宮舘涼太の学歴と生い立ちは?家族構成や幼少期、入所からSnow Manデビューまで

ひと目でわかるプロフィール
宮舘涼太
みやだてりょうた
引っ込み思案な少年時代からダンスとオーディションを経て、長いジュニア時代の先にSnow Manとしてデビュー
生年月日
1993年3月25日
血液型
A型
出身地
東京都
所属・活動形態
Snow Man
活動時代
平成アイドル
アイドル活動開始
2005年
活動開始時年齢
12歳
アイドルになったきっかけ
オーディション・家族の影響・勧め

Snow Manの宮舘涼太さんといえば、「舘様」の愛称で親しまれ、ステージでは落ち着いた立ち姿や独特の存在感を見せています。

ところが、子どものころの宮舘さんは、人前に出ることが得意な少年ではありませんでした。幼稚園では緊張して泣いたこともあり、先生の後ろに隠れて過ごすほどの人見知りだったと振り返っています。

人前で自分の名前を言うことも苦手だった少年が、小学2年生で始めたダンスをきっかけに、少しずつ「表現する側」へ進んでいきました。

幼稚園では、のちに同じSnow Manで活動する渡辺翔太さんと「ゆり組」で一緒に過ごしていました。その後は別々の小学校と中学校へ進みますが、中学1年生のオーディション会場で思いがけない再会を果たします。

母親が本人に知らせず送った履歴書、オーディション後のラーメン、翌日から始まったジャニーズJr.のリハーサル。そこからCDデビューまでには、約15年という時間がありました。

宮舘涼太はどんな幼少期だった?引っ込み思案だった少年時代

現在は大きなステージで堂々とパフォーマンスする宮舘さんですが、幼少期はかなり引っ込み思案だったそうです。

幼稚園のころ、誕生日を祝ってもらうイベントでステージに立った際には、緊張から泣いてしまった記憶も残っています。

「小さい頃は人前で名前を言えないくらい引っ込み思案で」

出典:MORE「Snow Man宮舘涼太『自分が泣くのではなく、誰かの心を動かせる人になれたら』」(2021年10月21日)

後年には、幼少期は先生の後ろに隠れて過ごしていたとも話しています。外で自分を前に出すより、誰かの後ろにいるほうが落ち着くような子どもでした。

両親と海に親しみ、水泳・体操・ダンスへ

宮舘さんの子ども時代には、海が身近にありました。父親と母親がともにサーフィンをしていたことから、宮舘さん自身も小さいころにボディーボードを始め、その後はサーフィンもするようになったと話しています。

習い事では水泳と体操も経験しました。さらに小学2年生になると、母親の勧めでダンスを始めます。

人見知りだった息子に、体を使って自分を表現できるものを経験させたい。母親にはそんな考えがあり、宮舘さんは次第にダンスへ夢中になっていきました。

学校で人前に出ることは苦手でも、音楽に合わせて体を動かす場所では、自分を表現する楽しさを見つけていきます。

海とのつながりが分かる小さな昔話も残っています。Snow Manの公式Xで「夏休みの自由研究は何をしていた?」と聞かれた宮舘さんは、サーフィンのバランス感覚を身につけるため、木の板とパイプを使ってバランスボードを自作したと答えています。

ダンスだけではなく、水泳、体操、ボディーボード、サーフィンと、体を動かす経験がいくつも重なっていた少年時代でした。

渡辺翔太と幼稚園の「ゆり組」で出会う

宮舘さんの幼少期を語るうえで欠かせないのが、Snow Manの渡辺翔太さんとの関係です。2人は同じ幼稚園に通い、花の名前で分けられていたクラスの中で、ともに「ゆり組」でした。

