SixTONESでラップとMCを担う田中樹。ステージでは言葉を畳みかけ、トークでは6人の会話を整理する役回りも多い人物です。
ところが、芸能界へ入る前の毎日は、歌やダンスよりもスポーツで埋まっていました。野球、サッカー、バスケットボール、水泳、陸上。本人は、どれかの競技でプロを目指すのだろうと思っていたと振り返っています。
その生活を大きく変えたのは、中学1年生になった2008年4月。母親が送っていた履歴書をきっかけに、田中はオーディション会場へ向かいました。
スポーツに夢中だった少年の毎日に、母親が送った一通の履歴書から「アイドル」という新しい道が加わりました。
5人兄弟の家庭で過ごしたころ、中学校の先生から渡された一冊の小説、ジュニアとして過ごした時間、現在のSixTONESの6人が一度離れた時期。田中樹がSixTONESとしてデビューへ向かうまでには、いくつもの小さな場面がありました。
田中樹は昔どんな少年だった?スポーツ漬けの小・中学生時代
田中樹の少年時代をたどると、まず目立つのがスポーツの多さです。本人が挙げているだけでも、野球、サッカー、バスケットボール、水泳、陸上の5種目。小学校と中学校では少年野球も続けていました。
野球を始めた背景には、先に野球をしていた兄の存在がありました。一方、バスケットボール部に入った理由は「かっこいい」という素朴なもの。そこで足の速さを買われ、陸上大会の時期には陸上へ、冬には駅伝へ出るという生活を送っていました。
全部の曜日、習い事と部活で埋まってた
出典:TOKYO FM「木村拓哉 Flow 第百五十三回目『拓哉キャプテン × ジェシー・田中樹』Part1」(2021年7月4日)
バスケットボールの大会になればバスケ部へ戻り、陸上大会の時期は走る。さらに水泳とサッカーも経験していました。本人の記憶では、体育祭でも目立つ場面が多かったそうです。
2021年にプロ野球の始球式へ登場した際には、小・中学校で少年野球をしていたことを自ら明かしています。大人になってからマウンドへ上がったときも、少年野球をしていたころの記憶が残っていました。
少なくともこのころの田中にとって、日常の中心は芸能活動ではなく、学校と複数のスポーツでした。
田中樹の家族構成は?5人兄弟と両親との関係
田中樹は5人兄弟の四男です。兄弟は、長男・一成、次男・聖、三男・彪、四男・樹、五男・彗という並びが報道で確認されています。父親と母親を含めた家族のなかで育ちましたが、両親は一般人のため、氏名や職業など公表範囲を超える情報には踏み込みません。
5人兄弟の四男!兄・田中聖や弟・田中彗との関係
次男の田中聖はKAT-TUNの元メンバーで、三男の田中彪も芸能活動をしています。長男の田中一成は芸能プロダクションの代表を務めていると報じられています。末弟の田中彗は野球を長く続け、甲子園登板や社会人野球を経験したのち、俳優の道へ進みました。
末弟の彗は2025年の取材で、樹を「一番仲良かったお兄ちゃん」と表現しています。野球に打ち込んでいたころは兄たちの名前で見られることに複雑な気持ちもあった一方、のちに樹の活動を身近で見て、尊敬するようになったと話していました。
樹自身の少年時代にも兄の影響は見えます。野球を始めたのは兄がやっていた姿を見たことがきっかけでした。また、のちにラップを担当するようになったときには、身近にラップをしていた兄・聖がいたからこそ、むしろ「自分はそうではない」と距離を置こうとした時期もありました。
母親が田中樹の芸能界入りにつくった最初のきっかけ
芸能界への入口をつくったのは母親でした。田中は自分で履歴書を送ったのではなく、母親が応募していたと振り返っています。
家族のなかにすでに芸能活動をしている兄がいた一方、田中自身はスポーツ中心の生活を送っていました。本人が自分からアイドルを志望したのではなく、母親の応募によって初めてオーディションへ向かうことになります。
田中樹の学歴は?中学時代の恩師と学生生活
田中樹は中学1年生になった直後から芸能活動を始めました。具体的な学校名については本人や所属先の公式プロフィールで確認できる情報が限られていますが、学校生活については本人がいくつもの思い出を語っています。
中学1年で芸能活動が始まり、学校との二重生活へ
入所したのは2008年4月。本人の言葉では「中学1年生の時」です。学校生活が始まったばかりの時期にオーディションへ行き、ほどなくコンサートのリハーサルにも呼ばれるようになりました。
芸能活動がすぐ日常へ入り込んだため、後年には「中学生らしい」ことを十分にはできなかったという趣旨の話もしています。一方で、学校には通い、中学校の先生との出会いがその後の仕事にも残ることになりました。
