M!LKのメンバーとしてステージに立ち、俳優としても数多くの作品に出演している佐野勇斗さん。
明るく物おじしない印象がありますが、幼いころは母親から離れるのが苦手で、幼稚園の送迎バスに乗るだけでもひと苦労だったそうです。
芸能界への入口も、自分で応募したオーディションではありませんでした。中学生だった佐野さんの知らないところで、母親と叔母がジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募していたのです。
愛知・岡崎で過ごした少年時代、父親や母親、2人の弟との暮らし、高校でのサッカー部や大学受験。そして、コンテストをきっかけに芸能事務所へ入り、M!LKとして最初のステージに立つまでをたどります。
佐野勇斗の昔は?岡崎で過ごした幼少期
佐野勇斗さんは愛知県出身。地元の岡崎市では岡崎観光伝道師も務めており、岡崎市観光協会からも「岡崎出身」と紹介されています。
現在は人前で堂々と話す姿もよく見られますが、幼いころの佐野さんは母親から離れるのが苦手な子どもでした。
幼稚園バスに乗りたくなかったママっ子時代
M!LK公式ブログで、佐野さんは自分の幼少期についてこう振り返っています。
僕、小さい頃、とんでもないくらいママっこだったんです
出典:M!LKオフィシャルブログ「母上★佐野勇斗☆」(公開日記載なし)
母親がいないと眠れず、幼稚園へ向かう送迎バスに乗せるときも大変だったそうです。
さらに後日、母親本人からファンへ向けたメッセージもブログに掲載されました。そこには、幼稚園の保育参観でも母親を見つけると大変だったことや、年少時には気に入った先生のすぐ隣に自分で椅子を持っていって座っていたという思い出が書かれています。
ステージの中央に立つ現在の姿からは少し離れた、母親のそばがいちばん安心できる幼稚園児でした。
小学生時代はスポーツにも親しんでいた
公式プロフィールでは、佐野さんの趣味としてサッカー、特技として書道や空手が紹介されています。岡崎で過ごした少年時代には、机に向かうことだけではなく、体を動かすことも身近にありました。
家では弟たちが生まれ、3兄弟の長男として過ごすようになります。大人になってからのブログにも、父親と弟2人を交えてサッカーゲームをした話が登場しており、兄弟と一緒に遊ぶ日常が続いていたことが分かります。
小学2年生ごろには祖母からサンタクロースの正体を教えられたという昔話も残しています。その後は、弟にプレゼント購入を気付かれないよう、自分が弟をゲームセンターへ連れていく役をしていたそうです。
クリスマスには学校の友人が10人以上、自宅に集まることもあったといい、家の中にも学校の友人たちが出入りする少年時代でした。
佐野勇斗の家族構成は?父親・母親・弟2人との関係
佐野さんには父親、母親、そして2人の弟がいます。本人も公式ブログで「弟2人」と書いており、3兄弟の長男です。
母親は幼少期から受験、芸能界入りまで身近な存在
幼いころは母親がいないと眠れないほどのママっ子でしたが、母親は何でも甘く許していたわけではなかったようです。
佐野さんは母親について、礼儀や勉強には厳しかったという趣旨の思い出も残しています。その一方で、大学受験では毎日の送り迎えや食事などで支えてくれた家族の存在に感謝していました。
そして、芸能界への入口を作ったのも母親でした。
中学3年生のとき、第25回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募したのは本人ではありません。
僕が知らないあいだに、母と叔母が応募していたんです。