幼稚園を卒園すると、2人は別々の小学校、中学校へ進みます。ずっと同じ学校に通っていたわけではありません。

小学校時代には、宮舘さんは「宮ちゃん」と呼ばれていたと語っています。「舘様」という呼び名が広がっていくのは、もう少し後の中学生ごろからでした。

宮舘涼太の家族構成は?父親・母親・妹2人との関係

宮舘涼太の家族構成
父
両親ともサーフィンをしていた
母
ダンス開始と事務所応募のきっかけ
本人
宮舘涼太
妹
妹

宮舘さんは、父親、母親、本人、妹2人の家庭で育ちました。2025年に出演した『A-Studio+』では、母親と2人の妹への取材も行われ、家庭の中での宮舘さんの姿が明かされています。

外では先生の後ろに隠れるほど人見知りだった一方、家に帰ると様子はまったく違ったそうです。母親によれば、家ではうるさいくらい元気で、よく叱られていたといいます。

母親はドアを閉める音だけで気持ちを察していた

母親は、宮舘さんが家へ帰ってきたときのドアの閉め方だけで、その日の機嫌が分かるほどだったそうです。

長いジュニア時代にも、家族は宮舘さんの様子を近くで見ていました。本人が表立って多くを話さなくても、デビューできないことへの悔しさを母親は感じ取っていたと明かしています。

父親から教えられたこと

父親について、宮舘さんは「人に迷惑をかけるな」と教えられて育ったことを明かしています。泣くことにも厳しい父親だったそうで、家庭でははっきりした教えを受けていました。

一方で、芸能活動について両親が進む道を決めることはありませんでした。ジュニアとして活動を続けるか、別の道へ進むかを悩んだ時期にも、最終的には本人の人生として選択を任せていたといいます。

父親の職業は公表されていません。母親についても職業を断定できる公的な情報はなく、家族の氏名や勤務先なども明らかにされていません。

妹2人から見た兄・宮舘涼太

宮舘さんには妹が2人います。妹たちがテレビ番組の取材を受けたことで、5人家族で育ったことだけでなく、家庭の中では兄として過ごしてきた一面も知られるようになりました。

家ではにぎやかな少年で、母親に叱られることもあった宮舘さん。その家庭から、小学2年生のダンス、さらに中学1年生での芸能界入りへと道が続いていきます。

宮舘涼太の学歴は?高校・大学と学生時代

宮舘涼太の学歴
高校
クラーク記念国際高等学校
渡辺翔太と同校
大学
明海大学 経済学部
進学後に中退したことを本人が明かしている

宮舘さんの学歴では、高校と大学について学校名まで確認できます。一方、小学校と中学校の具体的な校名については、公表された確かな情報がありません。

学生時代はすでに芸能活動と重なっており、中学1年生で事務所に入り、高校時代にはジュニアとして舞台やコンサートに出演していました。

小学校・中学校は渡辺翔太と別々だった

渡辺翔太さんとは幼稚園の「ゆり組」で一緒でしたが、小学校と中学校は別々でした。ネット上では具体的な学校名が挙げられることもありますが、本人が学校名を公表した資料はありません。

別々の学校で過ごしていた2人が再び顔を合わせたのは、中学1年生の宮舘さんが芸能事務所のオーディションを受けた日でした。

高校はクラーク記念国際高等学校

宮舘さんが通った高校は、クラーク記念国際高等学校です。2026年放送の『Snow Man 佐久間 渡辺 宮舘の江戸川会』では、同校出身の岡田将生さんとの会話の中で学校名が出され、宮舘さんと渡辺さん本人がうなずいています。

幼稚園を卒園してから別々の学校へ進んでいた宮舘さんと渡辺さんは、高校で再び同じ学校に通うことになりました。

この時期の宮舘さんは、学校生活とジュニア活動を並行しています。高校3年生になるころには、大学へ進むのか、芸能の仕事に軸足を置くのかを考える時期もありました。

明海大学経済学部へ進学、その後に中退

高校卒業後、宮舘さんは明海大学経済学部へ進学したと報じられています。渡辺翔太さんも同じ明海大学経済学部へ進みました。

一方、宮舘さんは大学を卒業していません。2023年12月に公開された亀梨和也さんのYouTube動画に出演した際、自身で大学を中退したことを話しています。

大学を何年生で中退したのか、中退を決めた直接の理由までは本人から詳しく公表されていません。大学在学期はジュニアとしての活動と重なっていますが、多忙さを中退理由と断定することはできません。

