。橋本将生さん、猪俣周杜さん、篠塚大輝さん、原嘉孝さんとともに加入し、timeleszは8人体制になります。

「自分の人生のフェーズが変わる感覚」

出典:anan「timelesz寺西拓人『人生を変えるには短いけど濃密な3か月半でした』」(2025年3月12日)

オーディションを通過した喜びだけではなく、その瞬間から生活も仕事も大きく変わることを本人自身が感じていました。2008年のオーディションとは違い、今度は長い芸能活動を経験したうえで、自分の意思で選んだグループへの道でした。

加入翌日には、timeleszの公式Xでも寺西さん自身が「これからの抱負」を語る投稿が公開されました。ファイナル合格がゴールではなく、8人で活動していく生活がすぐに始まっていきます。

新体制で最初の音楽リリースは、同年2月28日に配信された「Rock this Party」でした。寺西さんにとっては、長く先輩のバックや舞台で歌い踊ってきた時間を経て、timeleszのメンバーとして参加する最初のリリースになります。

さらに6月11日には、8人体制で初めてのオリジナルアルバム『FAM』が発売されました。ジュニア時代に何度も見送ってきた「グループの一員として作品を届ける」という立場へ、寺西さん自身が加わったことになります。

寺西さんの経歴を「タイプロからtimeleszへ」だけで見ると数か月の物語ですが、その前にはサッカーをしていた少年時代、中学生での入所、学生生活と仕事の両立、大学での進路の迷い、固定グループを持たないジュニア時代、そして俳優としての時間があります。

13歳で初めて受けたオーディションから、timeleszで名前を呼ばれるまで約17年。途中で選ぶ道が何度も変わりながら、寺西さんは芸能活動そのものを続けてきました。

サッカーのセレクションと重なった日に芸能界のオーディションを選んだ少年は、長い時間を経て、今度は自分の意思でグループ活動への挑戦を選びました。timeleszとしてステージに立つ現在の姿の前には、そうした一つひとつの選択が積み重なっています。

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