恩師から渡された一冊の小説で読書が好きになる
中学時代、勉強へ真面目に取り組んでいなかった田中に、一人の先生が小説を渡しました。それまでとは違う形で本に触れた田中は、そこから読書の面白さを知ったといいます。
芸能活動をする上で僕の武器になっています
出典:ORICON NEWS「SixTONES田中樹&森本慎太郎、恩師&親友に再会し笑顔 幼稚園時代の秘蔵写真に照れ『裸ばっかり!』」(2021年8月18日)
読書を続けるなかで言葉の引き出しが増えたことを、田中は後年こう表現しました。ラップの言葉選びやMCだけに結びつけて単純化はできませんが、中学生のときに渡された一冊が、芸能活動を続ける本人の中に残ったことは確かです。
デビュー前に地元を訪ねた番組では、当時の先生とも再会しています。先生との会話では、学校へ毎日通っていたことや、教室でのちょっとした昔話も飛び出しました。仕事だけでなく、普通の中学生として教室にいた時間もあったことがうかがえる場面です。
高校時代は仕事が増え、卒業前には進路も考えた
高校年代になると、ジュニアとしての仕事はさらに大きくなっていきます。2012年にはドラマ『私立バカレア高校』に出演。ここで共演したジェシー、京本大我、松村北斗、髙地優吾、森本慎太郎と田中樹の6人が、のちのSixTONESへつながっていきます。
撮影は廃校で行われ、6人は空き時間に肝試しをするなど、学校行事のような時間も過ごしました。田中は、仕事のため実際の学校では作りにくかった「学生らしい思い出」を、この撮影で得られたという趣旨の話をしています。
ただし、その6人がすぐグループになったわけではありません。仕事上の立ち位置が分かれていくなか、高校卒業が近づいた田中は就職や進学も現実の選択肢として考えるようになりました。大学名などを断定できる公的な情報はありませんが、「このまま芸能活動を続けるのか」という進路の迷いは本人の言葉として残っています。
母が履歴書を送り、2008年4月のオーディションへ
中学1年生になった2008年4月、母親から「オーディションが4月20日にあるから行ってきなさい」と告げられました。田中にとっては、人生をかけた受験というより、増えた習い事の一つに近い感覚だったようです。
オーディションへ向かう前には、地元の友人へ軽い調子でこんなことを話していました。
俺、ジャニーズになるかも〜
出典:TOKYO FM「木村拓哉 Flow 第百五十三回目『拓哉キャプテン × ジェシー・田中樹』Part1」(2021年7月4日)
本人は当時を「乗り気ではなかった」とも振り返っています。それでもオーディションへ行き、そのまま芸能活動へ入っていきました。2026年のインタビューでは、このオーディションに菊池風磨や中島健人も参加しており、最初にできた仲間だったと話しています。
田中は後年「13歳の時」と振り返っていますが、公式プロフィールの生年月日は1995年6月15日。2008年4月20日の時点では12歳で、その年の6月に13歳になっています。
オーディション後すぐ、コンサートの現場へ
合格後に長い基礎レッスン期間を経てから現場へ出たわけではありません。ほどなくHey! Say! JUMPのコンサートリハーサルへ呼ばれ、ジュニアとしてステージに立つことになります。
初めてステージに立ったのが2008年の5月
出典:ViVi「SixTONESが語るアイドル論!職業病ってあるの?6人のジャニーズ愛に溺れそう…♡」(2022年4月14日)
4月にオーディションを受け、翌5月にはステージへ。ダンスを覚える習慣さえ十分についていない状態で現場へ入った田中は、後年「現場たたき上げ」だったと表現しています。
短期間で客席の前に立つ側へ回ったことで、学校とスポーツだけだった生活に、リハーサル、ステージ、ジュニアとしての仕事が入り込んでいきました。
ジュニア時代に出会った6人と「バカレア組」の別れ
入所後、田中はジュニアとして活動を続けました。中学生のころにはHip Hop JUMPとして活動した時期もあり、学校とは別に同年代の仲間と顔を合わせる現場が増えていきます。
大きな節目になったのが2012年のドラマ『私立バカレア高校』です。田中を含む現在のSixTONESの6人が出演し、ファンからは「バカレア組」と呼ばれるようになりました。
ドラマで集まった6人が、そのままグループになったわけではなかった
ドラマのあとも6人で活動する機会はありましたが、すぐ正式なグループとして固定されたわけではありません。その後、ジェシーと松村北斗がジュニアの中心に立つ一方、田中を含む4人は立ち位置が離れていきました。
一度は「この6人で行く」という感触を持っていた田中にとって、その変化は進路を考え直すほど大きなものでした。4人で「あまりもの」というLINEグループを作っていた時期もあったといいます。