出典:CREA「映画『青夏 きみに恋した30日』で クール系イケメンを好演した佐野勇斗」(2018年8月1日)
本人には芸能界への興味がまったくなかったわけではありません。ただ、当時は愛知で暮らしており、芸能界を身近な進路として考えてはいなかったと話しています。
父親は大切なときに言葉をくれる存在
父親については、普段から厳しく叱るタイプというより、大切な場面で言葉をくれる存在だったと佐野さんは振り返っています。
M!LKのメンバーになれたのも、パパキュンのおかげ
出典:M!LKオフィシャルブログ「Father’s Day ★佐野勇斗☆」(公開日記載なし)
ブログでは、何か大切なことがあると父親から助言をもらっていたことも書いています。
「M!LKのメンバーになれた」ことと父親がどう結び付いているのか、本人はこの投稿で詳しい経緯までは明かしていません。そのため、具体的な出来事を推測して補うことはできません。
父親について「トヨタ勤務」と検索されることがあります。2023年の『A-Studio+』では勤務先を知った笑福亭鶴瓶さんが入社の難しさに触れましたが、会社名は番組記事でも明かされていません。トヨタ勤務と断定できる公表情報は確認できません。
2人の弟を持つ3兄弟の長男
佐野さんは2人の弟を持つ長男です。ブログには、父親と弟2人を相手にサッカーゲームをして負けた話や、弟の誕生日を祝う話などが何度も登場しています。
子どものころからずっと穏やかな兄だったわけでもありません。兄弟でけんかをしたり、上の弟をからかったりした昔話も本人が残しています。
2023年の『A-Studio+』では家族への取材も行われ、佐野さんと同じ高校へ進んだ弟は、学校で成績がトップクラスだったことが紹介されました。
佐野勇斗の学歴は?高校・大学受験と学生時代
佐野さんは岡崎で学生時代を過ごし、高校在学中に芸能活動を始めました。学校生活とM!LKの活動が重なっていく一方、高校卒業前には大学受験にも取り組んでいます。
中学校卒業後、高校生活と芸能活動が重なっていく
本人の公式ブログには、中学校の卒業式で撮った昔の写真が残っています。
別の投稿では高校1年生の調理実習の写真も公開しており、そのころの学校生活を本人自身が振り返っています。
高校については、地元・岡崎の愛知県立岡崎西高校との関係が知られています。岡崎市側でも同校の創立記念行事への登壇などが紹介されており、地元の高校時代を振り返る機会もありました。
高校時代はサッカー部!泥団子が1個も売れなかった文化祭も
高校卒業時に書いた公式ブログは、佐野さんの学生時代を知る材料がぎっしり詰まっています。
文化祭では泥団子を作ったものの1個も売れず、家庭科でハンバーグを作る調理実習では先生に隠れてタルトを作ったこともあったそうです。ストーブの設定温度を上げすぎて先生に怒られた思い出まで書いています。
友人とは毎日のように話し、サッカー部にも所属していました。しかし、部活動ではけがが続いた時期がありました。
サッカー部では、怪我続きで、ほぼマネージャーだったり。
出典:M!LKオフィシャルブログ「卒業っ!!★佐野勇斗☆」(2016年3月3日)
同じ投稿では化学7点、数学0点、物理16点というテストの点数まで自分で明かしています。
一方、後の大学受験では、サッカー部の先輩が勉強方法を教え、センター試験でうまくいかなかったときにも励ましてくれたと書いています。部活を通じてできたつながりは、競技を離れた後にも残っていました。
大学はどこ?E判定だった大学にも合格
高校卒業を控えた2016年3月、佐野さんは公式ブログで大学合格を報告しました。
無事、大学に合格いたしましたっっ!!
