Travis Japanのメンバーとして、国内だけでなく海外のステージにも立つ中村海人。グループは2022年に「JUST DANCE!」で全世界メジャーデビューし、中村も長く続いたジュニア時代から新しい舞台へ進みました。
ただ、中村の芸能界への入口は、一度の応募からそのまま順調に続いたものではありません。最初のきっかけを作ったのは母親で、その後いったん仕事に呼ばれなくなった時期を経て、今度は本人が自分の意思で再び扉をたたいています。
一度は活動が途切れかけた少年が、自分で手紙を書き、もう一度オーディションへ向かった。
野球をしていた小学生時代、ダンスを始めたきっかけ、母と兄との暮らし、高校で「トリプルカイト」と過ごした時間。現在の姿だけでは見えにくい、中村海人がアイドルになるまでの道のりをたどります。
中村海人は昔どんな少年だった?幼少期からダンスを始めるまで
STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでは、中村海人は東京都出身とされています。出生地そのものは公表されていないため、「東京都で生まれた」とまでは言い切れませんが、本人が語る少年時代には、野球やダンスにつながる具体的な場面が残っています。
幼いころについては、母親から「顔が女の子っぽかった」と聞いているそうです。子どものころの夢として挙げていたのは、野球選手かジャニーズに入ること。のちに仕事になるダンスより先に、野球が身近にある少年時代を過ごしていました。
Rayのインタビューで、中村は子どものころの夢を「野球選手かジャニーズに入ること」と答えています。野球チームで過ごす日常と芸能界への憧れが、少年時代の中ですでに並んでいたことになります。
野球チームの女の子がダンスを始めるきっかけ
小学生のころ、中村は野球チームに入っていました。そのチームにいた女の子が初恋の相手であり、同時に中村がダンスを始めるきっかけになった人物だったと、後年のインタビューで本人が明かしています。
「小学校のとき。一緒の野球チームで、僕がダンスを始めるきっかけになったコです。」
出典:Ray「好きなマンガは『東京リベンジャーズ』!【Travis Japan・中村海人】に28の質問♡」(2021年12月4日)
野球チームでの出会いが、のちにTravis Japanで武器になるダンスへの入口になりました。
学生時代の得意科目を聞かれたとき、中村が答えたのは「体育」です。少年時代のスポーツ経験として本人が具体的に語っているのは野球で、バスケットボール部に所属していたという公式な経歴は公表されていません。
中村が個人Instagramを開設したのは、Travis Japanがメジャーデビューしたあとのことです。幼少期や学生時代の記録とは別ですが、現在は本人名義の公式アカウントから、自身の姿や近況を映像や写真で発信しています。
少年時代の中村を知る材料は、後年のインタビューで本人が振り返った記憶が中心です。現在の公式Instagramは、その少年が長いジュニア時代を経てどんな姿で活動しているのかを見る場所として位置づけると、時間軸も混ざりません。
中村海人は天てれに出演していた?同名人物との混同
「天才てれびくんMAX」に出演していた「なかむらかいと」は、Travis Japanの中村海人ではありません。2010年に同番組へレギュラー出演していたのは、俳優の中村嘉惟人です。
名前の読みが同じ「かいと」で、活動時期も近いため混同されやすいものの、別人です。中村海人の少年時代をたどるうえでは、天てれ出演歴ではなく、野球、ダンス、そして後のオーディションが大きな流れになります。
中村海人の家族構成は?母親・兄との暮らし
中村は2025年11月放送の「ザ!世界仰天ニュース」で、自身が母子家庭で育ったことを明かしました。母親が一人で兄と中村を育てていたことも、本人の口から語られています。
「お母さん1人でお兄ちゃんと僕(を育てた)。」
出典:トピクル「Travis Japan中村海人 母子家庭だったことを告白」(2025年11月19日)
母親が一人で兄と海人を育てた
番組で中村が振り返ったのは、家庭の事情を説明するだけの話ではなく、家の中の具体的な光景でした。兄が少しやんちゃだった時期があり、母親が夜、ストーブの前でうずくまって泣いている姿を見たことがあったと話しています。
兄の存在は、その後の本人インタビューでも語られています。一般人であるため氏名や勤務先などは公表されていませんが、中村に兄がいること自体は本人の発言で明らかになっています。
家族について本人が公に話している内容は多くありません。一方、個人Instagramでは現在の本人の姿や近況が継続して発信されています。家庭についての本人の言葉と、現在の公式SNSで見せる姿を混同せずに見ると、中村の歩いてきた時間がより分かりやすくなります。
家庭の味は肉じゃがと炊き込みごはん
家族との暮らしが見える小さな話として、中村は「家庭の味」を聞かれた際に肉じゃがと炊き込みごはんを挙げています。華やかな芸能活動とは離れた、家で食べていたものの記憶です。