終わったなって思った
出典:TOKYO FM「川島明 そもそもの話 #121 SixTONES 田中樹さん」(2026年5月5日)
高校卒業も近づき、いつまでも同じ状態ではいられません。田中は就職や進学を考え、芸能活動から離れる可能性も現実的に意識していました。
ラップが嫌いだった田中樹が自分の武器にするまで
現在の田中樹を語るとき、ラップは外せません。しかし、本人は最初からラップを自分のやりたいこととして選んでいたわけではありませんでした。
入所当時から田中を知る河合郁人は、田中がもともとラップを嫌っていたと証言しています。本人もその場で、はっきり認めました。
兄とは違うものをやりたかった思春期
田中が思い描いていたアイドル像は、真ん中で格好よく歌う姿でした。身近にはラップをしている兄・聖がいたため、思春期の田中には「自分はそちらではない」という気持ちもあったといいます。
ところが「バカレア組」と呼ばれた6人が一度ばらばらになり、自分の居場所に不安を持ったことで見方が変わります。このままではどこにも所属できず終わるかもしれない。自分のキャラクターを作らなければならない。そこで改めて向き合ったものがラップでした。
18~19歳ごろ、聴いて調べるうちにラップへはまった
田中はラップを「与えられた担当」のままにせず、自分で聴き、調べるようになります。河合との会話では、その変化が18~19歳ごろだったことも明かしています。
ずっと聞いて、調べて…ってやったら気付いたらハマってたんです
出典:WEBザテレビジョン「田中樹、昔はラップが『嫌いでした』キャラクターを見つける上での心境の変化」(2024年9月15日)
この時期は、6人での活動が見えにくくなり、本人が自分の先を考えていた時期とも重なります。最初は避けたかったラップを、自分の居場所を作るために学び直していきました。
6人でもう一度――SixTONES結成まで
流れが変わったのは2014年ごろです。ジェシーが6人へ「もう1回6人でやりたい」と声をかけました。田中も、辞める前に最後にもう一度やってみるという気持ちで動き出します。
6人は再び一緒に活動するため、自分たちから働きかけました。そして2015年5月1日、ジェシー、京本大我、松村北斗、髙地優吾、森本慎太郎、田中樹の6人でSixTONESが結成されます。
5月1日はSixTONESの結成日になった
「バカレア組」と呼ばれた時期から数えると、6人が同じ作品で集まってから正式な結成までには時間がありました。一度離れ、進路を考えた時期を挟み、もう一度6人で動いた先に付いた名前がSixTONESでした。
5月1日は、その後もグループの結成日として扱われています。2026年5月1日には、公式YouTubeチャンネルで結成11周年の生配信も行われました。
結成はゴールではありませんでした。SixTONESになってからCDデビューまで、さらに約5年があります。その間、田中はラップに加えて、グループのなかで必要とされる役割を考えるようになりました。
本人が特に磨いたと話しているのがトークです。バラエティー番組を繰り返し見て、話が伝わる理由、逆に伝わりにくい理由を自分なりに分析し、MCを担う方向へ進んでいきました。
2020年「Imitation Rain」でCDデビュー
2019年、SixTONESとSnow Manの同時CDデビューが発表されました。田中は、別のグループのファンもいるジュニアのライブで発表されたことには複雑な気持ちがあった一方、Snow Manとの同時デビューを心強く感じたとも振り返っています。
そして2020年1月22日、SixTONESは「Imitation Rain」でCDデビューしました。田中が母親に言われてオーディション会場へ向かった2008年4月から、およそ12年後のことでした。
スポーツで曜日が埋まっていた少年は、中学1年で突然ステージに立ち、ジュニア時代には一度進路を考え直し、嫌いだったラップを自分から学ぶようになりました。2015年に6人でSixTONESとなり、さらに5年を重ねてCDデビューの日を迎えています。
最初のステージは2008年5月。そこから続いた時間の途中には、学校の先生からもらった一冊の本も、6人が離れた時期も、もう一度集まろうとした2014年の動きもありました。その積み重ねの先で、田中樹はSixTONESの一員として「Imitation Rain」を世に送り出しました。



























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