母親が送った履歴書から始まった芸能界入り

宮舘さんが芸能界へ入る入口をつくったのは母親でした。本人が自分から事務所へ履歴書を送ったわけではありません。

「アイドルになりたいと思ったことは全くない。」

出典:毎日キレイ「Snow Man宮舘涼太:『あきらめるのもお前の人生』 下積み15年を見守った両親の言葉を明かす」(2026年5月29日)

中学1年生だった2005年、学校から帰ると自宅にFAXが届いていました。そこには事務所名と、書類選考を通過したこと、オーディション会場や日時が記されていたそうです。

履歴書を送っていたのは母親でした。事前に知らされていなかった宮舘さんは驚きながらも、流れのままオーディションへ参加することになります。

小学2年生から続けていたダンスが、中学1年生になった宮舘さんを芸能界へつなぐ場面がやってきました。

オーディション会場で渡辺翔太と再会

オーディション会場には多くの参加者が集まり、歌とダンスの審査が行われました。その場に、宮舘さんが幼稚園以来しばらく別々の道を歩いていた渡辺翔太さんがいました。

渡辺さんは宮舘さんより数か月早くジュニアになっており、オーディションを受ける参加者へダンスのお手本を見せる側にいたといいます。

「そのオーディション会場で再会しました」

出典:スポニチアネックス「宮舘涼太 生まれた病院も一緒!幼稚園からの幼なじみのメンバー『オーディション会場で再会しました』」(2025年10月11日)

渡辺さんがそこにいることを宮舘さんは知らされていませんでした。会場で顔を合わせると、渡辺さんのほうから声をかけてきたそうです。

幼稚園では同じ「ゆり組」。小学校、中学校では別々。それでも、宮舘さんが芸能界へ入る日に、今度はオーディションを受ける側と、先にジュニアになっていた側として再会しました。

ジャニー喜多川にラーメンへ誘われ、翌日からリハーサル

オーディションが終わると、宮舘さんにはもう一つ予想していなかった出来事が待っていました。ジャニー喜多川氏から「ラーメンを食べに行かないか」と声をかけられたのです。

2人で食べたのは、しょうゆラーメンだったと宮舘さんは振り返っています。食事が終わると、翌日も来るように伝えられました。

はっきりとした「合格」という言葉を告げられたわけではありません。翌日からジュニアのリハーサルに参加するようになり、活動が始まっていきました。

宮舘さんの入所日は2005年10月1日とされています。当時12歳、中学1年生でした。

宮舘涼太のジュニア時代は最後列の端から始まった

入所したからといって、すぐに目立つ場所で踊れたわけではありません。宮舘さんはジュニアに入った当初、バックダンサーの並びでも最後列の一番端だったと振り返っています。

2006年1月には、帝国劇場で上演された『KAT-TUN vs 関ジャニ∞ Musical Dream Boys』への出演が公式記録に残っています。同年には『ジャニーズJr.の大冒険!@メリディアン』などにも出演しました。

小学生時代には「宮ちゃん」と呼ばれていた宮舘さんですが、中学生ごろから「舘様」という呼び名が使われるようになります。現在まで続く愛称も、デビュー後に突然つくられたものではありませんでした。

2009年にMis Snow Man、2012年にSnow Manへ

2009年にはMis Snow Manの一員として活動。高校生活と並行しながら、舞台や先輩グループのバックなどで経験を重ねていきました。

2012年には、岩本照さん、深澤辰哉さん、渡辺翔太さん、阿部亮平さん、佐久間大介さんとともにSnow Manとしての活動が始まります。

それでも、この時点ではCDデビューが決まっていたわけではありません。宮舘さんが2005年に入所してから、Snow ManとしてCDを出す2020年までには、さらに長い時間が残っていました。

高校3年生で進路と仕事を考えた時期

高校3年生のころには、学校と芸能活動を両立しながら、大学への進学と仕事について考えていました。CDデビューできる保証がない状態で、この先をどうするのかを決めなければならない時期でもありました。