母親が一人で兄弟を育てていた家庭で、中村が後年になって具体的に思い出した料理がこの2つでした。家族構成だけを一覧で見るよりも、食卓にあった料理まで含めると、少年時代の生活が少し具体的に見えてきます。
一方、父親については職業や年齢、現在の関係など詳しい情報は公表されていません。中村自身が母子家庭で育ったことは明かしていますが、そこに至った事情を離婚や死別などと決めつけることはできません。
中村海人の学歴は?高校・大学と学生時代
中村の学校生活で確かな輪郭が見えるのは、宮近海斗、松倉海斗との「トリプルカイト」の時間です。3人は同じ日に事務所へ入り、同じ高校で青春時代を過ごしました。
宮近海斗・松倉海斗と同じ高校で過ごした
3人は名前が「カイト」、血液型も同じで、入所日まで同じ。さらに高校も同じで、クラスまで一緒だった時期があります。中村にとって、学校と芸能活動の両方に同じ仲間がいる状態でした。
「クラスもグループも同じで、一緒にいることが当たり前になっているから、全部が思い出」
出典:ViVi「【Travis Japan】から“トリプルカイト”が女性誌初表紙!」(2024年9月18日)
宮近は別の対談で、毎朝品川駅で待ち合わせて一緒に登校していたと振り返っています。学校では同級生、仕事では同じ時期に活動を始めた仲間という関係が、日常の中で重なっていました。
「トリプルカイト」は仕事場だけの呼び名ではありませんでした。宮近は、学生時代には毎朝のように品川駅で待ち合わせて3人で学校へ向かったと振り返っています。授業を受けたあとには同じ芸能活動の現場へ向かうこともある、学校と仕事の両方が重なる関係でした。
高校の具体的な学校名は、本人や所属先から公表されていません。宮近・松倉と同じ高校で過ごしたことはViViで語られていますが、学校名そのものは明かされていません。
大学には進学!大学名や中退説は?
大学については、進学したことを中村本人が動画の中で話しています。2021年2月に公開されたJunior CHANNELの学力テスト企画で、結果発表の最後に自分の学歴へ触れました。
「大学は一応入りました」
出典:Junior CHANNEL「Travis Japan【真のおバカはこいつだ!?】中村海人…俺じゃない!」(2021年2月18日)
大学への進学は本人の発言で分かっていますが、大学名や卒業・中退については公表されていません。「大学に入った」という言葉だけから中退と決めることはできません。
亜細亜大学など具体的な大学名を挙げる情報もありますが、本人や所属先が学校名を明かしたものではありません。大学について分かっているのは、本人の言葉で確認できる「進学した」というところまでです。
学生時代の中村を知るうえでは、学校名そのものより、同じ高校で過ごした宮近・松倉との日常や、学業とジュニア活動が同時に進んでいたことのほうが具体的です。
この誕生日企画では、メンバーが中村との過去の思い出を答えていきます。トリプルカイトの学生時代や、ジュニア時代の出来事を当事者同士の会話で見られる映像です。
中村海人がジャニーズに入るまで!2度のオーディション
中村は子どものころの将来の夢として、「野球選手かジャニーズに入ること」を挙げています。ダンスを始めたあと、その憧れが実際の応募へつながりました。
最初の応募は、母親が履歴書を送ったことから始まりました。その後、活動が途切れそうになったとき、2度目は中村自身が動きます。
最初は母親が履歴書を送った
本人は後年、最初と2度目の応募の違いをはっきり話しています。母親が作った最初の入口と、自分で選んだ再挑戦が、同じオーディションの話の中にあります。
「最初はお母さんが履歴書送って、2度目は自分で送った。あきらめたくなかったんだよね。」
出典:Ray「尊敬するアーティストはBTS♡ 【Travis Japan・中村海人】に聞いた25のコト」(2021年11月22日)
コンサート出演後に呼ばれなくなり、自分で手紙を書いた
最初の応募後、中村はコンサートに出演するところまで進みました。ところが、そのあと仕事に呼ばれなくなります。そこで終わりにせず、本人はジャニー喜多川氏宛てに自分で手紙を書きました。
2018年に出演した「ウチのガヤがすみません!」では、再オーディションでジャニー氏から「You手紙くれたよね?」と声をかけられたという出来事も話しています。一度途切れた接点を、自分からもう一度つなぎ直した形でした。
母親が送った最初の履歴書から、自分で手紙を書いて進んだ2度目のオーディションへ。
中村の入所日は2010年10月30日です。この日は宮近海斗、松倉海斗も同じで、のちに3人は「トリプルカイト」と呼ばれるようになります。中村は13歳で、本格的なジュニア活動のスタート地点に立ちました。
Travis Japan結成へ!中村海人のジュニア時代
入所後の中村は、先輩のステージや舞台に立ちながら経験を重ねていきます。STARTO ENTERTAINMENTの販売情報にも、2013年以降の「PLAYZONE」作品など、デビュー前の出演記録が残っています。