出典:M!LKオフィシャルブログ「合格っっっ★佐野勇斗☆」(2016年3月5日)
受験した大学は1校だけではなく、その中には模試でE判定だった大学もあり、そこにも合格したと本人が書いています。
受験期には家族の送り迎えや食事、学校で最後まで一緒に勉強した友人、質問に答えてくれた先生、サッカー部の先輩、M!LKのメンバーやスタッフなど、多くの人に助けられていました。
本人が進学先について明かしたのは、「英語の勉強ができるところ」を希望していたというところまでです。その後のブログでは、実際に大学生活が始まったことも報告しています。
佐野勇斗さんの大学については「明治学院大学」とする報道や記事があります。ただし、本人や所属事務所の公式プロフィールでは大学名は公表されていません。本人発信から確実に確認できるのは、2016年に大学へ合格し、大学生活を始めたことです。
高校時代にはテストの低い点数を笑い話として公開していた佐野さんですが、大学受験では生活の中心を勉強へ切り替えました。模試の判定だけを見れば簡単な受験ではありませんでした。
芸能界入りのきっかけは母と叔母のジュノン応募
佐野さんと芸能界がつながったのは中学3年生のころです。
母親と叔母が本人に知らせず、第25回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募しました。
佐野さん自身、芸能界に興味がなかったわけではありません。それでも愛知で生活していた当時は、テレビや映画の世界を自分の進路として現実的には考えていなかったようです。
コンテストでは最終的な受賞には至りませんでした。しかし、その後にスターダストプロモーションから声を掛けられます。
「コンテストに優勝してそのまま芸能界入り」という流れではありません。家族が応募したコンテストに参加し、その場をきっかけとして現在の事務所との接点が生まれました。
事務所に入って間もないころの写真も、後年本人が公式ブログで公開しています。
初めてあるレッスンへ行った際、そこで初めて超特急のメンバーたちと会い、ユーキさんから声を掛けられて一緒に写真を撮ったという思い出です。
まだ自分が後輩として先輩たちを見上げていた時期。後年、同じEBiDANの後輩から先輩として見られるようになる以前の一枚でした。
佐野勇斗がM!LKになるまで
事務所入り後、佐野さんはレッスンやEBiDANでの活動を経験します。
そして2014年11月、M!LKが結成されました。現在のM!LK公式プロフィールでも、グループの結成時期は2014年11月とされています。
ほかのメンバーは自分より先にレッスンを経験していた
M!LKができた時点で、佐野さんがメンバーの中で最も経験豊富だったわけではありません。
2015年のデビュー時インタビューでは、当時のメンバーについて、自分より先に事務所へ入り、ダンスも上手だったと振り返っています。
早くみんなに追いつこうっていう気持ちでしたね。
出典:音楽ナタリー「EBiDAN 39 & KiD M!LK『コーヒーが飲めません』インタビュー」(2015年3月25日)
高校に通いながら東京で芸能活動をし、そこでは自分より前を走っているメンバーと一緒にステージを作ることになります。
2016年、大学受験を迎えた時期の公式ブログでも、佐野さんは「ダンスと歌」をその年の目標に挙げています。大学合格を目指しながら、M!LKではほかのメンバーへ少しでもスキルで追いつきたいと書いていました。
M!LK公式YouTubeでは2026年、佐野さん自身の歴史を振り返る企画も公開されています。幼少期から学生時代、その後の活動まで、本人の言葉で年表を追える動画です。
M!LK初ステージから「コーヒーが飲めません」へ
M!LKは2014年11月、東京・日本青年館で行われたEBiDAN 39 & KiDSの公演で初めてパフォーマンスを披露しました。
母親と叔母が送った1通の応募から始まった芸能界との接点が、事務所でのレッスンを経て、グループのメンバーとしてステージに立つところまでつながりました。
そして2015年3月25日、M!LKはシングル「コーヒーが飲めません」でCDデビューします。
この時点でも佐野さんはまだ高校生でした。学校では友人と過ごし、サッカー部ではけがに悩み、文化祭では泥団子が売れず、テストでは思わず笑ってしまうような点数も取っていました。
その一方で、愛知と芸能活動の現場を行き来しながらレッスンを続け、自分より経験のあるメンバーへ追いつこうとしていました。
幼稚園のバスに乗りたくなくて泣いていた少年が、家族の応募をきっかけに芸能界へ入り、2014年にM!LKとして最初のステージへ。翌年にはCDデビューを迎えます。
現在へ続く佐野勇斗さんの活動は、その少し前、岡崎で過ごした学生生活と、本人の知らないところから始まったジュノンへの応募までさかのぼることができます。





























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