そんなころ、舞台でミスをした宮舘さんは、袖にいたKAT-TUNの亀梨和也さんへ謝ったことがあります。すると亀梨さんから背中をたたかれ、すでにプロとしてステージに立っていることを意識させる言葉をかけられました。

宮舘さんは、この出来事を仕事への意識が変わった場面として振り返っています。その後、実際には明海大学へ進学し、芸能活動と並行したのち中退しています。

15年のジュニア時代には辞めようと考えたことも

ジュニアとして過ごした期間は約15年。ステージの端から少しずつ立ち位置を変えていく一方で、長い時間の中では、このまま続けるべきかを考えたこともありました。

「2回ぐらい辞めようと思った」

出典:ORICON NEWS「Snow Man・宮舘涼太、ジュニア驚嘆の“舘様”誕生秘話明らかに 浅井乃我の悩みに共感も」(2026年3月25日)

両親も、宮舘さんがデビューできない時間の中で悩んでいることを感じていました。それでも、芸能界を続けるよう強制することも、辞めるよう促すこともせず、本人の選択に任せていたそうです。

ジュニア時代を通して宮舘さん自身が持つようになったのは、端の位置でも汗をかき、笑顔で踊り続けていれば、見ている人がいるという感覚でした。最初は最後列の端だった立ち位置も、活動を重ねる中で少しずつ変わっていきました。

15年かけてSnow ManとしてCDデビューへ

Snow Manにとって大きな日となったのが、2019年8月8日です。東京ドームで開催されたジャニーズJr.の公演で、Snow ManとSixTONESが2020年にCDデビューすることが発表されました。

発表までデビューのことは口外できず、宮舘さんは家族にも伝えていませんでした。父親や母親たちは何も知らないまま、東京ドームの客席からその瞬間を見ることになります。

家族は発表を聞いて涙を流して喜んでいたと、宮舘さんは後年明かしています。母親が本人に知らせず履歴書を送った中学1年生のころから、すでに十数年が過ぎていました。

宮舘涼太がアイドルになるまで
1993年3月25日
誕生
公式プロフィールでは東京都出身
小学2年生
ダンスを始める
水泳や体操も経験し、母親の勧めでダンスを始める
2005年10月1日
事務所に入所
母親が送った履歴書をきっかけにオーディションを受ける
2006年
舞台やコンサートに出演
KAT-TUN vs 関ジャニ∞ Musical Dream Boysなどに出演
2009年
Mis Snow Manとして活動
2012年
Snow Manとして活動開始
2019年8月8日
CDデビュー決定が発表
東京ドームでSnow ManとSixTONESのデビューが発表される
2020年1月22日
Snow ManとしてCDデビュー
デビュー曲はD.D.

宮舘さんにとって東京ドームは、先輩たちのバックダンサーとして何度も立ってきた場所でもありました。ジュニアになったころは最後列の端にいた少年が、そこで自分たちのCDデビューを知らされることになります。

2020年1月22日「D.D.」でCDデビュー

2020年1月22日、Snow Manは「D.D.」でCDデビューしました。宮舘さんが中学1年生で事務所に入ってから、約15年後のことです。

オーディションのときにも明確な「合格」という言葉を聞かなかったという宮舘さんは、長いジュニア時代を経てCDデビューしたときの感覚を、独特の言葉で表現しています。

「デビューさせて頂けたことで“正社員”になれた気がしました。」

出典:TOKYO FM「SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ」(2022年7月9日)

人前で名前を言うことにも緊張していた幼少期。小学2年生でダンスを始め、中学1年生で母親が送った履歴書から芸能界へ入り、最後列の端からジュニアとしての時間が始まりました。

幼稚園の「ゆり組」で一緒だった渡辺翔太さんとは、オーディション会場で再会し、やがて同じSnow Manへ。2020年1月22日、宮舘さんはSnow Manのメンバーとして初めてのCDを世に送り出しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です