2012年7月、振付師のトラヴィス・ペインが選考に関わったTravis Japanが結成されました。中村は初期からメンバーとして活動し、メンバーの変遷を経ながら長いジュニア期間を過ごします。
Travis Japanは結成後もメンバーの変遷があり、2017年から宮近海斗、中村海人、七五三掛龍也、川島如恵留、吉澤閑也、松田元太、松倉海斗の7人で活動する形になりました。メジャーデビューまでには、オリジナル曲の披露やアリーナ規模の単独公演も経験しています。
中村にとっては、2010年の入所から2022年のデビューまで約12年あります。その間に高校生活と大学進学が重なり、舞台やコンサートで踊り続けながら、Travis Japanの体制が変わる時期もメンバーとして過ごしました。
後ろで踊る姿を見て届いた最初のファンレター
まだデビュー前、先輩の後ろで踊っていたころにも、中村を見つけていた人がいました。本人によると、最初にもらったファンレターには、後ろで踊っている姿を見て手紙を書いたことが記されていたそうです。
中村はその1通を、後年になっても持ち続けていると話しています。大きな会場の中央に立つ前、バックで踊っていた時期の記憶が、手紙という形で手元に残っています。
宮近、松倉との「トリプルカイト」という呼び名も、長い活動の途中で生まれました。松倉がグループに加わる際のオーディション的なコンサートで、振付師から3人まとめて「トリプルカイト」と呼ばれたことがきっかけだったと、中村たちは後年の対談で振り返っています。
小学生のころに始めたダンスは、ジュニア時代のステージを通じて仕事になっていきました。現在の個人Instagramには、ステージやパフォーマンスに関わる写真も投稿されています。
ロサンゼルス留学から「JUST DANCE!」世界デビューへ
Travis Japanのデビュー前の道は、国内の活動だけでは終わりませんでした。2022年3月からメンバーはアメリカ・ロサンゼルスへ渡り、共同生活をしながら語学とパフォーマンスのレッスンを受けます。
現地では「World of Dance Championship Series」に出場し、さらにアメリカのオーディション番組「America’s Got Talent」にも出演しました。日本でジュニアとして活動してきたグループが、デビュー前の状態で海外の大会や番組へ挑む期間になりました。
「WORLD OF DANCE」では地区予選を3位で通過し、全米大会のチーム部門で4位、7月の世界大会ではチーム部門9位に入りました。同じ7月に出演した「America’s Got Talent」ではセミファイナルまで進んでいます。
その活動は、Capitol Records側がTravis Japanを知るきっかけの一つにもなりました。日本でデビューしてから海外へ進むのではなく、デビュー前にロサンゼルスへ生活拠点を移し、現地で結果を残したあとに契約へ進んだ流れです。
デビュー直前、公式Xに公開された中村海人のソロビジュアル
全世界デビューを目前にした2022年10月19日、Travis Japan公式Xは「JUST DANCE!」の中村海人ソロアーティスト写真を公開しました。入所から12年ほどが過ぎた時期の、デビュー直前の公式記録です。
デビュー発表時には、米国のユニバーサル ミュージック グループ本社で契約調印式も行われました。中村たちはロサンゼルスでの活動を続けたまま、Capitol Recordsとの契約を経て10月の配信デビューへ向かいます。
2022年10月28日に全世界メジャーデビュー
Travis JapanはCapitol Recordsと契約し、2022年10月28日に「JUST DANCE!」を全世界配信。中村は2010年の入所以来、ジュニアとして積み重ねてきた時間を経て、Travis Japanのメンバーとしてメジャーデビューの日を迎えました。
「ここからがまた新たなスタートになります」
出典:ORICON NEWS「Travis Japan、10・28全世界メジャーデビュー決定」(2022年9月29日)
デビュー後に初めて海外を目指したのではなく、デビュー前からロサンゼルスで暮らし、現地の大会とオーディション番組へ参加したうえで世界配信へ進んだのがTravis Japanの経路でした。
母親が送った最初の履歴書から始まり、呼ばれなくなったあとに自分で送った手紙、2010年の入所、2012年のTravis Japan結成へ。最初のステージで後ろから踊っていた少年は、2022年10月28日、「JUST DANCE!」で世界に向けたデビューの日を迎えました。
野球チームでダンスと出会った小学生時代と、呼ばれなくなったあとに自分で再応募した13歳の行動。その二つは、2022年のデビューよりずっと前にあった中村海人の原点です。






























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